前回の話だけではなく、
毒を盛るひと66 パンがなければで、書いた内容にも続くのだが。
「子どもを愛さない親はいない」神話について。
これ、わたしたち、盲目的に信じ過ぎていないだろうか?そんなふうに思った。
親自身も子どもに腹を立てることがあるだろう。イライラもするだろう。でも、「子どものため」と言いながら、神話に縛られながら、我慢して内圧高くして、〈毒〉を錬成してないか?と。
過剰な我慢をして結局爆発して、関係性を破壊。
……なんか、何割かは盲目的に信じた神話のせいかもしれないと思った。
それから、受け手側としてはわたしほどでないにしても、理不尽なことを言われたりされたりしたのに「子どもを愛さない親はいない」と、
アレを〈愛〉だと、無理に信じようとしていないだろうか?
素直にね、それが愛だと感じられたのならもちろんそれでいいの。
でも、自分の内側で『アレは、愛だったんだ!』と、本当は自分が感じていた疑問符を、神話思考で押さえつけたりしていなかっただろうか?
事情を知らない第三者に、「親御さんは、あなたのためを思ってやったのよ」なんて言われたり。
神話フィルターのリレーを、(親から子へ孫へ)縦にも(友人知人へ)横にもしているんだろう。
この神話でラクになる人は使えばいい。
でもこの神話フィルターが、話をややこしくしているのではないか?と今のわたしは感じている。
このフィルター=メガネをかけてしまうと、
真実が見えなくなるのだ。
すべての人に当てはまる、たったひとつの正解なんて、存在しない。
だったらこんな神話、いらないんじゃないかな?
大雑把に十把一絡げにすることで、
苦しみは増えた気がするのだ。
なので、わたしはこの神話フィルターは、取り外すことにした。
〈つづく〉
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