前回「ヒトラーの孫」であると信じるフランス人の話 -1-の続きです。
「話しておかなければならないことがある。おまえたちの祖父はアドルフ・ヒトラーだ」と父ジャンに告げられた子どもたち、どんな衝撃だっただろう。1962年のことだ。6人の子どもたちがいつものように食卓を囲んでいたときに。
「孫」フィリップたちの話
右 フィリップ
Adolf Hitler est-il le grand-père du Français Philippe Loret ?
そのひとり、フィリップは配管工としてフランス空軍基地で34年勤務した。息子が二人、娘がひとりいて、孫が6人いる。(2012年当時)
妻はこの件を知っているが自分の親には話していないそうだ。
フィリップは父が話してくれたことは本当だと信じている。もしヒトラーが祖父ならファミリーの一員だから、写真を飾るのは当たり前なのだという。
しかし当初はこの秘密を固く守って暮らしてきた。父ジャンがこれを公にするまでは…。前回も書いたようにジャンは1981年に『お前の父さんはヒトラー』という回想録を出版した。
本が出たのならこのロレ家はもう超有名ではないか、とみなさん思うかもしれない。ところがこの本は全く話題にならなかった。さらにマーザーの『 ヒトラー・ある息子の父親』(前回記事参照)に対してもナチズムやヒトラーの研究者から反論や批判が相次いだ。証明となる資料、公的な書類や写真などが一切ないからだ。ベースになるものは、シャルロットの思い出話と、それを聞いて話をまとめたジャンの言葉のみ。第一次大戦中の年代や地名は事実に沿っているようだが、それも歴史学者マーザーがうまくそろえたのではないか。
またヒトラーは人物画を描かないはずだ。風景や建築物の絵は多く残されているが、人物画は一枚もない、というもの。(私はヒトラーの人物デッサンを見たことがあるのでここは不思議)
ヒトラーは大戦中、禁欲的な生活を送っていた、と他の兵士たちが証言しているから、愛人を持つはずがない・・・等々。
その後マーザー自身も疑いを持つようになったという。
1916年のヒトラー(右)と犬のRoxy
ベルギー人ジャーナリスト 2009年の鑑定
ジャンは失意のうちに1985年に死去。そして隠し子の話は一旦消えたかのようだった。
しかしヒトラー関連は「商売になる」…そう思ったかどうかはわからないが、ベルギー人のジャーナリストが仲間と二人で、ヒトラーの子孫捜しに乗り出し、ヒトラーとのつながりを鑑定しようとした。その結果をまとめた本も出版し、ベルギーのオランダ語新聞、フランス語新聞にも鑑定に関する記事が掲載され、国外にも拡散された。
この人たちのやり方が私は全く気にいらないのだが、簡単にまとめておく。
二人はアメリカにいるヒトラーの甥の息子たちアメリカ海軍の衛生兵だったヒトラーの甥 改名はしたけれど…-6-に鑑定に協力してほしいと声をかけたが断られる。長男アレックスがファーストフード店で捨てた紙ナプキンをこっそり持ち帰る(①)。ヒトラーの家系図からオーストリアに住む人たちを割り出し、サンプル(②)を得る。
あとは「息子」ジャンであるが、他界しているためジャンが差出人である封筒から、彼が貼ったであろう切手(③)を入手した。
これらをベルギー国内の研究所に持ち込み、鑑定してさせた。父系で遺伝するY染色体のハプログループを調べる方法だという。その結果、①②と③との間には繋がりが認められないことがわかった。
ここまで読んで「切手」のところが変だと思わない人がいるだろうか。切手はジャンが舐めて貼ったかどうかわからないはずだ。やはりこの鑑定を疑問視する人も多く、父子関係は宙吊りのまま終わる。
きっかけは ル・ポワン(Le Point)紙
2012年2月の記事「アドルフ・ヒトラーのフランス人隠し子」とはビックリ仰天のタイトルだが、これは大衆紙やタブロイド紙の類ではなく、まじめな新聞なのである。
Le fils français caché d'Adolf Hitler - Le Point
新しい若い世代の読者向けだろうか、これまでのいきさつをまとめてあった。
