「今後、人口減少が予想される中で日本の社会保障制度はどうあるべきなのか?」という問題を、元厚生労働省の官僚であり、介護保険の創設に尽力し「ミスター介護保険」と呼ばれた人物が探った本。
 web中公新書の著者インタビューのページで、著者は自らのキャリアを次のように語っています。
1978年に旧厚生省に入省し、38年間政府の仕事に携わった後、昨年6月に退官しました。
その間、主な仕事として、1990年代半ばから厚生省で介護保険制度の導入、内閣府や内閣官房でリーマンショック前後の経済雇用対策などを担当しました。そして、2011年に厚生労働省社会・援護局長として、生活困窮者支援の素案づくりに携わりました。その後、内閣府の少子化対策担当などを経て、2015年から内閣官房まち・ひと・しごと創生本部の地方創生総括官を務めました。

 このキャリアからわかるように、著者は年金・医療・介護だけにとどまらない幅広い分野で活躍してきており、この本も年金・医療・介護分野だけではなく、総合的な社会保障を考えていく内容になっています。
 文章はやや硬めで読みにくい部分もありますが、安倍政権が打ち出している「全世代型」の社会保障について、現在の厚生労働省がどんな方向性で臨もうとしているかがわかる本で、現状把握のために非常に有益だと思います。

 目次は以下の通り。
序章 社会が変われば社会保障も変わる
第1章 変容する日本社会
第2章 日本の社会保障の光と影
第3章 社会的孤立を防ぐ
第4章 「全世代型」へ転換する
第5章 人口減少に適応する
終章 国民的合意の形成を目指して

 この本の第1章では、1995年の戦後50年間の社会保障の歩みを総括する勧告(「社会保障体制の再構築[勧告]」)をとり上げて紹介しています。
 日本の社会保障は、先進諸国に比べ遜色のないものとなっているとした上で、「社会保障の大綱については国民の間に基本的な疑義はなく、むしろその適正な前進による福祉社会への安定的な展開こそ望まれている」と総括した。
 それまで社会保障が果たしてきた役割を三つあげ、第一として、国民生活の全面にわたって安定をもたらしたこと、第二として、貧富の格差を縮小し、低所得者層の生活水準を引き上げ安定させ、その結果、「今日、我が国は世界で最も所得格差の小さい国の一つとなっている」こと、第三として、社会保障は経済の安定的発展に寄与することが少なくなかったことを強調した。
 今読み返すと、隔世の感を覚えるのは筆者だけではないと思う。(12p)

 まさに「隔世の感」だと思います。
 このころにはすでに少子化は明らかでしたし、女子を中心に就活も年々厳しくなっていったので脳天気といえば脳天気な部分もあるのですが、それでも97年のアジア経済危機や消費税増税を引き金とした不況が始まる前は、世間も国も楽観的だったのだと改めて思います。
 ところが20年ちょっとたった今、このように楽観できる人はいないでしょう。社会構造の変化が一気に露わになったからです。

 政府の支出がそれほど伸びない中で日本型の福祉を支えたのは「家族」と「雇用」でしたが、この2つが90年代以降大きく変化していくことになります。
 まず、「家族」についてですが、日本の高齢の親と家族の同居率が高いことは「福祉における含み資産」(1978年版の厚生白書)とされてきましたが、親と子ども(既婚)の同居率は80年52.5%、90年41.9%、95年35.5%、2016年11.4%と急激に低下していきます(17p)。
 もちろん、これはある程度予想できたことで、先述の95年の勧告でも指摘されていましたし、この世帯の変化を背景に介護保険制度が創設されていくことになります。
 しかし、高齢単身者、生涯未婚者、ひとり親世帯など、いわゆる標準的ではないと考えられていた世帯は予想を超えて増加していくことになります。

 さらに90年代以降、日本型福祉を支えていた「雇用」が急速に悪化します。それまで日本の福祉の一定部分は企業が担っていましたが、その企業の福祉の恩恵に預かれない非正規雇用が急速に増加したのです。

 こうした「家族」と「雇用」の変化は、社会的孤立や格差の固定化をもたらし、「最も所得格差の小さい国」の様相を変えていきました。
 さらにこの時期に加速したのが少子化であり、その結果として出現したのが人口減社会です。
 この本を読むと、89年の「1.57ショック」がありつつも、2000年頃までは団塊ジュニア世代の子どもたちがたくさん生まれる「第3次ベビーブーム」があるだろうという予想があったことが窺えます(59ー61p)。
 しかし、長引く不況は第3次ベビーブームの失わせ、将来に加速度的に人口が減少していく未来が見えてきたのです。

 こうした問題提起を受けて、第2章では日本の社会保障制度の特徴が説明されています。
 日本の社会保障制度の特徴は社会保険が中心であるということです。これは国民から保険料というかたちでお金を集め、必要になったときに給付を受け取るという制度です。
 社会保障の資金については税で集めるという方法もありますが、先述の95年の勧告では、社会保険方式について「社会保険は、その保険料の負担が全体として給付に結び付いていることからその負担について国民の同意を得やすく、また給付がその負担に基づく権利として確定されていることなど、多くの利点をもっている」(69p)と、その長所を指摘しています。
 この権利意識というのは一つのポイントで、税金で介護分野が賄われていた時代はなかなか介護分野にお金は流れませんでしたが、介護保険が導入され、介護を受けることが拠出に対応する「権利」として認識されるようになると、サービスは充実していきました(71-73p)。

