モノがふえる喜び
シンプルな暮らしを志すために始めたこのブログで、
モノが増える喜びについて書くのは初めてのことだけれど、
大切にしたい価値観が緩やかにシフトし、
モノへの感情も徐々に変化している。
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思い出はモノとともに
トランクひとつでNYに来て、もうすぐ6ヶ月。
誰一人知り合いのいなかった街に、
馴染みのコーヒーショップができ、
"Hi"と気軽にいえる人がふえ、
少しづつ生活に彩りらしきものができたとき、
それを支えてくれたのはモノだった。
昔はとにかくモノにまつわる思い出を捨てきれず、
あらゆるものを溜め込んでいたので、
モノごと捨てて「キレイさっぱり」と
暮らすことを理想としていたし、
「モノは思い出の住処じゃない」
と考えていたのだけれど、
事実、よその国に移り住み、
その土地で知り合いができ、
ささやかなギフトをもらったり、
お気に入りの靴で街を歩いたり、
初めての経験に胸をときめかせたりすると
それにまつわるモノに愛着が湧いている自分に
気がついた。
モノと成長
モノがふえるよろこびを感じながら、
これは「成長」と密接につながっているんだなと
感じた。
生まれ育った街。
いつもの通勤電車から見る景色。
昨日と大して代わり映えしない自分。
目の前のグレーな世界で、眩しく感じるられものは
ほんの一握りの大切なものだけで、よかった。
小さなアップデートしか繰り返さない毎日に、
たくさんのモノは必要なかったからだ。
現在の暮らしはというと、1ヶ月前の自分と
今日の自分さえも大きく変化していて、
できなかったことができるようになり、
新しい言葉やこの土地のルールを覚え、
自分の中の価値観さえも日々めまぐるしく変わっている。
モノが増えるよろこび
以前の私が、季節の変わり目に
くたびれた服だけを買い換える大人だとしたら、
現在の私は、毎日が成長期の赤ん坊で、
少し前に買ったベビー服があっという間に着られなくなる、
そんな成長を遂げているのかもしれない。
だから、モノが増えるのは一種の「成長の証」と
前向きに捉えるようにしている。
正直なところ、ときには“成長痛”みたいなものを
感じないこともないけれど、
それらをひっくるめて、毎日が喜びに満ちている。
たいがいの「大人」というのは、
誰かの成長を感じるのが大好きな生き物だから
モノを通して、自分の成長を感じること。
これほど嬉しいことはない。