「ツイッター有名人」が味わう天国と地獄とは? フォロワー数10万超の人気アカウント「たられば」さんを直撃!
- 2017年10月18日
日本のツイッター史上、最も有名な(匿名?)動物の一匹かもしれない。上の写真で男性の顔に重ねられているのは、フォロワー数10万を超える有名ツイッターアカウント「たられば」さん(@tarareba722)のアイコンの犬である。そしてお気づきのとおり、このシャツを着た男性が「たられば」さんその人だ。
漫画やアニメから、古典文学、政治、社会問題まで……。日々さまざまなテーマでキレのあるツイートを繰り出し、数千、数万の「RT(リツイート)」や「いいね」を記録することも珍しくない。フォロワーには西原理恵子さんら人気作家や糸井重里さんら文化人まで、著名人がずらりと並ぶ。
編集者ということ以外、謎に包まれた「たられば」さん。ツイッター有名人としてどんな経験をし、今なにを考えているのだろうか。ご本人を直撃した。
当初の「たられば」さんはヒールキャラクターだった?
――本日はフォロワー数10万を超えるアカウント「たられば」さんに、ツイッター有名人というテーマでお話をうかがいたいと思います。よろしくお願いします。
そう言われるといまだに照れるのですが……どうぞよろしくお願いいたします。
――まず「たられば」さんは情報価値の高いツイートをすることで有名です。例えば、犬に与えてはいけない食べ物のまとめや、『東京防災』のPDFデータのダウンロードを勧めるツイートは、それぞれ5万超、9万超のRTを記録しています。日頃から人の役に立つ情報の発信を心がけていらっしゃるのでしょうか?
そうですね。そういう情報がツイッターで求められていて(たくさんRTされて)、それを届ける作業が比較的自分に向いていたんだと思います。編集者という職業柄、世の中に点在する情報をまとめてそれに見出しを付けるのは得意なほうですし、その面倒な作業をバカバカしいと思わずにできる。そしてなにより性癖の点で、そういうお役立ち系の話や世の中がちょっとマシに思えるような話、ちょっと勉強になった気分になれるツイートのRTが伸びていくと、私自身心が平穏でいられます(笑)。あ、ちょっと、引かないでください。これはまだ序の口です。
――いつも140字の中にギュッと情報が詰め込まれていますが、この投稿を作り込むスタイルはツイッターで身につけたんですか?
いや……たぶんそれは昔からですね。ネット歴でいうと10数年前から、趣味関連のネット掲示板にちょこちょこ書き込みをしたりブログを書いたりしてきたんですが、そのときも、どうせなら良い話を共有したほうがみんなハッピーになれるよなと思って、自分なりに「役に立つんじゃないかな」とか「賢くなった気になれるんじゃないかな」というような投稿をしていた気がします。
――推敲に推敲を重ねて、みたいな。
そうです。5時間かけて1本投稿したりして(笑)。
――5時間。
これは引かれても仕方ない(苦笑)。私は文章の才能がないので、「より多くの人に読んでもらえる表現」を仕立てるには時間をかけるしかないんですよね……。さすがに140字のツイートだとそこまで時間をかけませんが、それでも「これは」という内容を連続でツイートする時は、書いたり消したりメモ帳からコピペしたり検索したりと、つぶやくまで時間をかけています。
――そうした情報発信の積み重ねで、ツイッターでは「賢人」「良識あるアカウント」というイメージが浸透しています。
そ、そう言っていただけるのはものすごく嬉しいのですが……褒めすぎです。お金を払ったほうがいいのでしょうか。それに、このアカウントのキャラクターは意識的に作り上げた部分もある反面、私の性格の限界でこうなったとも言えるんです。
――限界というのは?
