記事タイトルはアメリカの作家・マーク・トゥエインの言葉。
「ひたすら忍耐!」でないところが人間臭くて好きです。
過去記事の通り、私は怒るということは基本的にあまりしませんが、イラっと&モヤっとぐらいは多少なりともあります。言わない方がいいことぐらいは分かっていても、毒は吐き出したくなるもの。
今日は怒りそのものより、時間と毒抜きについて考えてみました。
時間がお薬
百とは言わずとも「相手の言っていることにモヤっとした疑問を感じたら4秒待つ」というマイルールを設けています。そうするとモヤっとのピークは大体過ぎています。怒りに時間の猶予を取ってあげましょう。
よく聞く「時間が解決してくれる」という言葉は、これ自体はもっと長期的なものに向けられたものかもしれませんが、言い得て妙。まずはそっと我慢。
百数える間に
むしろ百数えてる暇があったらもっと他のことします、という方向に誘導してくれてるんじゃないだろうかと思いたくなる言葉でもありますが、時間は有限。
数えている間にできることがあるとしたら、自分の解釈に誤解はなかったかの再確認ぐらいでしょうか。
または直面している怒りと全く別のこと(好きなおでんのネタとか宝くじ当たったら何買おうとか)を考えていると次第にどうでもよくなってくることが多いのは私だけでしょうか。
毒づく→「毒出し」という解釈
言葉を「毒出し」に変換すると、より平和的な印象。
毒だし方法として、「不満やモヤっとなど、自分の感情を紙に向かって書き出す」というような意見もネットで見かけましたが、一瞬でも文字に残ること、文字にする時間を考えると、私は誰かに話を聞いてもらうというあっさりした手法を選択しています。
受け止めてくれる相手への感謝、相手の心理状態への配慮はもちろん必要ですが、話しているうちに出来事を客観視できることも多いです。
愚痴は必要
愚痴にはネガティブな要素もたくさん含まれています。「マイナスな発言はしない方が良い」というのも精神衛生上は理解できる話。私も同じ意見です。
ですが生きている限り、弱音や愚痴は出て当たり前だとも思っています。吐き出したい、誰かに聞いてほしいという感情から発生するSOSのようなもの。長い間ネガティブな感情を保持したり、爆発するよりは良い気がします。
まとめ
毒づくと言っても直接的に相手を罵るような言葉を使うのではなく、自分なりの毒抜きの方法を心得ていると後腐れがなくて楽ちん。
今この時間だけ毒を吐くと割り切って、賢く愚痴った方が良いと個人的には思っています。
もちろん頻度は控えめに。
本日の名言。
怒りは一時の狂気である。だからこの感情をおさえなければ、怒りが諸君をとっておさえることになる。
ホラティウス