突然の告白ですが、私は結構ガールズ・ラブ(いわゆる百合)が好きです😅
なんでガールズ・ラブが好きなのか?と調べていると、いろんな理由がありそうだったので、ちょっとまとめてみます。
自分以外の余計な男性を登場させたくないから?
どうしてガールズ・ラブが好きな男性がいるのかを考えるにあたり、いろいろと検索をしていると、こういう記事が見つかった。
この記事によると「自分以外の余計な男性を登場させたくないから」ではないかという推察がある。ΑV好きな男性の中でも、男優さんが出てくるのを嫌がるファンというのがいるらしく、それゆえに最近は、男性を極力映さない、主観視点の作品が結構あると聞く。
この観点で調べていると「(ガールズ・ラブの女性は)俺のものにはならないけれども、ほかのどの男性のものにもならないから」という安心感があると考察したものもあった。
でも、私の場合は違うかな。画面の中に男優が映っていても邪魔だとは思わないしね。(むしろ男優にも興味がある私😅)
女性同士の友愛的な友情が心地いいから?
こういう考察をしているサイトもあった。
男性からすると、女性同士の友愛的な友情が恋愛的な感情に繋がってもそこまで忌避感がないように思えます。
確かにビデオでは、男女モノよりも女性同士モノのほうが、精神的な結びつきが強いような脚本・演出になっている気はするけど……じゃあなぜ女性同士のほうが友情が恋愛感情につながっても忌避感が薄いのか?とも思う。
もう少し掘り下げ可能な感じもするね。
男性という記号からの逃避できるから?
ガールズ・ラブを研究している社会学者に、熊田一雄先生という方がいらっしゃるようだ。Wikiに熊田先生の主張がまとめられているので、ちょっと引用しよう。
(専門的な表現ですが、ちょっとだけお付き合いください)
(GL好き男性)は「自身の男性性との葛藤」を抱え込んでしまっているがゆえに、男性という記号からの逃避場所として百合ものを愛好しているのではないかと推測している。ここでいう男性性の葛藤とは「女性を一方的・特権的に値踏みする視線の主体」としての男性性であり、女性同士の愛という作品世界に没入することによって「対等な性」に近づこうとしていると考えられる。
「女性を一方的・特権的に値踏みする視線の主体」とは、男性の根源的暴力性や「男→女」というポルノ的な視線の一方向性、という解説もあった。こういった見方に違和感があるので、そこからの脱却を図ろうとしているということだろうか。
もうちょっとこの観点を深く見ていこう。
自己を女性に同一視しているから
熊田先生の主張としては、次のようなものもある。
また、百合を愛好する男性はしばしば作中人物に同一化する気持ちで作品を鑑賞していることから、作品外部から作品内部の女性キャラクターに対して「一方的に値踏みする視線」を送っているにすぎないわけではないという。
あー、これには思い当たるフシがあるな。つまり、女の子になって女の子と恋愛したい、みたいな気持ちでしょうかね……40過ぎのオッサンがかなりキモチワルイことを言っているのですが、そういう気持ちがあるのは正直に告白しよう😅
これは私が女装をする理由と似たようなものかもしれない。私が女装をするのは、「男らしさ」にまつわる生きづらさから抜け出すためなので、それと近いのかも。ガールズ・ラブに自己を投影することで、一時的に「男らしさ」から逸脱するということなのかね。
単純に、女性っぽいビジュアルが好きなだけということかもしれないけど。