最近よく目にするプロブロガー。直近の騒動で言うと、とある女性ブロガーがプロブロガーに因縁をつけて自爆し、相手のプロブロガー(私はこの件でそのプロブロガーを初めて知った)の宣伝に寄与したという結果となったようだが、数キロ先の火事は見ていてキラキラと儚く散る夏の花火のようで関係のない私からすると楽しいのでどんどんやって頂きたいというのが私の感想である。この騒動全てを見ていたわけではないし別に肩を持つわけではないが、今回このチャレンジャーの主張はやり方や表現は別として、私も少し分かる気がするのでここに書いてみる。この騒動で私が思ったのは「プロとは一体何なのだ」という事だ。私は若い頃バンド活動をしていた。その時私が見ていた「プロ」はとてつもなく遠い手の届かない存在であり、そして技術や表現は我々一般人とはかけ離れたものであった。才能だけではない。当人の努力と運を常に最大限発揮できる人達、実力のアベレージが高い人達であった。であるから私はバンドでプロを目指さなかった。否、プロになる事を諦めた。自分はあそこまで出来ない・なれないと自覚したのだ。それが20代中頃の話、今から20年前の話である。そして周りを見ず20年間仕事のみ打ち込んで落ち着いた今、周囲を見回してみた。まず思ったのは「あれ?プロってこんなものだったかな?」ということ、それは音楽だった。ふと目にしたテレビで流れているアイドルを見ると私が思っていたアイドルとは全く異なるものであった。我々が見ていたアイドル達は10代でも歌唱力や表現力が桁外れであったが、今テレビで映し出されるアイドルにそんなものは感じない。イメージで言うと、完成されたアイドルを世に出すのではなく、フォロワーがそのアイドル達を育てるゲームのように見える。ロックバンドでもそうだ。我々が子供の頃は「こんなフレーズ100年経っても弾けねえ」というテクニカルなものから、何でこんなスゲー曲書けるんだろうセンスやべえ的なものしか我々の目の前に現れることは無かった。インターネットの普及で発信のハードルが下がっているのは理解できるが、それにしてもどうなんだろうと思うことが多い。簡単に言うと「すげーな!!!なんじゃこりゃ!!!」と思う人が消えた。年を取ったから、ということもあるんだろうが、それは昔も同じ事だろう。10代の中森明菜を見て40代のオッサンは「すげーなこの子」と思ったに違いない。と、これらを踏まえ私が思うのは、今の「プロ」は実力や才能や運というより、フォロワー(ファン)の数なんだろうなという事だ。その素材でどれだけのフォロワーを掴んでいるのか。それなら理解できる。私が思っている「プロ」はもう形が変わっている。概念が変わっているのだ。「完成されたもの」ではなく「手段で人を集める能力のあるもの」に変化している。私の目の前に今の「プロ」を置かれた時に感じるあの違和感はここにある。面白い・面白くない、すごい・すごくない、上手い・上手くないはもう関係ないのだ。だから我々はプロブロガーに「面白さ」を求めてはいけない。「プロ = 実力で金を稼ぐ人」から「プロ = 人を集めて金を稼ぐ人」と認識を変えれば何も問題は無いし違和感もない。これからは私自身が何を見て何を見ないかを常に選択していかねばならない。「プロ」と「素人」の境界線が曖昧な今、私は「今のプロ」より「カッコ良い素人」を選択して見たいし、その人達がちゃんと評価される世の中であって欲しいと思っている。
現場からは以上です。