哲学・思想

世界はなぜ、軍事力と恫喝が幅を利かせる時代に入ったか

戦後的秩序という「虚構」の終焉
内山 節 プロフィール

世界の虚構が崩れてしまった…

現在崩壊しつつあるのは、このようなかたちでつくられてきた世界だ。

人間の理性が、よりよい未来をつくっていく。そしてよりよい未来とは、自由で民主的な社会だという近代的な理念は正当性をもっているのか。

それは第一次大戦が勃発したことによって揺らぎはじめていた理念だったのだけれど、その後の世界史はいくつかの虚構を積み上げることによってこの理念を守ってきた。

だが現在では、この理念を支えた世界の虚構が崩れてしまったのである。ゆえに、「世界の共通理念」は力を失い、露骨な自国第一主義を唱える勢力がどこの国でも力をつけてくる。あるいは権力の空白域では、ISのような武装勢力が自分たちの主張を実現しようとする。

この現実がいまの日本の政治にも影響を与えているのである。

このような世界全体を覆う動揺に対抗する思想と意思をもたないならば、意図的であるないにかかわらず、この動揺する世界のなかに巻き込まれていくだろう。ポピュリズムやデマゴーグの政治家たちがはびこり、自国の利益という錦の御旗を掲げて、世界を覆いはじめた軍事力と恫喝の時代に飛び込んでいくことになるだろう。

これまでの世界の秩序が崩れていけば、その秩序があるからこそ成立していたそれぞれの国家も存立基盤を失う。それが近代国家の黄昏を促進していく。

だが黄昏は近代国家の自然的な衰退をよぶとはかぎらない。

逆に破綻していく世界秩序のなかに巻き込まれながら、強い国家を目指して社会を破綻に追い込んでいくかもしれないのである。

ポピュリズム、デマゴーグ、そして強い日本の再建…。

この数年、日本の政権がおこなってきたことは、トランプ政権の政治の先取りであったのかもしれない。

とすると、私たちからはいまのアメリカに、アメリカ黄昏が感じられているように、日本の外からは、日本の黄昏が感じられているのかもしれない。

そしてその背後には、世界のひとつの時代の黄昏が展開している。

(つづく)

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのかかつては、日本のキツネが暮らしている地域では、人がキツネにだまされたという話は日常のごくありふれたもののひとつだった。それも大昔のことではない。つい50年くらい前まで、特にめずらしいものではなかったのだ…
哲学者・内山節さんが同時代のダイナミックな潮流を読み解く好評連載「たそがれる国家」のバックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/takashiuchiyama