元・裸のラリーズのメンバーにして、よど号ハイジャックで北朝鮮に渡った若林盛亮氏の電話インタビュー。ネットで無料で読むのが申し訳ないくらいの濃い内容で、インタビューアーの知識も素晴らしい。
自分は裸のラリーズのことは全然詳しくないけど、元メンバーである高橋ヨーカイさんに会ったことがある。というか、家に遊びに行った。なにぶん、古い記憶なのであいまいな点が多いが、おそらく2003年前後のことだとおもう。記憶違いがあるかもしれないが、せっかくなので書き留めておこう。
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杉並区の方南町に住んでた頃、ギャンブルライターの畠山直毅さんから「知り合いの女の子のパソコンを直してほしい」という電話が。
待ち合わせの高円寺駅に行くと、自分と同じ年くらいの女性が待っていた。
「『けど』です」
名前が「けど」というらしい。もちろん本名ではなく、なんでも「けど」って否定するのが口癖だったので、そのままあだ名になったとか。
「けど」に案内されたのは、高円寺駅からほど近い、昭和で時が止まってしまったかのようなボロアパートの一室。
そこにいらっしゃったのが高橋ヨーカイさん。
アパートはヨーカイさんの家だった。
「けど」がいうにはヨーカイさんはすごい人で、「裸のラリーズ」という伝説的なバンドのベーシストだったこと、「アド街ック天国」の高円寺編に町の有名人として出たことなどを話してくれた。正直、見た目はホームレスのような風貌だったけど、言われてみればオーラがある感じもしてくる。
部屋にはヨーカイさんが書いた大量の謎の文章が散乱しており、「けど」はそれをホームページに載せる作業を自主的にしているということである。その作業用のパソコンが壊れてしまったらしい。
(ググってみたけど、ヨーカイさんのホームページいまは存在していないようだ。そもそも完成したのであろうか……)
ヨーカイさんは初対面の若造である自分にも気さくな人で、「今は生活保護で暮らしている」と言いつつも、同世代で同じ神奈川大学出身の浜田省吾を意識していて、「還暦までには逆転する」といったことを半ば真面目に語ってくれた。
その後、ヨーカイさんが参加していたギャーテーズのライブを観るなど、何度かお会いした機会はあったとおもうが、記憶には残っていない。
Twitterで一時、ヨーカイさんが亡くなったという噂が流れて驚いたが、すぐにデマとわかって一安心したことはあったが。
「けど」のパソコンを直せたかどうかは覚えていない。