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先生は、「師匠は絶対に弟子を見放さない。離れていくのは弟子のほうだ」と指導してくださっています。
三代会長を師と仰ぐ私達は、かつて宗門に魔が出来したように、僭聖増上慢を見破っていかなければならないと思いますので、
今回は、福島源次郎氏のけんで改めて考察し本質を見極めて、池田先生の大慈悲の精神を師弟不二で、体現していきたいと思いこちらに投稿いたします。
宮川日護さんの投稿からこちらに共有させていただき、福島源次郎氏の息子さん(大作さん)にも届けたいと思います。
私達は、これからの広宣流布を考える時に組織の弊害をなくして、本当にみんなが幸福になるためには、けっして少人数の上からの無慈悲ではなく、開かれた対話と、最も大切な根本は師匠のように一人の人を大切に、心こそ大切なれで、一人ひとりの生命に歓びや希望を確立する慈愛と勇気を持つことではないでしょうか。
師と共にかけ替えのない尊い人生を歩むために。
常唱院日護の徒然(つれづれ)に思う。
福島大作君に贈る。
前回の「日護の徒然に思う」10月14日(土曜日)投稿で、
私は、福島源次郎の事を書いた。
その夜、投稿を読んで下さった方より、福島源次郎の御子息と幼い頃より一緒に遊んでいた、という方からメッセージを頂戴した。
福島源次郎が先生の許に、仕えていた頃は多忙ゆえに
、父に、甘える事もなく、
謀略に依り失脚し、
誠の師弟の道から逸脱し、師に刃を向けてからは、
反逆者の息子との烙印を押され、逃げるように身を隠さざるを得なかった子息、大作君。
大作君が当時、父と慕った矢島先生は、私も深く尊敬したお方であり、メッセージを、頂いた時には本当に驚いた。
メッセージを下さった方の了解を得たので、メッセージを紹介したい。
ーー以下、メッセージーー
いつも大変 貴重なお話、本当にありがとうございます。
また、先生の写真、全て保存させて頂いております。涙が溢れそうです …
私は福島源次郎、そして息子の福島大作とは、幼少の頃から馴染みがあります。
まぁ、母親の実家が大牟田なので 祖父、祖母の元へ良く遊びに行っており、
親戚一同 学会員というある意味恵まれた環境で育った私は、大作君とは供に旅行やキャンプなど家族ぐるみの付き合いでした。
私の実家が佐賀の武雄市で旅館を営んでおりましたので、夏休みには彼も遊びに来てましたよ。
何故、東京生まれの彼が 毎年 夏休み等、大牟田に長期滞在していたのか …
私の親戚が通ってた大牟田の「青藍塾」の塾長、矢島先生が、まるで自身の息子の様に接しておられたのを想い出します …
最初、私は大作君は矢島先生の息子さんだと思ってました。
それ程 まさに親子の様な関係だったと誰の目にも映ってましたよ。
誰にでも優しくて、本当に純粋な人でした。
今はもう 「大作」という先生に頂いた名を捨てた …と 耳にしました。
残念ですが、彼の心の痛み、傷も 分かる様な気もします。
父親が福島源次郎であった事 … それが宿命、宿業だとしても、なんだか切ないですよ。
彼自身は本当に綺麗な心を持ってましたから。
福島源次郎とは 矢島先生の葬儀、通夜の時に会いました。
「学園生か 、こっちにおいで 」と呼ばれ
「 良いか? これから先、良い事も悪い事も、全て しっかり見て来なさい …
本当のコトを知るんだよ 」と言われたのを 今でも覚えてます。
その時は何の事を言ってるのか理解出来ませんでしたが、
今となっては 言わんとする意味が 少し分かる様な気もします。
学会も 世間一般同様の
「大人の事情」とやらで動いてる現実 …
先生を裏切り、和合を壊し、会員を 庶民を騙す輩が跋扈する現実を知り、私も様々な想いと、覚悟を決めました。
この先、何があったとしても、私は池田先生と供にします。
