台風21号が近づいています。
台風ってすごいですね。
台風のエネルギーは原子爆弾の10万倍くらいあるとか。
台風が来ると学校は休みになります。
子供たちは大喜びです。
でも会社は休みにはなりません。
サラリーマンの人たちは台風の中の出勤を思うと憂鬱になります。
人々の希望と絶望を、膨大なエネルギーに載せながら地球を横断しています。
そう言うとなんかロマンがありませんか?
無い?
じゃあ無いのでしょう。
人生って何なのでしょうか?
最近、定年退職する方を何人か見送りました。
盛大な送別会が開かれます。
お花が手渡されます。
退職する方はしんみりと挨拶をされます。
涙を流す人もいます。
定年される方の挨拶で印象に残った言葉。
「先日、休みを利用してハイキングに行きました。ふと空を見上げると雲一つない青空が広がっていたんです。その時私は思いました。『自分はこの40年間、何を見て生きていたんだろう』と」
その方はある程度出世をされた方です。
恐らく寝ても覚めても仕事のことばかり考えていたのでしょう。
よく晴れた日に青空を見上げることすら忘れていた、と言うことだと思うのです。
それは「これからの人生楽しみだ」と言うよりは、「今までの人生は一体何だったんだろう」という後悔を感じる話し方でした。
もう一人の方
「自分は時間に余裕ができたら、いつか南の島で一カ月くらい、のんびり船を出して毎日釣りを楽しんで、夜にはお酒を飲んで星を見ながら眠るような生活をしようと思ってました。でもこの40年間、1週間の休暇をもらう余裕すらありませんでした。それだけ仕事に恵まれたのだと思っています。今はもう、疲れやすくなりましたし、腰が悪くて飛行機に長時間乗ることもできません。近くの海で釣りでもして過ごします」
それを聞いた時、私は絶望的な気持ちになり、しばらく言葉も出ませんでした。
「〇〇さん、大阪湾じゃ何も釣れんでしょう!」
とヤジが飛んで笑いが起きましたが、そんな楽観的な話で片づけることは到底できないくらい深刻な話だと感じました。
30年くらい南の島で遊んで暮らしたいと言っているのではありません。
たかだか1か月です。
人生の中で一度だけ、たった1か月の間、南の島で何も考えずに遊んで暮らす。
そんなささやかな夢が、40年の間にたった一度も叶わなかったと言うのです。
そして、そのささやかな夢が、この先も叶わないと言うのです。
もちろん、有給休暇は山のようにあった訳で、その方が本気で休もうと思えば休むことはできたでしょう。
この先も、疲れやすくなったとはいえ、船で南の島にいくこともできるでしょう。
しかし、事の本質はそんな話ではありません。
この話の深刻さは、「何十年と言う会社人生の中で、たった一カ月のまとまった休みすら一度として取ることができない。それが、特に珍しくも無いごく普通の日本人の働き方だということ」なのです。
40年間、1週間単位で休むことすらほとんど無かったというような話を、ドイツやフランスなどでしたとすれば、「クレイジーだ」「お前は奴隷か何かか?」と驚かれることでしょう。
私は特に1か月間南の島で遊びたいとかそんな希望はありません。
どちらかと言うと、こまめに休みたい方なので、長期間休みたいという願望が強い方ではありません。
しかし、それを願っても、現実的にほぼ不可能という事実を改めて認識することは辛いことではあります。
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一カ月休むと周囲からの評価が変わってしまう
日本の会社で男性の総合職が1か月のまとまった休暇を取ること、それは事実上会社人生のドロップアウトを意味することがあります。
ドロップアウトとまでは行かなくても、取り戻すのに相当な時間と労力、周囲への気遣いが必要になるでしょう。
入社5年以内くらいの若い人がそんなことをすれば、たとえ業務に支障が無くても、
「あいつは半人前のくせによくそんな大胆なことができるな」
「あいつは本当に社会人として大丈夫なのか?」
そんな声が出てきます。
じゃあ中堅と言われ始める入社5~10年目くらいならどうでしょうか?
その頃になると重要な案件を任されるようになってきます。
「あいつはもう出世は無いな」
「会社人生投げたのかな?」
「重要な仕事を1か月も放り出して、大丈夫か?」
じゃあその後なら?
40歳前後は出世を目指す人にとっては大事な時期です。
その時期に1か月も休めば、出世競争からは確実に1歩下がることになります。
逆に出世から外れた人であれば、1か月も休みを取ればリストラ候補最右翼になったり、とんでもない場所に転勤にされたりします。
そうでなくても「あの人は人の迷惑を考えない」とか「自分勝手」「わがまま」と言った評判が立ちます。
日本の会社では有給休暇はいまだに、病気やけが、親戚の不幸など、やむを得ない事情のある時に使うもの、という思い込みがあるからです。
そして滅私奉公の精神の強い人ほど出世候補になります。
しかし、定年するときにふと気が付くと、会社を去る時に自分が手にしている物、それは古くなった持ち家、わずかな貯金と1000万円ほどの退職金、そしてもうあまり動かない体・・・それだけなのです。
さらに絶望的なことに、持ち家と1000万の退職金があってローンも残っていない人は相当恵まれている方なのです。
会社人生が心から楽しかった、夢のような時間だったと言い切れるなら、それも良いでしょう。
しかし、本当は他にしたいことがあったのに、生きるため、家族のために我慢したというのなら、それはもはやあなたの人生とは言えません。
まだ定年を迎えていない方は、もう一度人生を見直してみませんか?
今、定年を迎えたら自分はどう思うだろうか。
やり残したことは無いか?
本当に会社で定年を迎えても良いのか。
一度よく考えてみましょう。
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