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  • 「いまどきの若いもん」
    解体新書
    第20回
  • 2017.11
橋本保/取材・文
女流公式戦などでは着物姿やスーツ姿になるが、写真撮影をしたこの日は、まったくの普段着で現れた里見香奈。外見を気にしないことは、精神的な強さの裏返しであろうか。過去に出版したフォトエッセイによると、高校生時代の頃から、女の子っぽい格好が苦手で、スカート嫌いとか。
里見香奈(25歳)
1992年3月2日生まれ
女流棋士。日本将棋連盟 奨励会三段
最近何かと話題な将棋界。そのなかで女流棋士といえば、着物姿で華麗に将棋を指したり、ファンに笑顔で接する印象が強いはず。そうした女流棋士とは距離を置く勝負師、それが里見香奈である。あどけなさも残す二十五歳の女性からは、切なくなるほどの強気な言葉が紡がれた。
Photographs:Chisato Hikita
史上初の五冠の女流棋士ながら、
奨励会で励む日々
女性初の棋士に挑戦する女性の本音とは?
「私、女性らしくないんです。最近は、おっさんくさいとか、言われて。でも、それが不思議と、嬉しいんです。今は勝負に集中したいので、要らないことに時間を割きたくない。おしゃれや見た目に疎いということは、それだけ将棋に集中できている証拠です。一般的には変人ですけどね。やっぱり“女性だからプロである棋士になるのは無理”っていうのは違うと思ったところから、奨励会に入り、棋士を目指していますので」
 中学生棋士の藤井聡太が連勝記録を更新したり、コミック『NARUTO』に影響を受けて将棋を始めたポーランド人女性のカロリーナ・ステチェンスカが女流棋士になるなど、いま将棋界には明るい話題が多い。
 そうしたなかで、将棋の勝負に男女の差はないはずとする里見の挑戦は、それが達成されれば大きなニュースになりそうだ。日本将棋連盟会長を務める佐藤康光九段が、ある対談でこんな発言をしている。
〈現状は棋士のシステムで三段に二人、女性の奨励会員がおります。その一人が里見香奈さんですね。女流棋界の第一人者です。あと一名が西山朋佳さん。その二人が四段を目指しているんです。今三段ですから、四段になったら、これまた藤井四段並の大ニュースになるかなと期待しております。(中略)女流のプロが誕生してまだ四十数年しか経っておりませんので、そういう点で歴史的に、また人数的な部分で少なかったということもあります。ただ、年々強くなって差は縮まっています。なので、将来女性の方で初めて棋士のシステムのタイトルを取る方が出てもぜんぜん不思議じゃないと思います〉
 門外漢からはわかりにくいが、日本将棋連盟に所属する「棋士」と呼ばれるプロの将棋指しは約二百名いる。棋士への道は、養成機関である奨励会に所属し、三段資格者が競い合う「三段リーグ」で上位の成績を収め、四段の資格を得るのが一般的とされる。奨励会は女性も参加できるが、過去に女性が四段になった例はない。棋力の開きが考慮され、女性のプロを育てる配慮から女流棋士の制度が作られたのは一九七四年のこと。それから約四十年経ち、棋士を射程にする女性が現れたのである。里見は、自分自身を負けず嫌いな性格と分析する。
「私が小学生の全国大会に出たとき、周りの男の子たちが、奨励会に入ることを目標にしていて、みんなそこに入っていった。私は中学生で女流棋士になり、対局のときには出身地の島根県出雲市から大阪にある関西将棋会館に通っていました。地元では強い相手と指せないので、大阪に来たときがチャンスと思い、棋士や奨励会員の方に教えていただいていました。でも、自分とは棋力が離れ過ぎていて、さらに相手は強くなっていく。それを実感したのは女流公式戦のタイトルのひとつである倉敷藤花を取ったあたり。本当に悔しかった。タイトルは取れたんですけれど、すごく弱い。勝つけれど、すごく不安定で、見ている人から大丈夫かなという感じの将棋。それを感じながら高校を卒業した。そうしたこともあり、十九歳のとき奨励会に入ることにします。強くなりたかったし、奨励会は十九歳までの年齢制限があり、この機会を逃したら後悔すると思ったので」