来世でも先生の元へ集える様、御題目を唱え、魔物、第六天とは徹底して闘いますよ。
ありがとうございます。
感謝です。♪( ´▽`)
ーー引用、以上ーーーー
メッセージを下さった方の師弟の魂と、彼が語る福島源次郎の子息大作君の姿が悲しくて、あの真実を知った時、
先生は、福島源次郎を最後まで見捨てていなかった真実を、先生の弟子を思う真心を、福島大作君に伝えたい。
九州総合長であった福島源次郎が、革命家について語った事がある。
「 夕暮れ時、道行く自分の両側には、一家団らんで夕食のテーブルを囲んで談笑している家の灯りが見える。
しかし、革命家は、家庭も家族も団らんも捨て、目の前に続く真っ暗な、灯りもない道を進むのだ 」と。
いつも、不在の父、福島源次郎の代わりに、青藍塾の矢島先生を父がわりに生きた大作君。
矢島先生は、映画撮影の為、腰まで雪に浸かっての無理がこうじて松葉杖をついておられた。
眉の太い、眼光鋭い中に慈愛を湛えた目をされたお方であった。
私も二、三度しかお会いした事はないが、私が大学生の頃、私に先生の偉大さを教えてくれた福岡の県会議員の田中正勝氏や
大牟田高校の三笠こうじ、西島氏など、多くの志士を育てた吉田松陰先生のようなお方であられた。
もし、矢島先生が御存命であったなら、御子息大作君に、父福島源次郎の戦いと挫折の軌跡を説き聞かせて下さったであろう。
柳生一族に柳生但馬守.宗矩の将軍兵法指南役の表柳生と、
草(くさ)と呼ばれる裏柳生があるとされる(小池一夫の子連れ狼に出てくる烈堂は架空の人物であるが義仙等事実存在は認められている)がある。
裏柳生は、敵地に居を構え、普通に家庭を持って生活しているが、いざ、敵陣突入の際には、自らの手で女房子供を手にかけて、自らも死地に赴くと言う。
身分を偽り、彼の地に草の様に溶け込み出陣を待つ故に草と呼ばれたと言う。
森鴎外の短編小説「阿部一族」でも、上意討ちに後顧の憂なき為に、妻や子を自らの意思で殺し、泣きながら穴を掘って埋める壮絶な描写があるが、
革命とは、斯くなる覚悟あるによって成し遂げられるものであろう。
休日に同じ歳の子供達が、父親に肩車してもらい、遊びに行く、姿を涙目で見ながら
川で一人で遊んでいた大作君を、松葉杖の矢島先生が見つけられたのであろうか。
今、信濃町にたむろする秋谷、原田、長谷川、共に、
福島源次郎を反逆者と非難する資格などない!
私が知る限り、福島源次郎は本気で師弟の道に生きようとしていた。
大牟田発言の後、先生の御意思とは全く別の所で、役職解任、会館出入り禁止、学会追放になった事を、御存知なかった先生が、
福島源次郎に贈られた和歌は、分からないし福島源次郎に届けられる事はなかった。
しかし、先生が御自身の会長勇退を決意された時、福島源次郎にと、贈られた御書の一節、此れも、福島には届かなかった。
今、私はその御書を大作君に贈りたい。
先生が、どれ程の慈愛を以って、君のお父さんの事を思っておられたかを知って欲しい。
そして、君のお父さんは師弟の道を間違いなく歩いた。
四代会長を狙う秋谷、野崎、宮川、らの巧みな陰謀により落とされた。
師弟の道を貫くとは、六難九易、乞眼の婆羅門程の困難の道である事を。
先生が、お父さんに託された御書を君に贈ります。
「 返す返す今に忘れぬ事は.
首切られんとせし時.
殿は供して.馬の口に付きて・
泣き悲しみ給いしをば・
いかなる世にか忘れなん、
設( たと )い殿の罪ふかくして.
地獄に入り給はば
日蓮を・いかに仏になれと.
釈迦仏.誘(こし)らへさせ給うとも
用ひまいらせ候べからず.
同じく地獄なるべし、
日蓮と殿と共に地獄に入るならば.
釈迦仏・法華経も地獄にこそ・
をはしまさずらめ 」
( 崇峻天皇御書 1173頁).
もし、この投稿を見たら連絡下さい。
常唱院、宮川 日護.
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