 しかし、厚生年金と国民年金にみられる二元構造や、個々の問題に保険ごとに対処する方法(医療には健康保険、失業には雇用保険といった具合に)は、問題もはらんでいました。

 国民年金の加入者がすべて持ち家で子どもと同居している農家や自営業者であれば給付金が少なくても問題ありませんでしたが、現在の国民年金の給付のレベルでは賃貸に住む単身者の生活を支えるのは厳しいですし、子育てなど、保険がカバーしていない分野の福祉が立ち遅れる原因ともなりました。
 さらに現役世代の減少は社会保険の「支え合い」の構造を危うくしています。

 さらに、「家族」と「雇用」の変化が追い打ちを欠けています。
 著者は第3章で、「これまでは、それぞれのリスクは別々に発生し、個々のリスクさえカバーすれば、人には変える家庭があり、戻る職場があり、支える周囲の人々があり、そして、その「つながり」の中でふたたび力を取り戻し、社会や家庭の中で活動していくことができる、という暗黙の前提があったと言える」(106p)と述べていますが、その暗黙の前提が急速に失われたのです。

 こうした問題が顕在化した一つが、著者も関わったリーマン・ショック後の「年越し派遣村」でした。  
 通常の失業であればまずは雇用保険がカバーしますが、職を失った多くの派遣労働者は雇用保険に加入させられておらず、職の喪失がすぐに生活の危機へとつながりました。
 さらに職、住まい、当座の生活を包括的にカバーする制度はなく、どこの窓口にどのような申請を行えばいいのかもわからない状況でした。
 これに対応するためにワンストップ・サービスの仕組みが設けられましたが、これは生活困窮者自立支援法などに活かされていくことになります。

 この第3章では、著者が社会保険の加入漏れについてはやはり「雇用」を立て直すしかないとしている部分(109-113p)と、こども保険の元ネタともなっている権丈善一の「子育て支援連帯基金」を好意的に紹介している部分(141-144p)が興味深いです。小泉進次郎などが提唱するこども保険は、厚生労働省の中の人の考えとも近いのかなと思いました(第4章の178〜179pではこども保険と子育て支援連帯基金を違うものとして取り扱っていますが、中身は似ていると思う)。

 第4章は「全世代型」社会保障への転換について。
 まずは出生率回復の必要性があげられていることからもわかるように、「全世代型」と言った時に第一に想定されるのが子育て支援です。
 詳しくは本書を読んで欲しいのですが、各国の制度を参照しながら、仕事と子育ての両立支援と経済的支援の重要性が指摘されています。経済的支援については教育費の軽減・無償化と多子世帯への支援があげられており、安倍政権の今後の施策の方向性とも重なっています。

 第5章は人口減少にいかに備えるかという問題について。
 一口に人口減少と言っても、「高齢者は増加するが若年者は減少する」第一段階、「高齢者も微減に転じる」第二段階、「高齢者も含めてすべての世代が減少する」第三段階があります。現在、東京圏などの大都市は第一段階、多くの地方都市は第二段階、過疎地は第三段階にあると言えます。
 いずれ日本全体が第三段階に突入することを考えたとき、社会保障の効率化と多様化が必要だと著者は訴えています。

 効率化というと費用の節約が頭に浮かびますが、著者は人口減社会においては人材の効率化こそが最も求められるといいます。
 そこで考えられるのが「ICTの活用」、高齢者施設や障害者施設や保育施設などを一箇所に集める「サービス融合アプローチ」、「人材多様化アプローチ」です。
 「人材多様化アプローチ」は、複数の資格を持つ人がさまざまなニーズに対応するというもので、そのために現在それぞれ専門別に分かれている資格の養成課程を、共通+専門の二階建てにすることで資格を取得しやすくすることが提案されています(201ー204p)。

 他にも「すまい」の問題や地域組織問題が検討課題としてあげられています。「すまい」に関しては、今までの持ち家政策から転換が模索されており、コンパクトシティや空き家の活用といったおなじみの政策だけでなく、住宅手当にも触れているのが注目です。ここでは住宅のマッチングサービスも含んだ形の統合的な住宅手当の可能性が探られています(226ー230p)。
 
 しかし、こうしたことを行うにはやはり財源が必要です。これは簡単に答えの出る問題ではありませんが、著者は介護保険制度が負担増を嫌って延期されそうになった時に、有識者や自治体や市民から広く「凍結反対運動」が起こったことをとり上げ、今後の議論に期待をかけています。

 このように現在の社会保障制度と今後の展望を非常に多岐にわたってフォローしており、今後の社会保障について考えたい人には必読といえるでしょう。
 もちろん、今までに思いもつかなかったような処方箋が提示されているわけではありませんし、すべてがうまくいくようにも思えませんが、とりあえず政治の大きな介入がなければこんな感じで社会保障は生き残りと変革をはかっていくのではないかという見取り図を与えてくれる本です。


人口減少と社会保障 - 孤立と縮小を乗り越える (中公新書)
山崎 史郎
4121024540