 当時の規約では、女流棋士ながら奨励会員となり、棋士を目指すことはできなかった。それゆえ里見は女流棋士を辞めて、奨励会に入る必要があった。本人は「奨励会一本でやろうと思った」が、両親は強く反対する。
「父親は、私は一度決めたら言うことを聞かないので仕方がないかな、というニュアンスでした。けれど母親は棋士になれなかったら、女流棋士には戻れないので、収入が断たれるなどの理由で強く反対しましたね。最終的には、誰にも相談せずに、一人で決めました。それでも親は色々と言ってきたんですけれど、無視しました」
 ただ里見には親を説得する奇手があった。当時の日本将棋連盟会長の故・米長邦雄に、女流棋戦を続けながら奨励会員になれないかと直談判したのである。
「何も考えていなかったので、周りの方々にはすごく迷惑をかけてしまいました。ただ米長会長が、本当に色々と動いてくれて、そういうふうにしてくれました」
 里見が高校に入学した二〇〇七年、将棋界は揺れていた。その当時、女流棋士たちが自分たちの地位向上を目指して声を上げ、協会側と協議するものの決裂する。そして一部の女流棋士たちが日本将棋連盟から独立し、日本女子プロ将棋協会を設立する一幕があったのだ。現在は将棋界発展のためにお互い協力する関係になっているが、ジェンダー観を巡る議論と隣接することもあり、感情的な対立を誘引した。
 それらも影響したのか彼女が高校を卒業後の二〇一一年に規約が見直され、編入試験を経て奨励会員となる。奨励会員になったことを機に、里見は大阪へ引っ越す。
 中学一年生で女流棋士になった里見は、高校二年生の二〇〇八年に女流公式棋戦のタイトルのひとつ倉敷藤花を獲得して頭角を現す。奨励会員になった前後から、さらに棋力を養い、二〇〇九年には女流名人、二〇一〇年に女流王将、二〇一二年に女流王位、二〇一三年に女流王座と女王(マイナビ女子オープン)と、タイトルを次々と手にしていく。現在は、女王を除く五つのタイトルを持つ五冠であり、史上初の六冠制覇に王手をかけている最強の女流棋士に成長する。
 ただ、里見自身は、現状に満足をしていない。
「最初のほうは本当に実力で勝ったというのは少なかったと思います。結構運に恵まれたところもあって、相手のミスで勝った将棋もあるので。ただ大阪に出てきてからは、それまでの勉強法が甘かったことを実感しました。あと皆さん、将棋を好きでやっていて、勝ち負けよりも、好きだから、負けてもずっと勉強していくのが当たり前。私は負けず嫌いなので、負けたことを引きずって泣くこともあり、当時はそれがひどかった。負けるのは、それが当たり前ということを教えていただいたのは良かったです。あとお話だけでなく、将棋を指す姿勢をみて、気づくことが多かったですね」
将棋について嬉しそうに話す里見香奈。「実家ではお皿に盛られた唐揚げを兄と妹、そして父で取り合うような家庭。負けず嫌いな性格は、その頃から変わりませんね」
 こうした内省的な言葉が繰り返されるのは、奨励会での成績と無縁ではないだろう。先述した三段リーグに里見が参加を果たしたのは二〇一五年八月のこと。直近の成績は七勝十一敗で、過去に勝ち越しはない。その間に藤井聡太に先を越され、対戦では負けた。
「自分のことが精一杯で、あまり覚えていないんですけれど、藤井四段はものすごく集中されていたと思います。あれだけの活躍するには、それに伴った勉強をされているはず。あとプレッシャーもあるなかで、将棋を続けられていることは、自分も励まされるような気持ちです」
 里見には時間がない。奨励会には年齢制限があり、二十五歳を超えると強制退会となる。その期限は来年だ。三段リーグで勝ち越し続ければ、例外規定で二十九歳まで所属できるが、前述のとおり思わしくない。
「時間がないので、日々の時間を無駄にしないようにしています。勉強方法は人それぞれ。これなら絶対強くなれると思ってやらないと、集中できない。人がどう言おうと、これをやれば勝てると思う方法でやっています」
 専門家はどう見ているのか。『将棋観戦記コレクション』(ちくま文庫)などの著書がある観戦記者の後藤元気に、彼女の四段昇格の可能性を聞いてみた。
