家の中でコーラを流し込む。
次第にぬるくなってくると、美味しくなくなる。
本当はもっと有意義なことをするべきなのだろうが、高校時代の同級生のツイッターを見る。
彼らは今頃何をやっているのかと。
ご丁寧にも、早稲田大学とか慶應大学にご進学された顔のいい女の子達は鍵垢になっている。
やはり、自分自身に価値があり僻みでも買うとでも思っているのだろうか。
別に、それ以上の詮索はしないし、する気もない。
彼女達がどうして早稲田大学とか慶應大学に行けたかと思えば彼女達が優秀だったからだろう。
容姿が良くて、自尊心をチャージできた。教師からも嫌な顔をされなかったり、記憶力があったのもあるだろう。
こう思うと、人間というのは全て自身の身体と環境が作り出すのかもしれない。
保守王国出身の保守的な奴がいるが、彼は理屈的で自我が云々気になるとか言ってた。
それを聞いた教授は人間の中身は時代が作るから気にすんなと返したのを思い出すと。
保守的な考えなのも彼の考えというよりは育った環境なのかもしれない。
もし、自分が慶應大学にでも行けるイケメンだったらもっと有意義なことをやっていて、もっと前向きな人間だった筈だ。