22日は衆議院議員選挙ですね。
自他ともに認めるダメ女な私でも、国・地方問わず選挙は行きます。
が。
選挙の大切さを感じたのは29歳ぐらいの時から。
それまでは恥ずかしながら
「選挙?誰に投票しても、行っても行かなくても、私の一票くらいで何も変わらないじゃん」
というテンプレのセリフを真面目に思っていました。
選挙に行く人は、選挙に行かない人が何で行かないんだろう?って、選挙に行く人は不思議に思うのではないでしょうか。
選挙に行かない人は何故行かないのか
水が平等に一人一杯ずつ配られる。
喉が渇いている人は一気に飲み干すけれども、「いらない」って地面に捨てちゃう人もいる。
「ええっ!!いらないなら私に頂戴よ!」と思っても、その水の持ち主は捨てた人であって、どう使おうと自由。
もったいない、なんで目の前にある水を粗末にするのか。水を運んできた人のことを考えないのか。
水を貰えない人や、その一杯を自分だったら大切に使えるのにと感じる人にしてみれば殴りたくなるほどでしょうね。
でも、水を捨てた人は、水の大切さなんてわからないし、ジュースの方が良いって人もいますし、喉が渇いていないわけです。
ただ「水はいらない」だけなんです。
選挙も一緒です。
私も選挙というものに興味を持ち始めたのは、世界が広がってからです。
20代の私は、仕事が忙しく、自分の生活に手いっぱいでした。
一票を入れるより、誰に投票するか考えるより、目の前の仕事をこなす方が私の手に生活費が入ってくるし、自分が一票を入れなくても、目の前の道路が荒れることも、役所が無くなって困ることもなかったわけです。
自分の生活が良くもならず悪くもならず「変わらない」。
足元しか見ていないから、投票が自分の生活に直結しないんです。
投票しなくても、自分以外の誰かがやってくれるならそれが誰でもかまわないし、足元しか見ていないから誰がやってくれているのかすら見えていないわけです。
まぁ、独り暮らししていて住所変更していなかったので、特に地方選は関係ないやと思っていたのもありますが。
それが、例えば子供を産むと「原発問題はどうなの?保育園は?」とか、沖縄に引っ越せば「米軍基地問題は?」とか、ニュースを見て「北朝鮮にはどうすればいい?」など、自分の生活に直結してくると初めて「選挙」というものに目が行くわけです。
「会社員の一人暮らしの20代女性」の時代は、社会とのつながりが「会社」と「友達」しかなかった。
けれども、生きて行けばいくほど、私のようなゆるい人間でも「母」「会社員」「自営業の夫の妻」「介護問題に直面する手前の人間」「子供会役員」などなど、いろんなつながりが出来上がっていきます。色んな組織によって自分の生活が支えられていることを実感するわけです。
幼いころは認知症の祖母のおむつがどこから来ているのかなんて考えませんでした。
結婚する前までは、保育園の問題とかに目も向けませんでした。
さまざまな社会に属すれば、選挙が生活に直結することが多くなり、一票の大切さが染みてくるわけです。
(あ、もちろん私みたいにダメダメではない人は、経験値に関わらず一票の大切さを知っていますけれども)
また、例えば選挙より寝ずに働いて仕事や社員を支える方が大切って人もいるかもしれません。それは「水」より「ジュース」が大切って思う人たちですよね。
一票の大切さを感じない人に「選挙に行こう!」といってもピンとこないのではないでしょうか。
狭い世界の人間は投票に行って意味があるか?
「知名度とか人気投票感覚で1票入れちゃうくらいなら、来ない方が良い。衆愚政治になる」って考え方の方もいます。
支持政党がある方や、真剣に国政のことを考える方は特にそう思いますよね。
まぁ、正直なところこれ、「国を良くする」と考えると一利あると思うんです。
国って、個人主義よりも全体主義の方が良い方向に行くこともありますよね。
例えば福祉とかは個人の事情を鑑みたら保育園1つも建てられないわけで。
正直、日本人の気質としては「指示に従う」方が良いって人も多い訳で、今の投票率がそれを物語っていると思います。
もちろん全体主義にするのは「個人の権利」を得た今無理ですが、資格試験合格した人だけにもう一票選挙権を与えるなどの格差をつけた方が良いのでは?くらいには思います。
けれども、若い子に「誰に入れれば良いかわからないんだけれども、投票に行った方がいいと思う?」と聞かれたら、私は迷わず「行ってみなよ、もっと気軽に」と言うと思います。
ぶっちゃけ一人一票の今の選挙制度で、どんなに思いを込めて一票を投じようが、世の中劇的には変わらないことが大半です。
自分の一票で「日本を素晴らしい国に変えよう!」と思うから、誰に入れて良いのかわからなくなるし、一票入れても国が変わらないじゃんって思っちゃうわけです。
逆を言えば、自分の一票だけで日本が転覆することもない。
自分がアホな投票をしても、そのほかにアホな投票をする人が少なければ衆愚政治にはならないわけです。
もちろん、本当は国を良くするための一票です。自分の出来る限りの知恵を絞って投票してもらえれば国はより良くなります。今の選挙制度だと、質の良い一票がたくさん入ることで良い国になります。
けれども、最初のハードル高くしてしまうと、超える気もなくなります。最初のワンステップが遅ければ遅いほど、実際に自分が選挙を身近に感じた時に、それを有効活用できなくなると思うのです。間違えたら怖いと思えば思うほど足が遠のきます。
なので、未来の質の良い一票の為に、若い人には「もっと気軽に選挙行こうよ」と言いたいのです。
投票は「自由」です
自分が一票の大切さをわかるまでに時間がかかった分、若い子に「選挙に行け!大切な一票なんだから!」と言える立場ではありません。
一票を誰に入れようが捨てようが自由に使うのが「民主主義」ですし、選挙にいくというアプローチ以外でも、仕事で成功する、ボランティアに協力するなど別の方面で国に貢献したり良くすることは出来ると思いますしね。
現在は18歳を越えれば一人一票なのは変わりません。衆愚政治であろうが、人気投票だろうが、候補者を吟味する時間がなくて自信のない票だろうが、自分の一票をどこに入れても私は良いと思うんです。
投票率を上げるというのは政治家がやる気を出すから一票どこかに入れようってだけでも良いし、こいつだけはなってほしくないからライバル候補にいれてやろうってのでも良いし、マッチングサイトで出た結果をそのまま投票するのでも良い。
もちろん白票でも棄権でも自由。
少しだけ、選挙というものを遠い存在ではなく身近に感じてもらえればと思います。