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幻のゲーム Star Fox 2を当時の3Dゲームプログラマー視点で語る : 情熱のミーム 清水亮

ミニスーファミが発売された!そして目玉商品は、綺羅星の如き名作とともに収録された幻のSTARFOX2である。その出来やいかに・・・

清水亮 (Shi3z) , @shi3z
1 時間前
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まず最初に言っておくと、Star Foxは筆者がゲーム業界に入るきっかけとなったゲームである。

そしてStar Fox 2が開発された1996年、筆者はゲーム開発者として実際にコンシューマゲーム開発の最前線に居た。

そういう視点で語れる人は他にあまりいないと思うので、その目線からStar Fox 2を語らせていただきたいと思う。ほら、エンガジェットっぽいし!


Star Foxが発売されたのは1993年2月である。
ちなみに筆者の商業誌デビューとなった月刊I/O 1993年2月号が発売されたのは1993年1月18日だ。


筆者の商業誌デビュー作は、おまけだった。
おまけというのは、もともと筆者は小学校の頃から繰り返し汎用リアルタイム3Dライブラリの開発に挑戦しており、足掛け4年の歳月を持って開発したPC-9801用リアルタイム3DライブラリN3Dを投稿する際、ライブラリだけではわけがわからないだろうと思い、そのライブラリを利用したサンプルゲームを添付した。それが「アステロイド・ファイト」だった。


アステロイド・ファイトは、その名から連想できるように宇宙をテーマにした3Dシューティングゲームだった。

なぜアステロイドなのかというと、宇宙というのはそもそも恒星が遠くにあるだけだが、恒星がビュッと線を引いて動く、スター・ウォーズでいうワープ航法のような動きをするのは嘘なのである。当たり前だが、何億光年も彼方にいる恒星がすごい勢いで動くということは、相対性理論においてありえないスピード、すなわち光速以上で動くということで、そんなことはふつうはアリえない。

しかし、宇宙空間ではほかに自分の相対速度を示す手がかりや空間的把握を行うための手がかりのようなものが一切ないため、しかたなく、宇宙に視認可能なチリやホコリがいっぱいありますよーというエクスキューズで、当時のゲームはなにもか考えずに宇宙の星を平気でスクロールさせていたのである。本来は有りえないことなのに


そこで中二病のまま高校二年生になってしまった僕は、そんな嘘ん子なゲームはつくりたくなかったので、かわりに宇宙空間での相対速度や回転運動を見つける手がかりとして、アステロイド(小惑星)をたくさん出すことにした。これなら、なんとかなるだろうと思ったのだ。


このゲームはワイヤーフレームで描画されていたが、当時の僕としてはPC-9801に搭載されたGDC(グラフィック・ディスプレイ・コントローラ)の癖のありすぎる動作をコントロールするのに精一杯で、ポリゴン描画などという高級なものは数世紀先だった。ゲームセンターにおいてあるマイナーなゲームの機械がかろうじてポリゴンだったかな、という程度の時代だ。


さて、僕は3Dライブラリのデモとはいえ、スター・ウォーズのような世界をつくりたかったので、世界を完全な3Dとして記述することにこだわったし、実際に計算機上の仮想的な空間の中を自由自在に飛び回るようにできた。


そして僕は空中戦の醍醐味というものを想像でしか知らなかったから、紅の豚でみたような高度な空中戦術のようなもの、要するにドッグファイトがやりたかった。


わけのわからない高校生の投稿を編集部が描き下ろしレベルの修正を加え、僕の人生初の商業原稿とプログラムは日の目を見ることになる。ギャラは10万円くらいだったか。高校生の収入としては十分すぎるほどだった。


さて、これを公開した翌月に、Star Foxが発売された。
高校の同級生の上村筐稔は「おまえのゲームは線ばかりで退屈じゃないか。うちの弟はStar Foxの方が面白いといってたぞ」

