そこから始まった2017/10/05
20代の初めの頃は毎日毎日を夢中で
生きていたんだと思う
経済的にも貧しい中で明日の事すら考えられない
将来の夢はあったとしても
多分「ほど遠い夢」と言う感じだったろう
ローカルの小さなレコード店頭で
ミカン箱の上に立ち買い物帰りの人々が
素通りする前でギター片手に歌った事がある
もちろん誰1人僕の歌など聴こうとはしなかった
又ある時はデパートの屋上に特設されたテントで
「イメージの詩」などを歌った
やはり誰も興味を示さなかった
ある日子供たちが審査員というテレビ番組で
審査員から酷評されたのは仕方なかったが(苦笑)
まるで場違いな自分に腹が立った
「こんな事をしていていいのか」僕の心に疑問が生まれ
「何がやりたくて東京に来たんだ」あせり!が出て来る
新宿の安いカウンターで飲んでいて1つの考えが浮かぶ
「とにかくコンサートをやりたい
自分の音楽は今のやり方では正しく理解されない
少なくとも1曲だけ聴いてもらっただけではダメだ」と
そして「テレビの歌番組では自分の音楽は表現しにくい
2分半の持ち時間では歌いきれないのだ
自分はこれからはコンサートを中心に活動しよう
東京だけでなく地方へも積極的に音楽の場を求めよう」
という決心めいたものが見えてきた
東京では毎月1回のマンスリーコンサートを始めた
ライブも「渋谷ジャンジャン」などのライブハウス中心に
回数を重ね地方のラジオ局が主催するステージに参加
自分のキャリアを積んで行った
それはやがて実現する事になる日本初の
「PA音響·照明·ステージ制作すべてを東京で準備して
リハーサルを重ねてツアーに出る」と言う全国規模の
いわゆるコンサートツアーへとつながって行く事になる
すべては若かったあの頃の苦悩の日々から始まった
ハイビスカス2017/09/10

ベランダの鉢植えのハイビスカスが
3年目の夏だった今年も花をつけた
冬を2回も乗り越えてくれた事になる
毎年ハイビスカスを植え替えて
夏はハワイ気分を味わう事にしていた
春先から良く水やりしたからか・・
頑張ってくれたのだ
こういう事って嬉しいじゃないか
たのむぞ!この冬も乗り切って
来年の夏も花を咲かせてくれよ
あの頃の暑い夏2017/07/16
高校、大学生の頃に心の中にあったジリジリした感じ
それは理由の無い「あせり」だったと思う。
何故だかわからない・・時間が足りない気がした。
だから夜じゅう友達と遊んでいたかった。
自分には何かが足りない!と感じていたのだ。
その気分を満たすには
友達と遊び続ける事しか考えられなかった。
映画や音楽の影響をもろに受けた時代でもある。
もしあの頃バンドと言う仲間に出逢っていなかったら
僕の青春はまったく違ったものになっていただろう。
映画と音楽は若者の「あせり」を「うるおい」で
いっぱいに満たしてくれた。
すごすぎる2017/06/26
将棋って昔は井上君とよくやりました
どちらもヘボですが負けたくないので
けっこう熱くなったと記憶します
彼は急戦で強引に攻め込むタイプ
僕は守備を固める将棋でした

すごい人が現われました!
どうなってるんだ・・ってくらい
強すぎます
で、すーーーーごく若いんです
顔にはニキビがあります
井上君にメールしました
「時代が・・」と返事が来ました
本当ですね
強く感じます
いや、まあ、本当に
すごい人が出て来ました
キタジョー2017/05/01
喜多條忠氏とは
ほんとに沢山の曲を共作した
ハズレもあったが(笑)
大当たりも多かったと思う
僕は「風の街」が今も大好きだ
「いつか街で会ったなら」もいい
彼は原宿という街を
うまく歌にしていた
良く原宿で飲んだり語り合ったりした
ある時喜多條氏、井上氏、僕ともう1人
4人で飲んでいて「キタジョーさんの家で
飲み直そう」となった
わりと地味なマンションの1室で
「へーここから神田川が生まれたのか」と
僕は興味深かった
「メランコリー」の時
これまでとは違う世界を書いて欲しい
と注文した
そしたら見事なストーリーを描き出した
「この詩はいける」と直感した
懐かしい青春の時代の
素晴らしい想い出である
その頃
我々には「歌」が降りて来ていた

エレキギター2017/02/17

中学の頃母がウクレレを買ってくれたのは
病気がちな息子に何か喜びを!と思ったからだろう
その偶然が人生を変える事になる
その後学友の弾くギターへと関心がうつり
高校ではアメリカンポップスに心酔し
それからビートルズの登場に強い憧れを抱き
そしてバンドを結成する
ザ・バチェラーズからザ・ダウンタウンズ

バンド時代ある日楽器屋で見つけた
グヤトーンのリッケンバッカーもどきの
エレキギターに
もし興味を示していなかったら
上京してすぐ
フェンダーのテレキャスターに関心が無かったら

いったいギターの無い人生ってのは
あり得たのだろうか・・
毎日夕方になると今でも
自然にギターに手が行く(今は白のストラト)
そしてつくづく思うのだ
ギターに出会って幸せだったと
ふぁいとーっ!2017/02/03
コンサートの楽屋に必ず「リポビタンD」が
他の飲料と一緒に
アイスボックスに入っているようになった
きっともう相当以前からだと思う
だいたい午後3時半頃からリハーサル開始
終わって楽屋でくつろぐ時間に
僕は必ず色々な飲料水の中から
リポDを1本選んで飲んでいる
これは地方へ行っても変わらない
不思議だ!
誰が最初にコレを入れたんだろう
コレを毎回楽屋に持って来て
アイスボックスに入れてるのは誰だろう
このスタッフは僕が「リポD好き」だと
思っているのだろうか
先のコンサートでも各会場で
僕は1本リポDを飲んでステージへ向かった
ところで・・
コンサートが終わると
日常ではこのリポDを見る事は無い
もちろん飲んでもいない
コンサートとリポDだけが
長ーい付き合いになっている
ファイトーイッパーツ!
郷に入れば・・2017/02/02
ずーっと以前の事だ
アイドルの新曲打ち合わせで軽井沢に居た
松本「せっかく信州に来てるんだから蕎麦でも食べに行こうよ」
拓「いいねえ」
(蕎麦屋にて)
松本「俺は山菜蕎麦にしよう」
拓「あそう、えーとメニューを、どれどれー?うーん
じゃー俺は天ぷらうどんだな」
松本「へ?・・拓郎・・うどんかいー?」
拓「・・・」
今になって「そりゃーないなー」とつくづく思うのだが
当時の拓はこういう事に非常に疎かった