今回は「時短勤務で肩身が狭い自分の心の葛藤・ジレンマと、心掛け」のお話です。
娘の育児に関する記事ではなく、私の仕事に対する姿勢や考え方などについて心の葛藤も含めて徒然に綴ってみます。
よろしければどうぞお付き合いください。
時短勤務で肩身が狭いワーママの心の葛藤
(おひさま、なかなかでてこないねぇ...なヒトコマです)
朝一番の日課は「今日もだいすき、おはよう♡」といいながらの娘とのハグです。
癒やされるハグで気持ち良い1日のスタートを切れるはずが、どうしても、どうあがいてみても心がずーー・・んと沈んでしまう日があります。
人間ですもの、気分があがったりさがったりするのはツキモノ。
できれば穏やかな心で日々を過ごしたいし、程よい疲労を感じながらフカフカお布団に入り、充実した気持ちを持って一日を締めくくりたい。
でも、そうは問屋が卸さない~な時もあるのです。難儀なことです。
なぜ、こうも気分が下がってしまうのか。。
新米ワーママとしての家庭と育児、仕事とを回すサイクルもなんとか軌道にのってきたものの、パッとしない私の曇った心が黄色い点滅信号でアラームを上げているおります。
育児・仕事・家庭。どこかに皺寄せがきてしまう現状、ジレンマ
育児、仕事、家庭のバランスを自分なりに保とうと努力はしているのですが、比重的には「育児>仕事>>家庭」のようなバランス具合です。
「家庭」といっても義両親・両親ともに健康で介護ケアなどもなく離れて暮らしているので、主人と娘、私の3人だけの家事や炊事が主だったものでそれほどまでに負担は感じていません(炊事の負担は高いけれど、ルーチン化したり手抜きしたりで乗り切ってます)
いまの自分の黄色信号の原因は「仕事」に対する、中途半端さ、です。
頭では分かっているけれど、割り切れない気持ちを抱えて毎日を送っていると、どうしても心が疲弊してきてしまうのです。
ストレスの根っこにある「仕事での中途半端さ」を紐解いてみます。
フルタイム勤務ではなく時短勤務を許可頂いている時点で、職場の同僚や上司にはかなりの理解をして貰っています。
それに加えて、娘の急な発熱などで保育園からのお迎えコールで早退させて貰うこともあり、本当に申し訳ない気持ちにもなったりします。
そうなのです。1つ目の要因は「周りへの気苦労」のようなものです。
自分の勝手な思い込みも含めてですが、周りへの負い目、のようなものがあるのです。
次に、新しい仕事の性質的に合う/合わないストレス。
実際には今の職場では、突発的な依頼や期日逼迫で資料を纏めたり、他部門と調整して報告が求められたりするものが多く、時短勤務で残業も基本的にはNGな私には常に期限に追われている感が高いのです。
自分だけで完結する範囲が広い仕事であればいいのですが、他部門絡めての調整だと先方からの返答次第で左右されることも多く、時間が読み難く、かつ、残業も出来ないとなると厳しいものがあります。
効率的にもっと業務を進めていければ違うのかもしれませんが、、、(T^T)
ここまで進めたので後はお願いします、という形で引き継ぐというのが多いのが現状です。
娘とずっと向き合ってきた育児だけの毎日から、
今度は社会に出て働き、仕事を通して自分を磨くような時間を持てるようになった今、もっと頑張りたい、もっとちゃんと仕事に取り組みたい意欲のようなものが芽生えてきました。
でも、うまくハマらない現状に中途半端さを感じて、モヤモヤしてしまうのです。
子どもを抱えながらでも、メリハリを付けて仕事をきっちりこなし、育児との両立をちゃんとできている方も数多くいらっしゃいます。
本当にすごいことだと思います。それだけの力量と気力などを持ち合わせていらっしゃるのでしょう。
対して、自分は・・・、とネガティブモードに入ってしまうと負のスパイラル思考に陥ってしまうので、あえて考えないようにもしたりしています。
自分は自分。
自分に合ったペースとやり方を模索して、カメさんのような歩みでもいいのでやり抜いていければ、いつかはモヤモヤ感もなくなるかもしれない、と言い聞かせている日々です。
娘と主人の存在や言葉が「私もがんばろう」という動力源になる
(こーんなところに、おばけかぼちゃ、はっけーん♪)
ウマの鼻先に人参をぶら下げて走らせる...な諺のようなものがありますよね。
きっと誰しも、キツイことなどをやり続けるには何かしらの動力源が必要なはずです。
美味しいごはんや娯楽や趣味の時間、ホッと一息つける甘いもの...など。
私にとっては、娘と主人の存在や温かい言葉が「がんばろう」という今の私の動力源になっています。
主人も同じように「私と娘が頑張ってくれているから俺もがんばる」ということをよく伝えてくれます。夫婦間で良い循環になっていると感じます。
仕事でシンドイなぁ...と感じる時には、スマホの待ち受け画面にしている娘と姉と一緒に行ったディズニーランドの写真を眺めて気力を高めています。
そう、娘も頑張ってくれているから私も頑張らないと、と。
3歳の娘を育てながら、近くに頼れる親族がおらず共働きするとなると、必然的に朝早くから夕方遅くまで保育園に娘を預けることになりますよね。
1日の大半を保育園で過ごすというのは、ルールや規律も多いので心理的なストレスなども高くなるので、そんな中で娘はとてもよく頑張ってくれています。
本当に花丸満点、五重丸。