ガキというのは馬鹿で残酷である。
金もなにもない子供が半月くらいで作ったゲームと、天下の任天堂が、半導体から設計し、アルゴノーツソフトウェアと本気で作ったゲームとを比較して、「おまえのはつまらん」と言ってるのだ。当たり前だろ。バカか上村。(ちなみに、上村とは今も良好な友人関係を続けている)


 「そもそも、なんで敵の弾が後ろから容赦なく飛んで来るんだ?」


 「え、だって空中戦ってそういうものだろ?」


 「だってこのゲーム、バックミラーもないじゃんか。どうやって後ろに敵がいるとわかるんだよ」


 「レーダーを見れば・・・」


 「そしたらゲームしてるあいだじゅう、ずっとレーダーだけ見てるんじゃないかよ」


言われてみればそのとおりだった。
そもそも複葉機の空中戦の場合、視界は360度あって、パイロットは頭で周囲を眺め回しながら敵の位置を確認していた。しかし悲しいかな、ゲームは正面の画面しかない。


くやしいのでスターフォックスを買ってみた。スーファミはパソコン大会で優勝したときの商品としてもっていたので、どこかでスターフォックスを手に入れて遊んでみることにしたのだ。


ポリゴンと単純なテクスチャを多用した演出、荘厳な音楽。どれをとっても完璧だった。しかし一番ビックリしたのは、このゲームが単純な後方固定視点の強制奥スクロールゲームになっていることだった。


 「こんなの3Dである必然性がないじゃん!!」


俺は一人で声をあげた。
自由なはずの3D空間で、あえて不自由な奥スクロールの強制スクロールゲーム。
なぜ天下の任天堂がこんなものを?


しかし遊んでみるとたしかに面白い。
当たり前だった。


強制奥スクロール方式は、疑似3Dの宗主、セガ帝国がスペースハリアーで一世を風靡し、アフターバーナーやGロックでさんざんやり尽くし、研究し尽くしてきた分野だ。面白くなるツボや演出も完璧に分析されている。実際、スターフォックスには明らかにスペハリに影響を受けたとしか思えない敵や演出が多数登場する。


しかしプログラマーの立場から見ると、奥スクロールというのは苦肉の策だ。
3D空間をプログラミングすることの難しさ、それを乗り越える本当のモチベーションは、自由な空間移動じゃないのか。言ってみれば、この世に宇宙をもうひとつ出現させるようなダイナミズムではないのか、と思った。


しかしStar Foxはあえてそうしようとしなかった。
それどころかSTAGE1では、パイロットの主観視点さえやめ、陳腐な疑似3Dシューティングの文脈を踏襲した。

ステージクリア後の演出は3D空間を活かしていて見事だったが、それだけだった。


「なんだよこんなゲームよー」


僕が憤るのもある意味で当然といえた。
目指してるもの、志がはなから違いすぎる。


しかし異変に気づいたのはステージ2に入ってからだった。
その舞台はアステロイドベルト・・・つまり、自分がつい先月公開したばかりのゲームと同じ場所が舞台なのだ。


アステロイド帯に入ると、カメラはいきなり主人公の乗る宇宙戦闘機にズームインしていき、一瞬コクピットのようなものが映り、さらにそこに入り込んで主観視点になる。これだ。おれがやりたかったのはこういうゲームなんだ。


しかしやはり主観視点になっても、自由にいろいろな方向に動けるようにはならなかった。ディズニーランドのアトラクションのように、やはり強制スクロールに近いかたちで奥へ奥へと進まされるのだ。レールから外れそうになると操作がロックされ、赤い矢印がもとのコースにもどれとせわしなく点滅する。


僕は白けつつももしかするとこれが作者本来のやりたいこととは多少なりともかけ離れているのではないかと思った。


今、世界にも3Dのゲームというのはかなり少ない。ごくわずかなマニア向けのフライトシミュレーターを除けば、ゲームとして誰にでも遊べるものというレベルに達してないものが多い。


