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立憲民主党が肝心の「立憲主義」を勘違いしてどうする

いつまでガラパゴス議論を続けるのか

果たして日本はこれからどうなっていくのか。今回の衆議院選挙の間が抜けた様子を見ていると、将来を不安に感じざるを得ない。

政党政治が機能しているように見えない。掲げられている政策を見ても、抽象的なスローガンのようなものが多く、説得力がない。今、日本の政治は、どうしてこのような状態にあるのか。そこから考えてみる必要がありそうだ。

 

「万年与党」と「万年野党」に逆戻り

2017年衆議院選挙は、野党第一党であった民進党が、内部崩壊を起こしたきっかけとして記憶されそうである。

日本では、かつて「55年体制」が永遠不変の政治体制であるかのように感じられていた。しかし冷戦が終焉すると、わずかな期間の迷走の後、社会党があっけなく瓦解してしまった。

代わって現実的な中道路線を掲げて結成されたのが民主党であった。しかし民進党は、政権担当時の迷走を清算する余裕もないまま、新たな敗北の恐怖に耐えることができず、瓦解してしまった。

私に言わせれば、日本では、冷戦体制の崩壊にともなう「55年体制」の崩壊の過程が、行きつく先が見えないまま、延々と続いている。ただ崩壊の過程だけが続いている。

「55年体制」とは、万年与党の自民党に対し、万年野党の社会党が、国会の三分の一程度の勢力だけを維持し続ける1対0.5の勢力関係の「1.5大政党制」であった。高度経済成長時代以降、安定化した日本の政治は、「国対政治」「談合政治」といったものに陥っていった。

自民党の政策に怒ってみせる社会党が、強硬採決に反対の乱闘パフォーマンスなどを見せたりするが、それも織り込み済みで、自民党が、粛々と国会運営を進めていく。

万年与党化した自民党は、イデオロギー的な特徴のない国民政党となる一方で、真の権力者の決定過程である党内部の派閥抗争を激化させた。

2017年の「希望の党」に象徴されるように、1990年代以降に乱立した小政党群は、ほとんど自民党に対抗する政策的対抗軸を持ちえなかった。そのため「日本新党」「さきがけ」といったイデオロギー性のない名称の党が群雄割拠していったのである。

それをしり目に、国民政党たる自民党は、特定の政策的イデオロギーからは自由な万年与党として、時代の風潮にあわせる政策的転換を模索し続けてきた。

この閉塞した状況が、「アベ政治を許さない」といったことを叫ぶだけに見える野党の栄枯盛衰を生み出し続けてきた。

万年与党に対して万年野党が何か言うことがあるとすれば、「健全な野党が与党の暴走を監視する」、といったことだけであり、万年野党が多少でも獲得票を伸ばそうとするのなら、「今の首相は本当にひどいぞ」と叫び続けることだけなのだ。

しかし政権について政策をテストされる可能性がなく、目標が「権力を制限する野党」になることだけなら、野党はそれで立派に役割を演じたことになる。

ただし「55年体制」下であれば、与党と野党の関係は、三分の二以下vs三分の一以上で、野党が「改憲」を阻止することだけはできる勢力を維持していたことが、「体制」の硬直化を招いた。

今は、「55年体制」の崩壊が続いていて、野党は三分の一勢力を維持することも困難である。いずれさらなる変化は不可避になると思われる。

しかし、未だ変化は起こっていない。人間の社会というものは、変化が不可避に見える場合でも、実際に変化するまでには長い時間を要するものだということだろう。このどちら付かずの感覚が、現在の日本政治に対する行き詰まり感の原因と思われる。