1.一昨日の10/10は辛亥革命百周年で、社説で取り上げた新聞もあった。
「「革命の最も堅固な支持者であり、最も忠実な継承者」とする共産党は、台湾との統一を見据えて様々な記念行事を開く。
しかし、孫文が訴えた民主制を求める「民権」や、行政と立法などの権力分立は受け入れていない。そこが健全な発展の足かせとなっていて、国民の不満の原因でもある。とても、革命の忠実な継承者とは誇れまい」
(朝日111009社説)。
これを読むと、これを書いた人は孫文を理想主義的民主主義者と考えているようである。孫文の実体を知らず、彼の「三民主義」を読んだことがないからこのように言うわけであろう。
孫文が実はれっきとした独裁主義者であり、中国共産党がそのもっとも忠実な継承者であることを知ったらどんな顔をするであろうか。
以下ではあまり時間がないが簡単に孫文の「三民主義」について紹介する。
1.岩波文庫「三民主義」の解説者によると、「『三民主義』は理論としては矛盾したところが多く、雑然としている」(参考文献2;p.244)と言う。
実は三民主義は矛盾しておらず首尾一貫している。ただ孫文の言う「民権主義」とかを日本人の使う普通の意味で解釈するとどうしようもないことになる。
つまり現在中国人民共和国憲法で使われている「民主主義」とか「言論の自由」とかの言葉を中国共産党がどういう意味で使っているかと同じ意味で読んでいけば完全につじつまが合っているのである。
1.孫文はのっけから、
「ロシアに(1917年革命により)新しい政体が発生した。この政体は「代議政体」ではなくて、「人民独裁」の政体である。この「人民独裁」の政体とは、いったいどういうものであるか。われわれの手にしている材料が少なくて、結局どんなものかを判断することはできないが、ただ、この「人民独裁」の政体は、当然、「代議政体」よりもよほど改良されたものであると思う」
(参考文献1;p.244)と言う。
またいちいち引用しないが彼は欧米民主主義を失敗とみなしており、日本やドイツの独裁体制をより優れたものと書いている。
「今まで数回お話してきたことから、ヨーロッパ、アメリカの民権政治には今日なお方法がたたず、民権の本当の道理についてまだ発見されてないことがお分かりになったろう」
(参考文献2;p.15)。
「今民権の発達したヨーロッパ、アメリカの国家では、政府に対して人民はこういう態度をまったくとっていない。だから、腕前を持った人間を利用して政府を管理させることができない。これが原因となって、政府中の人物は無能なものばかりとなっている。したがって、日本やドイツのような専制国家の進歩の早さには及ばず、むしろ民権政治のほうが遅く、民主国家の進歩のほうが緩やかな結果となっている。以前、日本は維新を行い、わずか数十年で富強になった。ドイツも元は貧弱な国家であったのが、ウィルヘルム一世とビスマルクが政治をとるに及んで、連邦を結び、緊張した精神で国事に励み、数十年ならずしてヨーロッパに覇を唱えるにいたった。だが、そのほかの民権を実行した国家は、いずれも一日千里を行く勢いの日本やドイツの進歩振りには及ばない」(同p.35)。
1.ではなぜ民主主義は失敗するのか?
人間には3種類があるからだ。
つまり「先知先覚」の人と「後知後覚」の人と「不知不覚」の人がいる。だが社会において「大部分は・・不知不覚だ」。
「最も少数なのが先知先覚である」(同p.22-23)。
ところが欧米で有能な政府ができても人民が反対するから全部失敗するのだと。
「いまヨーロッパ、アメリカの人民は有能な政府に反対している」(同p.28)。
1.ではどうするか。
「かりにいま(中国の)四億の人間が投票の方法で皇帝を選挙したとしよう。・・(すると)堯・舜(のような優れた人間を)皇帝に選挙するに違いない」つまり孫文を皇帝にするに違いない(同p.32)。
「彼らに腕前があり国家のために尽くす真心がありさえすれば、われわれは国家の大権を彼らに託し、(いちいち文句をつけるのでなく)その行動に制限をつけないで、なんでも自由にやらせるべきだ。かくてこそ国家は進歩し、その進歩を早くすることができるのである」(同p.37)。
つまり独裁政治をやらせるべきだ。
だが結局彼らが悪い政府と判明したらどうすればよいか?