お友達や保育園のカリキュラムを楽しんで充実した一日にもなっているようですが、やはり、寂しくもなったり、金曜日などには疲れも溜まってくるようです。
「ママもおしごとがんばってるから、さわたん(娘の愛称です)も泣かないでがんばるの」
と、園長先生にギューっとハグしてもらいながら娘が話した会話を、夕方娘を迎えに行った先で教えて貰った時は、思わずホロリときました。
「そんなに無理しないで、寂しくなったら先生にギューってハグして貰っていいんだよ、さみしくなっちゃったの~って言っていいんだよ」と伝えると、
「ママにギューってしてもらいたいの。でも、先生にもギューして貰えるとうれしいの~♡」と娘。
娘がクチにしている言葉の真意をどこまで理解できているかは分からないのですが、語った言葉をそのまま受け留めると胸がジーンときます。
娘や主人の存在や言葉が今の私の動力源です。
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肩身が狭い新米ワーママなりに心掛けていること
(よいしょ、よいしょっ。ママー、トンネル楽しいね~♡)
とくだん、ワーママだから~、という訳ではないのですが、会社勤めを始めてから心掛けてきたことがあります。
時短勤務で肩身も狭い新米ワーママとなった今は、仕事をできる環境を与えて貰えていることに有難さを感じており、以前にも増して意識掛けているのでご紹介してみたいと思います。
「目配り・気配り・心配り」の心掛け
目配り・気配り・心配り、というフレーズをご存知な方も多いのではないでしょうか。
冒頭では「周りへの気苦労」 がある旨を書きました。
必要以上に神経をすり減らすような働き方は望んでいませんが、周りへの「三配り」は意識的に心掛けています。
相手にとって負担になるような気遣いではなく、さり気なく配慮できているのが理想です。
少し抽象的なのですが、目配り・気配り・心配りについて綴ってみるならば、
○相手や周りがどんな状況であるか、細かなところまで「目を配る」
○目を配り気付けたことから、先を読み、時と場合に応じた行動をとれるように「気を配る」
○受け手がどのような気持ちになるか、相手の立場になって考え相手を思い「心を配る」
という具合になります。
うーん、ちょっと分かり辛いですよね。
自身の仕事で置き換えてみると、具体的には、
職場の上司やチームや同僚などの業務タスクと一日のスケジュールをザッと把握しておき、自身の業務を進めながらでも周りの様子などを見ながらフォローが必要そうであるかなどのアンテナを張っている感じです<目を配る部分>。
上司や同僚、チームからの依頼された案件については、目的を踏まえたうえで、指示されたものにプラスαできる事柄を付け加えるものがないか、漏れ等がないか再考するなどして、極力は求められる以上のもの=付加価値を付けて返答するようにしています<気を配る部分>。
<心を配る部分>は少し違っていて、業務をただ淡々とこなすだけでなく、相手の立場になり自分だったらされて嬉しい事などを意識することです。
本当に何気ないことかもしれませんけれど、「得意先へ気を付けていってらっしゃい」「外回り、おつかれさまでした」「残業続きですが体調などは大丈夫ですか」などの相手を気遣うちょっとした挨拶などが一例です。
自分に対して思いやって貰えたり、気遣う言葉を掛けて貰えるとうれしいですよね。
仕事への取り組み方に対してモヤモヤしてしまっている現状ですけれど、
ここで腐ってしまわないように、今できること、良いと思えることを小さくてもいいのでコツコツ地味~にでもマイペースで続けていきながら、自分の中でうまく折り合いを付けたいと考えています。
でも・・・。
本当にダメだと感じたり、違う道を模索してもいいかな、と強く思うことができた時には、新しい一歩に進んでもいいのかな、、と揺れ動いたりもしています。(どっちつかずですみません)
最後に、賛否あるかもしれませんが、自身に強く響いた「置かれた場所で咲きなさい」 という書籍をご紹介します。
当時はかなり話題にもなった本なので、ご存じな方も多いことでしょう。
「どうしても咲けない時もある。そんな時は、下へ下へと根を降ろしなさい。」というフレーズは自分の内面を見直すキッカケにもなりました。受け留め方は色々あるかもしれませんが、自分の生き方、考え方を少し省みる機会に繋がる本だと思います。
まとめ
新米ワーママの心の葛藤と、心掛けについてのお話でした。
娘を育てながら、社会に出て、何かしらの労働・仕事をできる環境や機会を与えて貰えることは本当に有難いことだと思います。
ストレス社会と言われる今ですけれど、自分の理想や夢を叶えるためには、その叶えたいものの対価的な形で、何かしらの犠牲やストレス、負荷が求められるのかもしれません。
子どもを授かり、成長する姿を間近に見れる喜びを得ながら、温かい家庭を築きたい、自分の向上心や自己実現要求も満たしたい、というのは欲張り過ぎなのかもしれません。
正解がないし、これから先も悩んだりクスぶったりする局面が出てくるのでしょうね。でも、きっとこんな心の葛藤があってもいいのかな、繰り返し繰り返しながら、私も娘のように成長していけるのかもしれません。
同じような境遇でいらっしゃる方などへ向けて、心からのエールと「今日も一日本当におつかれさまでした。よく頑張りましたね」という言葉をお送りします(*^^*)
最後まで読んで下さりありがとうございます。