ホンダの二輪車「スーパーカブ」シリーズの累計生産が1億台を突破した。創業者の本田宗一郎がこだわり抜いて開発した初代が1958年に誕生してから59年。「頑丈で壊れない」「使い勝手がよい」メード・イン・ジャパンの代表格は世界中で受け入れられ、生活の足となった。半世紀以上前に完成した機能美を貫く。今回、5年ぶりに国内に生産を戻した。原点回帰で激変するモビリティー業界を再び踏破する。
■5年ぶり日本に生産回帰
ホンダの二輪の生産拠点である熊本製作所(熊本県大津町)で19日、1億台達成の記念式典が開かれた。最新モデルにまたがって登場した社長の八郷隆弘は「創業者の思いがここまで続くんだなと実感した。思いがこもったもの、何年たっても色あせないもの、そういう商品を作り上げていきたい」と話した。
製作所内のラインでは白い作業着の従業員が手早く新型カブを組み立てていく。ホンダは円安や中国での人件費高騰を受け、国内で販売するカブの生産を中国から日本に5年ぶりに戻した。熊本製作所は世界のマザー工場の役割を担う。
ホンダの新型カブにまたがる八郷社長(19日、熊本県大津町の熊本製作所)
同日発表した11月10日発売の新型カブは、先代で四角だったヘッドライトを発光ダイオード(LED)を採用することで丸くし、初代のデザインに近づいた。
カブは同一車種のシリーズ生産台数として四輪車も含めて世界トップ。中国やタイ、ブラジル、ナイジェリアなど15カ国で生産し、これまでに160カ国・地域以上で販売されてきた。なぜここまで長く愛されるのか。
■宗一郎と藤沢のこだわり
初代カブが誕生したのはホンダ設立から10年後の58年。東京タワーが完成し、日本が高度経済成長に突き進む、モータリゼーションの夜明け前だ。自転車用補助エンジンからスタートしたホンダが次に何をすべきか。「50ccで底辺が広がらない限り、うちの将来はないよ」。大番頭の藤沢武夫は宗一郎に持ちかけた。2人は56年の暮れ、欧州視察に旅立った。
欧州の町々でオートバイ店や自転車店を見回った。当時、欧州で流行していたペダルつきオートバイのモペットを見た宗一郎は「ヨーロッパの良い道路のことであって到底日本には通用しないね」。2人は帰国後、「オートバイでもない、モペットでもない新しい二輪車」の開発に着手した。
宗一郎が指示したのは「そば屋の出前のお兄ちゃんが片手で乗れるクルマ」。仕事に役立ち、悪路でも乗りやすい頑丈な乗り物を求めた。藤沢も「奥さんが買ってもいいと言うものにしてくれ」と号令をかけた。
2人の型破りの注文に、開発陣は必死に答えを出していく。片手で乗り回せるよう手でクラッチ操作しなくてよい機構を導入。重量があるエンジン、燃料タンクなどの主要部品を中心に据え、重心を安定させた。
女性に配慮し、スカートでも乗れるようハンドルとシートの間に広いスペースを設け、またぎやすくした。「内臓が見えないように」とカバーを付け、エンジンが露出しないデザインにした。
こうして全く新しい形の二輪車「スーパーカブC100」が産声を上げた。「カブ」は熊など猛獣の子供を意味する英語で、その名の通り、小さなエンジンでもパワフルな存在となった。
発売翌年の59年には年間16万台の大ヒットとなり、60年には56万台を記録。鈴鹿製作所を新設して量産体制を敷き、米国やアジアへの輸出も始めた。二輪メーカーが乱立し激しい競争を繰り広げていた60年代、カブのヒットで世界的な二輪メーカーにのし上がった。
■59年前の機能美「超えられぬ」
カブは来年で還暦を迎えるが、初代からデザインをほとんど変えていない。「前任を否定し、全て自分流に置き換えるのがホンダのエンジニア。それでもこのデザインを変えられなかった」。執行役員二輪事業本部長の安部典明は明かす。
「開発初期の段階では『お、今度は行くんだね』というデザインが出てきても、結局開発が進むにつれ、お客さんはこれを望んでいないよねという壁にぶち当たって元に戻ってしまう」(安部)
「正直なところ悔しい」。最新モデルの開発責任者を務めた、本田技術研究所主任研究員の亀水二己範(ふみのり)は言う。「変えようとすればするほど、元の基本レイアウトが一番いいことに気付かされた」。9月に初代カブのハンドルを握ってみると「基本的な乗り味は新型と変わらない」。初代の開発陣が込めたこだわりを改めて実感した。
もちろん性能面では、時代の最先端のニーズを採り入れてきた。最新モデルではエンジンの55%の部品を刷新。国内で導入された新しい排ガス規制に対応するだけでなく、ピストンリングに高価格帯のスポーツバイクで使われるコーティングを施し、耐久性も高めた。
従来以上に耐久性にこだわるのは「こまめにメンテナンスしなくても故障しないように」(亀水)。マイナス30度の極寒地や新興国の農村部を走り抜くタフさは落とせない。環境規制が厳しくなるなか、ガソリン1リットルあたり100キロメートルを超える燃費性能を最新技術でクリアしてきた。
現在ホンダで働く従業員のほとんどは、来年還暦を迎えるカブよりも後に生まれた。宗一郎と接した人も少数になりつつある。それでも亀水らはカブの開発を通じて創業者や歴代の開発者のこだわりに触れている。
カブは新興国ではモータリゼーションの火付け役を今なお担う。ホンダにとっても、四輪車、ロボット、ジェット機など未知の領域に挑み続けた原点にカブの存在があった。電動化、シェアリング、自動運転など新たな競争環境に突入する世界のモビリティー産業。次の1億台へ、カブが機能美を貫きどう前進するかが、ホンダの針路を決める。
=敬称略
(企業報道部・若杉朋子、映像報道部・森園泰寛、古谷真洋)
[日経産業新聞 2017年10月20日付]