「女流棋戦で他の追随を許さず王者に君臨する里見さんも、棋力が拮抗している三段リーグでは勝手が違うのかもしれませんね。ただ、追い詰められたときに力を発揮する方を過去にたくさん見ています。タイトル戦防衛など大きな舞台で指す経験をしているので精神面はタフなはず。ある日突然、勝ち始めて爆発するかもしれません」
将棋は、弱気だと相手に持っていかれる心理戦
「詰めろ」を逆転できるか今秋から正念場
 そもそも将棋に縁がない方は、里見らが将棋を指すときに、どんな考えを巡らすのかはわからないはず。何十手先まで読むとも言われるが、どんな感じなのか。
「序盤は、昔から研究され、最善とされる定跡があるんです。これは、みんなが精通していて、ここは定跡っていうのが、二十手、三十手のときもあるし、少ない手のときもある。その定跡から、外れたところで自分だけが知っている手を用意するんです。そして相手が知らないところを、自分が気づいて指せていればリードを保てる。少しでも最初の段階でリードできるのが理想です。
 ただ、研究段階では気づかなかった手が飛んでくることもあり、途中で考え直したり、へぇ、みたいな感じになったりする。そこで、こう指そうと思うけれど、実戦心理として、いろいろなことが気になる。負けたら嫌だから、『これだと、こんな手もある。まぁ、ないとは思うけれど、あるからやだな』とか。そして相手は、その通りに指さず、別の選択肢で来ることもある。そういうことは研究段階では、自分の感覚で切り捨てていくんですが、実戦になると相手がいるので、予想通りにはならない。それらをいちいち考え始めると時間がなくなってしまうので、ときには判断の面での失敗がありますね」
 話を聞いていると、落ち着いて考えられる準備段階と、時間に制限がある実戦とでは、心理状態が大きく違うことがわかる。そして何手先まで読むかということもさることながら、心理戦の要素も少なくない。そして「将棋はゲームではありません。勝負です」ときっぱり言う。
「弱気だと、相手にすぐに形勢を持っていかれるんです。逆に私も相手が『あっ、弱気になっているな』というのが読み取れる。それは、手とか、表情とか、全部でわかる。そして、これはいけると思って強気に出ると、相手が押されて引いてくれるときもある。なので、指し方ひとつでも変わるときがあります。ただ、臆病になったふりをしている人もいます。なので心理戦でもあります。色々な方がいるので、そういうことに感情が左右されないようにしています。たとえば焦ってイライラしていてたら、考えって働かないじゃないですか。だから、常に落ち着けるようにする。羽生善治先生は、対局を見ていても、パシィーンとか駒を打たないですよね。普通にパチ、パチみたいな感じ。ああいう一流の方は、本当に強いから、心がすごく安定しているのか、心が安定しているから強いのか、静寂です。感想戦なんかも悔しさを抑えてではなく、楽しそうにやる。私は、悔しさを抑えている感じなので、そこは違うんですよね」
 子どもの頃から極度の人見知りと言うが、将棋の話になると、声のトーンが上がり、あふれるように言葉が出てくる。その内容が将棋に纏わることというだけで、嬉しそうに話す表情は、普通の女の子と変わらない。
 ただ、彼女の棋士への目標は、将棋用語の「詰めろ」(次に何もしなければ玉が詰む、負けの一歩手前状態)でもある。今年十月から始まる「第62回奨励会三段リーグ戦」で形勢を逆転できるのか。正念場を迎える。

※2017年7月12日に開催された日本将棋連盟会長・佐藤康光と東大名誉教授・早野龍五の対談「『やり抜く力を育てる』 ~スズキ・メソードと日本将棋連盟、トップ対談」より。
さとみ・かな
  • 島根県出雲市出身。父の影響で将棋を始め、小学校6年生のときに女流棋士の登竜門である育成会に入り中学1年生で女流2級になりプロデビュー。2017年10月現在、女流王座、女流名人、女流王位、女流王将、倉敷藤花の5冠を持つ。2011年に棋士を目指して奨励会に入り、現在は三段リーグに所属。女流棋士には棋士になる別ルートもあるが、奨励会突破を目指す。妹・咲紀も女流棋士として活躍中。(写真提供:日本将棋連盟)