IS標ぼうの「イスラム国家」事実上崩壊 ラッカが陥落

IS標ぼうの「イスラム国家」事実上崩壊 ラッカが陥落
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過激派組織IS=イスラミックステートが「首都」と位置づけるシリア北部の都市ラッカについて、軍事作戦を進めてきたクルド人勢力主体の部隊の報道官は、先ほど、NHKの電話取材に対し、市内全域を制圧したことを明らかにしました。ISが標ぼうしてきた「イスラム国家」は、「首都」だとする都市が陥落したことで、事実上崩壊しました。
シリア北部のラッカで軍事作戦を進めてきたクルド人勢力主体の部隊、「シリア民主軍」の報道官は先ほど、NHKの電話取材に対し、市内全域を制圧したことを明らかにしました。

今は、ラッカ市内に地雷などが埋まっていないかやISの戦闘員が潜んでいないか調べているということで、確認が終わったあと、記者会見を開くとしています。

ラッカは、ISが一方的に主張した「イスラム国家」の「首都」とされる都市で、「シリア民主軍」が、アメリカ主導の有志連合の空爆支援を受けながら、ことし6月から本格的な攻略作戦を進め、4か月で全域の制圧を果たしました。これによりISが標ぼうしてきた「イスラム国家」は事実上崩壊しました。

ISは、一時はイラクとシリアにまたがる広大な地域を支配しましたが、去年からことしにかけて、イラクとシリアの両政府軍や、アメリカ主導の有志連合、それにロシア軍などの攻撃を受けて次々に支配地域を失い、ことし7月には、イラクで最大の拠点だったモスルも奪還されました。

組織の幹部や多くの戦闘員が死亡したほか、税金の徴収や油田から得られる利益など組織の資金も大幅に減少し弱体化が進んでいました。

その一方で、ISの過激な思想や欧米諸国などに対するテロ攻撃の呼びかけはインターネット上などで拡散を続け、世界各地でこれに呼応したテロが相次いでいます。

国際社会にとっては、軍事面だけでなく過激な思想の拡散や若者への影響をどう防いでいくかが課題になっています。

ISの「国家」宣言からこれまでの経過

過激派組織IS=イスラミックステートの前身は国際テロ組織アルカイダの流れをくむ「イラクのアルカイダ」です。

2011年、中東で民主化を求める人々の運動、いわゆる「アラブの春」が広がるなか、イラクの隣国シリアでは抗議行動に対する政権側の弾圧が内戦に発展。ISはその混乱に乗じて、シリアとイラクで急速に勢力を拡大しました。

3年前(2014年)の6月には、イラク第2の都市モスルを制圧し、シリアとイラクにまたがる「イスラム国家」の樹立を一方的に宣言しました。
指導者のバグダディ容疑者はイスラム共同体の最高権威の称号「カリフ」を名乗り、世界中のイスラム教徒に忠誠を求めました。

ISはインターネットを駆使して、過激な思想や残虐な映像を広めることで世界各地から戦闘員となることを希望する若者を集めたほか、子どもたちに訓練を施して少年兵に仕立て上げるなど戦闘員の数は数万人規模にまでふくれあがりました。

支配地域ではイスラム教の極端な解釈に基づいて、独自の警察組織や行政機関を整備し住民に重い税金を課したほか、服装からしこう品まで日常生活を制限するなど多くの決まりを設け、従わない者を公開で処刑し恐怖で住民を抑えつけました。

これに対しシリアやイラクの政府軍、クルド人の部隊、それにシリアの反政府勢力などが各地でISとの戦闘を開始し、アメリカ主導の有志連合やロシアもそれぞれが支援する地上部隊を支援する形でISの拠点を空爆。劣勢となったISは、ことし7月にはイラクで最大の拠点としてきたモスルを失うなど次々と支配地域をなくし、弱体化が決定的となりました。

IS標ぼうの「イスラム国家」事実上崩壊 ラッカが陥落

過激派組織IS=イスラミックステートが「首都」と位置づけるシリア北部の都市ラッカについて、軍事作戦を進めてきたクルド人勢力主体の部隊の報道官は、先ほど、NHKの電話取材に対し、市内全域を制圧したことを明らかにしました。ISが標ぼうしてきた「イスラム国家」は、「首都」だとする都市が陥落したことで、事実上崩壊しました。

シリア北部のラッカで軍事作戦を進めてきたクルド人勢力主体の部隊、「シリア民主軍」の報道官は先ほど、NHKの電話取材に対し、市内全域を制圧したことを明らかにしました。

今は、ラッカ市内に地雷などが埋まっていないかやISの戦闘員が潜んでいないか調べているということで、確認が終わったあと、記者会見を開くとしています。

ラッカは、ISが一方的に主張した「イスラム国家」の「首都」とされる都市で、「シリア民主軍」が、アメリカ主導の有志連合の空爆支援を受けながら、ことし6月から本格的な攻略作戦を進め、4か月で全域の制圧を果たしました。これによりISが標ぼうしてきた「イスラム国家」は事実上崩壊しました。

ISは、一時はイラクとシリアにまたがる広大な地域を支配しましたが、去年からことしにかけて、イラクとシリアの両政府軍や、アメリカ主導の有志連合、それにロシア軍などの攻撃を受けて次々に支配地域を失い、ことし7月には、イラクで最大の拠点だったモスルも奪還されました。

組織の幹部や多くの戦闘員が死亡したほか、税金の徴収や油田から得られる利益など組織の資金も大幅に減少し弱体化が進んでいました。

その一方で、ISの過激な思想や欧米諸国などに対するテロ攻撃の呼びかけはインターネット上などで拡散を続け、世界各地でこれに呼応したテロが相次いでいます。

国際社会にとっては、軍事面だけでなく過激な思想の拡散や若者への影響をどう防いでいくかが課題になっています。

ISの「国家」宣言からこれまでの経過

過激派組織IS=イスラミックステートの前身は国際テロ組織アルカイダの流れをくむ「イラクのアルカイダ」です。

2011年、中東で民主化を求める人々の運動、いわゆる「アラブの春」が広がるなか、イラクの隣国シリアでは抗議行動に対する政権側の弾圧が内戦に発展。ISはその混乱に乗じて、シリアとイラクで急速に勢力を拡大しました。

3年前(2014年)の6月には、イラク第2の都市モスルを制圧し、シリアとイラクにまたがる「イスラム国家」の樹立を一方的に宣言しました。
指導者のバグダディ容疑者はイスラム共同体の最高権威の称号「カリフ」を名乗り、世界中のイスラム教徒に忠誠を求めました。

ISはインターネットを駆使して、過激な思想や残虐な映像を広めることで世界各地から戦闘員となることを希望する若者を集めたほか、子どもたちに訓練を施して少年兵に仕立て上げるなど戦闘員の数は数万人規模にまでふくれあがりました。

支配地域ではイスラム教の極端な解釈に基づいて、独自の警察組織や行政機関を整備し住民に重い税金を課したほか、服装からしこう品まで日常生活を制限するなど多くの決まりを設け、従わない者を公開で処刑し恐怖で住民を抑えつけました。

これに対しシリアやイラクの政府軍、クルド人の部隊、それにシリアの反政府勢力などが各地でISとの戦闘を開始し、アメリカ主導の有志連合やロシアもそれぞれが支援する地上部隊を支援する形でISの拠点を空爆。劣勢となったISは、ことし7月にはイラクで最大の拠点としてきたモスルを失うなど次々と支配地域をなくし、弱体化が決定的となりました。