先週のコラムを読んでいただいた方はお分かりでしょうが、もともと僕は小保方さんにかなり同情的な立場を取っていました。

理由は簡単です。

「もっと正確に聞き取り調査をしてほしい」
「『ねつ造』なんてしていない。ただのミスです」

と訴える小保方さんに1年前の自分の姿が重なった気がしたのです。何より、真相が分からない状態での一方的なマスコミリンチ・メディアリンチは見ていて気持ちのいいものではなかったのです。

理研は特別法人の指定を間近に控えていました。法人指定になると税制面での優遇をはじめ、様々な有利な状況が舞い込みます。そんな中、騒動を巻き起こした小保方さんはきっと疎ましい存在だったのだろうという気もしました。トカゲのしっぽを切り捨てるように、

「悪いのは小保方ただ一人!」

と言い切った理研には正直…失望しましたし、なんて薄情で情けない組織だろう…という思いを持ちました。同じように感じた人は少なくなかったようです。

さて、そんな中、ついに先週水曜日に小保方さん自身が会見に臨みました。2時間半以上という長時間にわたり、記者たちや“出たがりのインタビュアー”達のくだらないねちっこい質問に答えていました。
大したものでした。あれだけ長い時間、質問攻めにされると、精神的に厳しいと思います。でも逃げずに、しっかりと受け答えしている姿を見て、小保方さんを信じてみよう、という思いを強く持った方もい多かったようです。

さて、では僕は?って話なんですが…

正直に話すと、思っていた会見内容とは違ったため、少し小保方さんをはじめ今回の一連の騒動の受け止め方を変えようかと思い始めているというのが正直なところです。

まずは先週、僕のブログに届いたコメントの中からハンドルネーム「コアラ」さんの以下のメッセージをご覧ください。

「今までミーハー心でこの件に関するいろんな記事や意見を読んできたのですが、
私の中でなんとなく結論が出ましたので報告させてください(笑)

多分この件、STAP細胞があるかないか以前の問題なんです。
“ある”ことを証明するのはたった一つの事実なり証拠を示せばいいですが、
“ない”ことを証明するには無限の可能性を端から検証しなければならないですよね。
(これを「悪魔の証明」と言うらしいですが)
STAP細胞があればそれでいいのですが、もし、なかった場合は?

今回の論文は“ある”ことを証明するにしてはやっぱり杜撰すぎるんです。
疑わしいところがいくつも出てきてしまっていて、
もはや論文の体をなしていないとも言われている状況です。
ですからSTAP細胞があるのであれば、もっと正しい確かな証拠を示すべきなんです。
今回の小保方さんの会見でもはっきりとしたものを提示するようなことはされなかったようですし。
というわけでやっぱり論文を撤回するのが最善の方法だと思います」

うーん…実を言うと、僕の意見もコアラさんの意見にとても近いんですよね。あの会見を見て、小保方さんを応援しようと考えた方々には申し訳ないんですけれど、僕は全く逆の印象を持ちました。まず、コアラさんの意見の中で重要なのが…

もし本当になかったのであれば「STAP細胞がない」と証明するのは不可能なこと

という点です。これは間違いなく正論で、理研は「ない」と証明することは不可能に近いのです。今回のケースで言えば、小保方さんの方が
「STAP細胞がある」
と主張しているわけですから、小保方さんに「ある」証明をする義務があると僕は見ていました。そして、その中で注目すべき発言が飛び出したのです。
「私は200回以上確認してきました」
僕はこの発言に少し違和感を感じました。



僕もいわれなき冤罪をかけられた経験があります。
“長谷川は会社のお金を取ろうとしていた!”
“業務上横領犯だ!”
全く身に覚えのない嫌疑でした。僕はそれを否定する証拠も持っていました。会社に提出もしました。何故自分がそうやって裁かれるのか分かりませんでした。しかし、悩んでいることは時間の無駄でした。僕は

考え方を変えることにしました。

「証拠を持っている人間は、それを提示する義務がある」と思い直すようにしたのです。“証明”さえすれば、世間は信じてくれるはずだからです。

(続く)