これはネットや紙、匿名や実名の違いに関わらず、おおむね「メディアの特性」と言っていいと思うんですが、「よくないことを、より悪しざまに叩く」という表現って、広がりやすいんですよね。「気持ち」が増幅しやすいし、増幅すると伝わりやすい。簡単に言うと、非難、中傷、批判などのネガティブな主張をする場合、より悪くより強くより鋭く表現したほうが「バズる」傾向にある。で、やっぱりそういう「斬れ味」みたいな部分に憧れる自分もいるんです。「クールだと思われたい」、「ひと言で【悪】を斬り伏せる孤高のサムライになりたい」と。うーん、我ながら俗物だなあ。
それで、まあ「そういうスタイル」をやってみたこともあるんです。できる範囲で。でもまったく向いていなかった。面白くないうえに斬れ味も今イチで、なにより「身内や友人にバレたら嫌だな」とか、「そういうお前はどうなんだ」と反撃されたら持ちこたえられないなとか。そんな不安が脳裏をかすめてしまうんです……。メンタルが強くないし頭もそれほどよくないからヒールキャラにはなれず、それならば「いいことを、よりよく取り上げる」という方向なら、まあできるんじゃないかと。それで結果的に「いい人路線」でいくしかなかったんです。
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――その「いい人路線」の結果として、今やフォロワー数は10万を超えています。ずばり、ツイッターで有名になると、どんな立場に置かれるのでしょうか。
傲慢にならないように説明するのが非常に難しいのですが……強いて言うなら、「全くお金が発生しない関係性の中で、著名人が日頃から受けているであろう過度な注目を浴びる感じ」でしょうか。具体的にいうと、不特定多数の集まる場で、相手だけが私を知っているとか、自分の発言が良くも悪くも拡大解釈されたりすることなどはよくあります。見ず知らずの人から突然「そんなこと言う人だとは思いませんでした」と直接リプライをもらったりとか。えっと……どんなこと言う人だと思ってたんですかと。
――正直大変そうですね。
いやいや、もちろん良いこともたくさんありますよ。まず、出会いの幅が格段に広がりました。「たられば」ではない自分、編集者としての私は、職業柄、取材という名目でさまざまな人に会いに行けるのですが、しかし実際は無意識に自分の関心に偏ってしまい、出会いの幅を自ら狭めているところがあるんです。その点ツイッターは、フォロワー数が増えると、仕事上接点がなさそうな業界の人たちと知り合う機会が自然と増えていく。「自ら会いに行く」というより「遭遇」する接点が激増する感じですね。これももちろんいい部分と悪い部分があるわけですけども。
――フォロワー数が増えると著名人との交流も生まれますよね。
本当にありがたいことです。だって、感想をつぶやくだけで、大好きな作家さんから「読んでくれてありがとう」「つぶやいてくれてありがとう」って感謝されることもあるんですから。いちファンとしてこんなに幸せなことはありませんよ。ツイッター万歳、インターネット万歳です。
――それはフォロワー数が多いアカウントほど著名人から反応を得られやすいということですか?
いやいやー、もちろん作家さんとしては、作品に触れて感想をもらえれば、フォロワー数の多い少ないに関わらず嬉しいと思うんですね。ただそれとは別に、フォロワーが一定数以上いると、現実として1ツイートでたとえばアマゾンの順位が動くことがあるわけです。「◎◎さんが薦めていたので読んでみました」とつぶやいてくれる人もいたりして。私としては自分の好きな作品が多くの人の手に渡って欲しいと思ってつぶやくわけですが、それが結果的に作家さんに喜んでいただけることもありまして。
――その辺を意図してつぶやくことも?
それはめちゃくちゃあります。応援している作家さんが世間でより広く認められたら、それはやっぱりうれしいですから。「もっと売れろ!」、「こんなツイート読んでる暇があるならこの作品を読んでくれ!」って念じながらツイートしています(笑)。
「やめろ」「死ぬべき」……次々飛んでくる恐怖の言葉たち
――一方のデメリットはいかがでしょうか。
それはいろいろありますけど……基本的にはSNSって、ユーザー同士の距離が近すぎて、ネガティブな反応に影響を受けやすいですよね。既存のメディアにはいい意味でも悪い意味でも発信者と受信者のあいだに「壁」があったけど、SNSにはそれがないわけです。そうすると、たとえ少数の声であっても「あいつはペテン師だ」「偽善者だ」といった声に直接向き合うことになる。その批判や非難が正しいか間違っているかはさておき、お金をもらっているわけでもない趣味の領域で、そういう強い感情に向き合い続けるためには、どこかで何かを諦めないと心のバランスが崩れます。先ほどお話ししたとおり、私はメンタルが強いタイプではないので、1人に罵られただけでも5時間くらいヘコんでいます。
――5時間。
ここは引かないでください。ガチです(苦笑)。
――普段ツイッターを使っていて、メリットとデメリットのどちらが多いのでしょうか?
冷静に考えると100対1くらいでメリットのほうが多いんです。ただ、100日間健康でも交通事故に1回遭ったら、たいてい人生は壊れてしまいますからね……。
――ストレス発散用のサブ垢(サブアカウント)などは?
よく聞かれるんですけど、持っていないんですよ。まだまだ絶望が足りないんですかね(笑)。「フォロワー15人くらいなら……」とか「自分のことを好意的に受け止めてくれる仲のいい人だけに公開しようかな」とか、サブ垢作りや鍵アカ化が頭をよぎることもあるんですが、性格的に使い分けができそうもなくて。こっそり作ってもあっと言う間にバレると思いますし、バレた時にうまく言い訳する自信がありません。ああ情けない……。
――ツイッターをやめようと思うこともあったりしますか。
もちろんあります。なんなら毎日思ってます。「やめろ」「死ぬべきだ」なんて言われることもよくありますし。これ面白いことに、ネット外で社会人としての私自身が非難されるよりも、ネット上で「たられば」というキャラクターを貶められるほうが傷つくんですよね。普段、人と接している時より「たられば」でいる時のほうが、心があらわになっているからかもしれません。仕事上で「これ間違ってるよ」と言われても「あ、はいはいすみませんねえ」と言えるんですけど、ネット上で言われるとなぜか「ムキー!」となってしまうことがある。うーん、我ながらひどいツイッター廃人ですよね……すみません。
――いま私の目の前で話をしてくださっている「たられば」さんの“中の人”、仮名で山田さんとしましょうか、その山田さんと「たられば」さんは全然違うキャラクターなんですか?
