ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ。口癖は「えー、そんなの別にどっちでも良いんじゃないの?」老害発言の説明文多し。

私がFacebookを辞めた理由

少し前まではやってたんですけどね。3年前ぐらいまでかな?やっていたと言っても実名登録して、まぁFacebookのあの独特の世界観があるじゃないですか。何て言うんでしょ。社会派気取りというか社会人とはみたいな発言だとか子供っぽさのなるべく無い投稿。元々Twitterをやっていたので何だかなぁと思いながら、まぁビジネスに繋がるかもしれんねと思いながら日々更新してたわけですよ。他愛もない事とか仕事の事とかね。で、ある日小学校の時の古い知人と繋がったわけですよ。久しぶりだね〜なんてコメントし合いながら近況を報告したり。聞くとその知人は今でも大勢の小学校の時の同級生と繋がっているらしく、その輪を広げてくれた。私は同窓会とか顔を出すタイプではないので、懐かしい懐かしいとその輪はすぐに拡大した。正直私は「面倒くさいな」としか思わなかったので、適当にコメントでハラホロヒレハレしときーのまた普段のFacebookに戻った。ある時、その中の知人からメッセージが来た。会えないかと。内心「胡散臭せえなおい」と思いながらも構わんよと回答して後日会った。何か買わされるんだろうなと思いながらも、久しぶりだし少しぐらいならまぁ良いかと思って会ったがダイレクトに金の無心だった。財布の中に7万ぐらい入ってたから返さなくて良いよとそのまま渡した。当たり前だがそれっきりである。久しぶりの私に言ってくるぐらいなんだから金貸しはもう貸さないんだろう。私のスタンスは返してくれればまた貸すし返さないならそのまま縁が切れるといういつもそういうシステムだ。これがものの見事に縁が切れるから、変に付いて回られるよりこっちの方が良い。そしてFacebookからは他の知人からも変な勧誘のメッセージが来ていたのでアカウントを消した。Facebookのあのネチャネチャとした付かず離れずの関係性・繋がりは何なんだろうか。あそこに張り付いてる奴らは本当に気味が悪い。一種の宗教臭さを私は感じる。我々にはボヤけて見えない「あるべき姿」があそこの表のタイムラインには存在し、裏側に相当するメッセージには分かりやすいほどの悪意が潜んでいる。イメージは仮面舞踏会だ。見た目は華やかで皆にこやかにしているが仮面の下ではどんな顔をしているのか分からない。大人とはそんなものなのか。いや、信頼する私の周囲の人間にあんな厭らしい生き物はいない。そうだ。見栄を張らない。よく見れば貴様らの素顔を隠すその仮面、もうボロボロじゃないか。さぁ踊れよ。何も得をしないその世界でもっと自分の生活を切り売りすればいい。私は遠慮するよ。小さな嘘をずっと吐き続けるのは疲れるんだ。私は貴様らが踊ってるのを見てるよ。皆楽しそうで良いじゃないか。仮面の下の目が笑ってないけどね。