どうも読書大好きたんたん(@tantan4423)です。
最近アマゾンプライムで『Prime readng』というサービスが始まって、僕がいつも読書するスマホでもKindle本が読み放題になって発狂しています。
以前まではKindle専用の端末にしか受けられない読み放題のサービスだったのですけど、このサービスが始まったおかげで僕の読書ライフは今までに比べて更に加速しそうですね。
早速本をダウンロードして読んでいるところです。
こちらの本を今読んでいますけど、僕達が信じている事が根本的に崩される本で読んでいて為になります。
興味ある方は読んでみてください。
ということは置いといて、今回はタイトルに書いてあるとおりのことなんですけど、人から趣味を尋ねられた時に「読書です」って答えるとだいたいが「凄いね。知的なんだ」みたいな事言ってきます。
読書好き=知的というイメージをそろそろ辞めていただきたい。
ということをこの記事に書いていきたいと思います。
このブログみてみろよ・・・知的とは程遠いだろ??
僕はけっこう読書をする人間ですけど、こんな感じの知的とは程遠いような記事を書いています。
今では読書をしなくてもネットを通じて素早く情報を収集することができる時代なので、一概に読書=頭いいみたいなことも言えなくなったのではないかと思います。
そもそも趣味でその人に優劣をつけようとする風潮っていうかそういうのがどうかと思ってしまうんですよね。
あくまで趣味だぜ??別にその人がどうやっていようが別にいいと思いますけどね。
僕の場合は読書していると言われて、このような反応をされちゃうとハードルが上がってしまうような気がするんですよね。
難しい漢字が分からなかったりすると「読書してるんじゃないの??」とか言ってくんだろ??
はい。ゴミゴミ。海の藻屑となれ!!
ぶっちゃけそういうことがあると思うだけで人に自分の趣味を言うのってデメリットが多いな。
仲間を見つけた時は良いけど、そうじゃない場合はいった人が損しちゃうわけだしな。
蓄積される情報はあるけど、それを外に出す能力も求められる
本を読んで情報やいろんな考えに触れたところで上手に外に出せないといけない部分があるんですよね。
特に対人になったときはいかに会話の引き出しやそれをすぐ引き出せるかということが大事になってくる。
僕の場合はたくさん本を読んで蓄えたことはあるけど、それを偉ぶるのが何か嫌だから出来るだけ引き出さずにこのブログで出来るだけ出すようにしている。
後読んでいる本もけっこう生き方みたいなものが多いので知識を蓄えるというよりかは生き方の選択肢を増やすという意味で読んでいることが多い。
仕事に関する本はあまり読まないのでそこの部分は浅いようなきがする。
いくらインプットしたところアウトプットしないと結果や自分自身のスキルに結びつかないから現実でももっとアウトプットしていきたいけど、なかなか共感してくれる人が居ないため効果がうすそうだ。
だからネットでボソボソ発信しているようなものだ。
読書好きがみんな学校の教科書みたいな教養が鍛えられる本を読んでいると思ったら勘違いだ。
読む本によって教養もまちまちだし、それを一つにくくって本を読む=頭いいみたいな勘違いはやめて欲しい。
お前も本を読んでみよって言いたい。
ただ読書をすることによって人生の選択度を広げることができると信じている
僕に関しては生き方に関しての本をよく読むこともあるけど筆者の考えに触れて生き方の選択肢を増やせるという部分はたしかにあって、僕は本を読むことによって救われた部分は大きい。
田舎にいると狭いコミュニティーに属してしまい、生き方の多様性をあまり感じられない。
僕は田舎者ほど多くの人の考えに触れるべきだと思っていてブログや本を読むことをオススメしている。
少し話が変わるけど、地方へ移住してきた人たちに対してその地に住む人の理解が薄いということがある。
それも田舎という場所が人と関わることが自然にすくなるなるので多様的な社会を生きていないと言うことが原因にあると思う。
あらゆる考えを持つ人とリアルで接していないからこそ外部の人を受け入れないみたいなことが起こるから、本やブログを余計読むべきだと思う。
というように本によって様々な考えを吸収して「世の中にはこんな人がいるんだ」と言うことを知るだけで、他人に対して少し寛容になれるような気がする。
それだけでも読書をする価値はあると言っておくけど、まぁ趣味の問題なので自由だと思っている。
結論:趣味に優劣もないから勝手なイメージを付けないで欲しい
勝手にハードルを上げて期待しちゃうのはマジ勘弁ですね。
趣味なんだから、別に優劣もないし、趣味で人を判断すること自体ナンセンスだと思っている。
と勝手に嘆いてみました。