あー、それはもう全然違います! 一言でいえば「たられば」はいい人(犬)です。山田に比べれば、めちゃくちゃいい人ですよ(笑)。それはすごく意識しています。コンプレックスを反映しているんじゃないかとも思うくらいです(苦笑)。山田もうちょっとしっかりしろ。ただこれ、どっちが本物で、どっちが偽物という話でもないと思うんですよね。誰しも「場」に応じて振る舞いが変わるものですし、「たられば」を始めたことで、私はもう一つ「顔」を持ったという感じです。顔というか、犬ですけども。
「たられば」さんはなぜ実名にしないのか?
――率直な疑問ですが、たらればさんのツイートって、身元を伏せないと困る内容ではないですよね。実名で発信すればセルフブランディングになりそうな気もしますが。
相互フォロワーの方と仕事をご一緒させていただいたことはあります。本当にお世話になりました。ただそれはあくまで「中の人」という立場でして、「たられば」を大々的に売り出してセルフブランディングして……という方向は今のところ考えていません。正直、葛藤はあります。でも、そこは「趣味を大っぴらに仕事にしてしまうこと」に罪悪感があるというか、今まで交流を続けてくださった方に、「あいつ全部商売でやっていたのか!」、「ははーん、今になって回収するのね」と思われるのは抵抗があるというか……。もちろん度胸の問題も大きいんですけれども。
――目先のメリットを求めて不義理を働くわけにもいかないと。
そうですね。それにこの「半匿名」の状態だからこそ得られるメリットもあるんです。例えば、今では好きな作家さんに直接お会いする機会もあって、中には「たらればに会えた」と喜んでくださる方もいらっしゃいます。ツイッター万歳(2回目)。それはこのキャラクターを気に入ってくださっているということですよね。実名でツイッターを始めていたら、きっと「たられば」のようなツイートにはなっていなかったでしょうし、これから実名に変えても、「山田」という人間の特徴に寄っていくと思います。ツイッターってどうしてもアカウントのキャラクターに引っ張られるところがあるので。
――確かに実名のアカウントだと、たとえ「たられば」さんと全く同じツイートが発信できたとしても、周りへの響き方は違ってきそうですね。
そうでしょうね。そこはアイコンの効果も大きくて、あのモフモフした大きな犬がつぶらな瞳で話していたら、受け取る側も印象が変わるじゃないですか(笑)。世界一かわいいですもんね。ははは。ですので、意図したわけではないのですが、そこは我ながらズルい作戦だと思います。犬、利用した形になっちゃってごめんな、と(笑)。ただ、良いことをより良くする効果はあるでしょうし、有益な情報を発信するぶんにはいいのかなと。
――そういった効果で、「たられば」さんの「いい人」イメージが固まってしまうと、その期待を裏切らないようにするのが大変そうですね。
実際、頭に浮かぶこともあるんです。一部繰り返しになりますが、例えばある企業や有名人が何か社会的な失敗を犯したり迷惑をかけたときに、それをより汚い言葉で罵れば、たくさんRTやいいねが稼げるなとかって。で、正直にいってしまえば、そういうことをやってしまうこともあります。不得意で向いてないくせに。それでちょっとだけスッキリするんですけど、そのぶん以上に、周囲を傷つけてしまって自己嫌悪に陥るという。それに、「作品を読んでくれてありがとう」と言ってくださった大好きな作家さんが、そういう汚い発言を目にして、リムーブでもされたりしたら……そんなの私には耐えられないなと。だから「たられば」への期待は、苦しさというより、いい意味でストッパーになっています。
――たまに羽目を外すことはあるけれど、基本的には周りを不快にさせない。それが「たられば」さんなりのウェブ上の作法であると。
うーん……いやまあ私がいることで不快になる人もいるとは思うんですけどね。素の感想にドン引きされたりすることもあるでしょうし。そういう人とは、なるべく離れていたいなと。傷つきやすいので遠くにいますから放っておいてくださいと。それに、特に立派な志や大げさな決めごとがあるわけではなくて、臆病者は臆病者なりに、気をつけていても誰かを傷つけてしまうことはあるし、じゃあせめて誰かを傷つけるような発言をしてしまうときでも、それがすぐ自分に返ってきても痛くない範囲にしておこうとか、傷つく人にはなるべく敏感でありたいと思いながらツイッターと向き合っているくらいです。まあ、こんなことを言いつつ、来年何をしててどう思っているかわかりませんけどね(笑)。
(文・&編集部 下元 陽、写真・同 久土地 亮)
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