今や、中世の王たちはもちろん、はるか昔に死に絶えたネアンデルタール人のゲノムまでも解析できる時代になった。こうして明らかになったことが、われわれ人類の物語を書き換えていると語るのは、著書『A Brief History of Everyone Who Ever Lived(生きてきたすべての人々の簡潔な歴史、未邦訳)』を出版した英国人遺伝学者アダム・ラザフォード氏である。そこには、予想もしていなかった驚きの発見があった。
――古遺伝学は、これまで信じられてきた人類の歴史を大きく塗り替えていますが、詳しく説明してください。意外な新発見もあったそうですね。
DNAを単にデータ保存装置と考えるなら、それが保存するデータは、生物情報です。ヒトでいえば30億の文字があり、2万個の遺伝子をもっています。古遺伝学とは、はるか昔に死んだ生物のDNAを研究する学問です。この技術が開発されたのはここ10年ほどで、本格的な研究はまだ5年ほどという新しい分野です。
興味深いことに、DNAはデジタルディスクやテープなどよりもはるかに安定しています。条件さえ整えば、DNAはヒトや有機体の骨の中に数十万年も留まることが出来ます。それを取り出せるようになって、数十万年前に死んだ生物のゲノムを研究することも可能になりました。(参考記事:「ゲノム編集でヒト受精卵を修復、米初、将来性は?」)
最初の転機は、2009年に訪れました。ネアンデルタール人の骨からDNAを抽出することに成功したのです。こうして私たちとは別の人類の全ゲノム配列が決定され、古生物学者の長年の謎が解明されました。現生人類(ホモ・サピエンス)はネアンデルタール人とどう関わっていたのか、異種交配はあったのか、といった謎です。
異種交配は、確かにありました。ネアンデルタール人のDNAには、ホモ・サピエンスのDNAが含まれ、ホモ・サピエンスのDNAにもまた、ネアンデルタール人のDNAが含まれていたのです。ヨーロッパ人には、ネアンデルタール人のDNAが平均して1~2%含まれています。また、高度な統計とコンピューターモデルを使って、互いのDNAがいつの時点で相手に入ったかもピンポイントで特定できます。これを「遺伝子流動」と呼んでいますが、早い話が種を超えて性交渉があったということです(笑)。(参考記事:「ネアンデルタール人と人類の出会いに新説」)
2010年には、さらに思いがけない展開がありました。ロシアのデニソワ洞窟で、10代の少女の指先の骨と臼歯が見つかったのです。たったこれだけでも、全ゲノムの解読には十分でした。そして、この骨がホモ・サピエンスでもホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)でもなく、それまで全く知られていなかった別の人類のものであることがわかりました。(参考記事:「デニソワ人 知られざる祖先の物語」)
この人類は、デニソワ人と名付けられました。現生人類と同じヒト属(ホモ属)ですが、現生人類でもネアンデルタール人でもありません。それまでに知られていたどの種とも異なっていました。そして、現生人類はデニソワ人とも異種交配していたことがわかりました。東へ行けば行くほど、ネアンデルタール人よりもデニソワ人のDNAの方が、現生人類のなかに多く残っています。(参考記事:「人類3種が数万年も共存、デニソワ人研究で判明」)
さらにこれは、不思議な話でにわかには信じられませんが、異種交配があったとわかっている3種(デニソワ人、ネアンデルタール人、現生人類)のDNAの量を分析すると、どうもつじつまが合わないのです。どうやら、まだ骨やDNAが発見されていない第4のヒト属のDNAも、私たちは受け継いでいるのではないかと考えられます。もうひとつのヒト属の影、その痕跡が、私たちの中に今も残されているのです。
――現代に早送りしましょう。米国では、つい最近もバージニア州で暴動事件があったように、人種問題がいまだ根強く残っています。DNA研究が私たちに教えてくれることはありますか。
人種の違いは、遺伝学的には些末な違いにすぎません。黒人、アジア人、白人といったように、人を人種という大まかなくくりで分けるのに通常用いられる特徴は、ほとんどの場合、肌の色であったり、顔立ち、髪質といった特徴ばかりです。
けれども、世界中の人間の全ゲノムを見ると、これらの違いは人と人との違いのなかのほんのわずかな部分でしかありません。例えば、アフリカ大陸のなかだけでも、遺伝子の多様性はその他の全世界を合わせたよりも大きいのです。エチオピア出身の誰かとスーダン出身の誰かの遺伝子を比べてみると、そのどちらか1人を地球上の他のどの地域出身の人と比べた場合よりも、その違いは大きいでしょう。(参考記事:「世界の「雪男伝説」をDNA鑑定してみた」)