だからあえて、やりたいことを我慢して、こういう作りにしているのではないか。
いつしか僕はこの「不自由な」ゲームに夢中になり、宿敵を倒し、エンディングテーマを聞く頃には感動で涙を流していた。


そうか。これがプロか。これがプロの仕事なのか、と思った。


それから数年後、僕はプロのゲームプログラマーになった。それまでゲームを仕事にしようと思ったことは実は一度もなかった。くだらないと思っていたのだ。しかし、技術をここまで追求して、なおかつ制約を受け入れ、人を感動させることが出来るゲームというものに初めて出会ったとき、僕もそういう作品を作りたいとごく自然に思うようになった。


僕はやりたいことをやり続けた。ヒットしたものもしなかったものもあった。関わり方もバラバラで、企画からやったものもあれば、検証をてつだっただけのものもあった。


何年かしてスターフォックス64が出て、「ああ、やっぱりこういう自由な動きができるゲームが作りたかったんだな」と少しホッとしたのを覚えている。


しかし本当はもっと早くできたはずだと思っていた。


きっとそれが、この1996年版、スターフォックス2なのだろう。
果たしてどのような内容になっているのだろうか。


これを遊ぶためだけにでも、ミニスーファミを買う理由に成りうると僕は思っていた。


起動して遊ぶ。
まあどんな内容なのかは、他のレビューを見ていただきたい。


僕は感動した。
スターフォックス2は、ホンモノの3Dゲームになっていた。空間を自由に動き回ることができ、それがゲーム性に直結していて、かつ、ホンモノの宇宙戦争を戦術的に再現するための工夫があちらこちらに凝らされていた。

もし僕が高校生か、その直後の、駆け出しのゲーム屋だったらStar Fox 2を見て、嫉妬し、悔し涙を流していただろう。


しかし一端の商売人として、幾つものゲームの成功と失敗の間をくぐり抜けてきた人間として、いまStar Fox 2を見ると、若さが暴走しているようにしか見えないのである。一作目は半導体の投資もあって絶対に回収しなければならなかった。できるだけ保守的なデザイン、できるだけ保守的な、「安牌の」ゲームを作らざるを得なかった。強制スクロールのゲームは作りやすいし、面白くしやすい。なんどもやりなおしができるし、作者の意図を映画や音楽のように反映しやすい。


強制スクロールゲームを、僕は一人のゲーム屋として今や芸術だと考えている。だから僕が20代になってから作ったゲームはほとんど全て強制スクロールだった。ゲームという表現手段の中で、プレイヤーと開発者が心を交わすことの出来る、ほとんどギリギリかつ確実な方法なのである。これは強制スクロールゲームだけでなく、一本道シナリオのゲームのほぼ全てに言える。


Star Fox 2は、前作の成功をベースに、作者がやりたいことをやりたいようにやってしまった。
その結果、ゲームは難解になり、面白さが誰にもわからないものになってしまった。

これもそれなりに手間と金がかかっているだろうに、これを発売させなかった任天堂はやはり偉大な会社であると言わざるをえない。

そしてそのときのROMを後生大事にとっておいて、今更蔵出ししてくるとは、実ににくい。沈没船から引き上げたワインが、そのワインの味や質に関わらず、高価であるというのと同じ理屈が、このミニスーファミに内蔵されたStar Fox 2からは感じ取ることが出来る。


Star Fox 2には、3D野郎たちの夢が詰まっていた。「こんなゲームをつくりたい」という気持ちを思い切り表現していた。たぶん発売していたら、シェンムーのようになっていただろう。クリエイターの「作りたい」という思いは、時として正しいプロデューサーに出会わないと空回りしてしまいがちである。


あらためて、20年近く前のタイトルがそのまま遊べて面白いという意味で、Rezは偉大だと思った。
そしてもちろん、Rezも強制スクロールのゲームだ。

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