会津藩降伏直後「埋葬禁止は誤解」…史料で確認
1868年の戊辰戦争で会津藩が降伏した直後、藩士ら500人余りが埋葬されたことを詳細に記した史料が確認された。
調査した福島県会津若松市の歴史研究家、野口信一さん(68)は「戦争直後に埋葬が行われたのは確実で、新政府側の指示で埋葬が禁じられたというのは誤解だ」と話している。
記述が見つかったのは、1869~70年頃に会津藩士が書いたとみられる「
この中で、会津藩士4人が1868年10月3~17日に計567人を64か所で埋葬し、経費が74両余り(現在の貨幣価値で450万円程度)、携わった労働者はのべ384人に上ったと記されているという。葬られた人の中には、NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公になった山本(新島)八重の父、山本権八とおぼしき人物も含まれている。
会津藩は若松城での籠城戦の末に降伏し、数千人規模の死者が出たとされる。「会津は賊軍として扱われて藩士の埋葬が新政府軍から禁じられ、遺体が半年間野ざらしにされた」との通説が浸透しており、新政府軍の主力だった長州藩(現在の山口県)に対するわだかまりの元となっている。会津若松市史では、新政府側が設けた民政局が同年10月に戦死者の片付けを命じた――と記述されているが、ほとんど知られていない。
2日に記者会見した野口さんは「白虎隊士とみられる8人が寺で自害し、村人によって埋葬されていたとも書かれている。今まで知られていなかった事柄の記述も多い」と話している。