ただ、ジャンが相談していた弁護士から直接話を聞いている。弁護士は作家としても有名なジボー(François Gibault 1932-)だった。ジャンに対して弁護士というよりむしろ精神科医の役割を担ったジボー氏は、ジャンの悩み、苦しみに寄り添いつつ、ジャンの味方に立っている。
ル・ポワン紙がこの問題を掘り起こす形になり、まとめ記事やナチズム研究者に対し「あなたはどう思います?」のような記事がぽつぽつと出てきた。しかしフランス国内では「あれは妄想で、日本とドイツでしか信じられていない」とバッサリ切る記事がほとんどだ。
前回挙げたイギリスの記事(2012年4月)の写真では、フィリップの後ろの壁にヒトラーの写真、ヒトラーが描いた花の絵などが掛かっていた。イギリス人の記者を家に招き入れているのを見ると、この時点でもう「孫」たちは秘密にすることはもう止めたようだ。そして孫のふたりフィリップとエリザベットは決断する。
フランス5局のドキュメンタリ番組 2014年のDNA鑑定
タイトル「ヒトラーは私のおじいさんなの?」
Philippe & Élisabeth Loret
正直言ってこの50分ほどのドキュメンタリを見て涙が止まらなかった。ジャンの壮絶で数奇な人生を改めてたどってみると言葉を無くしてしまう。長く父親も母親も知らなかったし、最後まで父はわからないままだ。自分という存在の空白を埋め、真実が知りたい。その強い思いにつき動された一生、前半は戦争、後半は苦悩と渇望…大変な人生だったと思う。その気持ちをじゅうぶんに受け止めて、理解して成長してきた子どもたちがすばらしい。
DNA検査を主導するのはヒトゲノム研究の専門家シャルリエ医師(Philippe Charlier)。フィリップとエリザベットの二人から口腔内の粘膜と髪の毛を提供してもらう。オーストリアに住むヒトラーの親族の男性二人からも同様に。それをオーストリアとロンドンの専門機関に送って分析させる。
結果:両者につながりはない。
ふつうならほっとするのではないだろうか。これですっきり。子孫が学校でいじめられたリ、ヒトラーのことを蒸し返されたりすることもないわけだから。
ところがフィリップとエリザベットの考えは違っていた。ヒトラーの家系図のほうに間違いがあるのではないか。(母親は確かなので、父親が正しい人物かどうかを疑っている)。いまだ宙吊りのままだと話すフィリップとエリザベット。ドキュメンタリはここで終わる。
次にとる手段としてどんなものがあるのだろうか。鑑定をやり直す場合
①アメリカにいるスチュアート=ヒューストン家の人たちに協力を仰ぐ。
②ヒトラーの父親アロイスの眠る墓から遺体を掘り起こす。(*)
③モスクワにあるヒトラーの頭蓋骨を貸してもらう。
いや、こうなるとホラー話になってしまう。怖ろしや。
最近も「ダリの娘」騒動があったばかり。遺体を掘り起こしてDNA鑑定を行った結果、親子関係なしだった。掘り起こし作業にかかった金額は払わなければならないらしい。
*墓地を管理するオーストリアの教会から断られたとのこと。
今日はここまで。
ありがとうございました。
参考にした記事など:
・Pour les petits-enfants présumés d’Hitler, le doute demeure - 15 décembre 2014 - nouvelobs.com
・"Hitler, mon grand père?" : une si lourde histoire de famille - 13 décembre 2014 - nouvelobs.com
・2e Guerre Mondiale - Hitler, mon grand père ? par La 2e Guerre Mondiale - Dailymotion
・Hitler was verwant met Somaliërs, Berbers en Joden - Wetenschap - Knack.be
おまけです
Churchill and Hitler: At Arms, At Easels | History Today
ヒトラーは第一次大戦中の前線でも熱心に絵を描いている。これはベルギー国境に近いフランスのフルネ=アン=ヴェップという村で、乾し草置き場を描いた素描。