そのときは「われわれ四億のものは・・その連中を罷免し、国家の大権をとりもどせばいいのである」(同p.33)。
1.だがいったん独裁体制ができた後で「国家の大権をとりもどす」とは不可能に近いことである。
孫文は民権主義は「選挙権」・「罷免権」・法律を政府に提案する権利・それを政府に実行させる権利の4つからなると言う。
ここで「罷免権」などが登場したのはレーニンのロシア革命の影響である。ロシア革命の後のレーニン時代には政府の閣僚や首相は人民がいつでもリコールできるとされた。
ところがこういう制度は、地方自治体の首長のリコールではなく中央政府の閣僚のリコールと言う制度はこれまでの歴史に例がなく、またその後もロシア革命以外ではこういう制度は実施されたことがない。
またロシアもスターリン時代になるとこういうリコール制度は廃止に成ったのである。
ではレーニン時代のロシアは非常に民主的な時代だったかと言うと逆であり、これほどむき出しの独裁時代だった例も少ないのである。スターリンの功績はレーニンのむちゃくちゃな独裁をシステム的な法に基づく独裁に改めたことだとさえいえるのである。
1.つまり孫文の場合もそうであるが、いわゆる「直接民主主義」なるものは議会制民主主義に比べ劣っており、人民の名によっていくらでもむちゃくちゃな独裁が合理化できるものなのだ。
それはリビアのカダフィ政権の例によっても明らかだろう。
つまり孫文の場合も、「罷免権」などはあくまでも独裁の手段として、また独裁政治の煙幕として考えられたものと思われるのである。
1.また孫文の言う「民族主義」について。
これは中国内の漢族・満州族・蒙古族・チベット族・トルコ族などがそれぞれ独立する権利を持つというものではない。
孫文の言う「民族主義」は「中国民族」の欧米列強からの独立のことを言う。
「中国本部は形式的には前から十八省に分かれている。このほか東三省(満州)および新疆を加えると、二十二省になる。ほかになお、熱河、綏遠、青海などの特別区域、および蒙古、チベットの各属領がある。これらの地方は、清朝二百六十年の間、すべて清朝政府のもとに統括されていたものである。明朝までさかのぼってみても、やはり各省に統一があった。さらに、元朝の時代にさかのぼっても、中国の領土は統一されていたのみか、ヨーロッパ、アジアの両州をもほとんど統一するばかりであった。・・唐朝、漢朝までさかのぼっても、中国の各省は統一されていないことはなかった。これから見ても、中国の各省は、歴史的にはもともと統一されていたものであることがわかろう。・・しかも、統一のあったときは平和であり、不統一のときは乱世であった。アメリカが富強になったのは、各省が独立して自治を行ったからではなくて、各省が連合した後一つの統一国家に進化したことにあったのである。アメリカの富強は各省の統一の結果なのであって、分裂の結果ではない。中国にはもともと統一がある以上、何も各省を改めて分ける必要は少しもないのである」(参考文献1;p.226)。
以上の点でも現在の中国共産党は孫文に忠実だと言えるだろう。
ではなぜ孫文は独裁政治を主張したのだろうか?
実際問題それ以外なかったからだ。
孫文も独裁主義者であった。坂本竜馬もそうであった。米国も独立後、貴族制の独裁国家になった。
なぜなら、工業立国しなくては再び英国が攻めてきてカナダと同盟して挟み撃ちになるからである。早く工業立国する必要があった。
そのためには国民の多数者である農民の利益を抑え、保護貿易を行うことで資本家を育成する以外なかったのである。
これに対し農民は自由貿易を支持した。そうすれば米国の安い小麦が欧州に売れるからである。しかし代わりに安い工業製品が米国に入ってくるため工業立国はできなかっただろう。
19世紀の中ごろになり米国は工業立国のめどが立った。
そこで独裁をやめこれからは民主主義でいくことになり、しかも全世界に自由貿易と民主主義を押し付ける国にならねばならぬと言うことになり、わが国に黒船が向かうのである。
いったい中国に民主主義を押し付ける人々は独立当時の米国や明治初期の日本、孫文時代の中国に自分がいたら何が主張できると思っているのだろうか?
当HPは決して人類が独裁政治にとどまることを良しとするものではない。ただシャカも独裁制度を否定したことはなく、キリスト・孔子も王政を支持している。ソクラテスは奴隷制度に賛同している。
当HPはこれらの聖人の教えをよくかみ締め、孫文・ガンジーをはじめとする偉人の教えに学びつつ、現実的にどうすれば中国が民主化できるかを責任を持って考え成功させたいと願っているだけである。
参考文献:
1.「三民主義(上)」(孫文/1978/岩波文庫)
2.「三民主義(下)」(孫文/1977/岩波文庫)
民主主義と「失敗国家」シリーズ目次[1]
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/41172734.html
民主主義と「失敗国家」シリーズ目次[2]
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/41763636.html
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