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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

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『“プロブロガー叩きする者”を批判する人』に口を出す奴は、非論理的で大人げなくて笑える

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叩くことを我慢できず『叩く人を叩く人』を叩く人々

 昨日、下記のディスリスペクト記事を投稿した。

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 少々の反響を呼び、賛否両論が渦巻いた。

 とりわけ笑えたのは、『“プロブロガー叩きする者”を批判する僕』を見て、「叩く者を叩くという間抜けな構成」という解釈をしておきながら、何をとち狂ったのか、叩きに興じる者が散見されたことである。

 しかも悲しいかな、叩きという言葉を包括的に使用して「叩き記事」を書いた僕とは異なり、おまえらは、「叩き」そのものにピンポイントでフォーカスして、僕を叩いている訳だ。
 要するに、叩く者を叩いている僕を叩いたということは、強く『叩きを否定する側の立場』であるにも関わらず、大人げなく、衝動的に叩きを実行してしまったということになる

 それゆえ、叩く者を叩く僕を哀れと思って叩いたおまえらは、そこらへんの筋道を物忘れし、盛りのついた小猿みたいに飛びかかってしまったという不始末を犯した点で、救いようがないくらいに哀れなのである。

 非論理的に論理を組み立てて、非合理なことを合理的に行ってしまっている。
「ここに張り紙を貼ってはいけません!」という張り紙パラドックスにも等しく、「暴力反対」という戦争のスタートだ。

『中立な出来た大人』と評価されたい見栄っ張りな人々

 彼らは、『大人びた冷静な自分』を演出することに、すべてのリソースを注いでいる。

 クールを装い、「やれやれ」といった態度で近づいてきて、「批判する人を批判したら、おまえもそいつと同等だ」「ブーメランになっているのを理解していないのかな?」などと、ニーチェで言うところの『お前が深淵を覗くとき、深淵もまたお前を覗いているのだ』理論を、アイロニカルなフォームで投げ込んでくる
 まるで神様気取りであり、もはや天界におわす者のごとき目線で、偉そうに中立ぶったコメントを書き残すのだ。

 これほど卑怯で、浅はかで、大人げないことは滅多にない。

まさに漁夫の利!他者の争いを材料に自己評価を高める人々

 おまえ自身も一緒になって『叩きの論理』の中に吸い込まれておきながら、『同じ穴の狢』『ブーメラン乙』といった言葉を遠巻きに飛ばすことで、自分の立場を死守し、『理性的に物事を判断出来る大人』という評価を盗み取ってゆく。

 僕らのような醜いアヒルの子がいるバトルホールに、『同じ穴の狢』という攻撃的な言葉の通行証を用いることで侵入し、そればかりか、ブーメランが飛び交う空間の中に、おまえ所有のブーメランも投げ込むという、いかれ狂った所業。
 かような方法で、議論のバトルロワイヤルにおまえも参加しておきながら、「争いはなにも生まないよ?」「君の文章が、そっくりそのまま君に返ってくることも分からないのかな?」「叩く人を叩いているという間抜けな構図」といった具合に、『自分だけは一歩引いた大人のポジション』を確保しているニュアンスで語り出すのは、厚かましさこの上ない態度である。

 そうやって一言物申したくなったおまえが、我慢せずに皮肉を口にした瞬間、我々となんら遜色ない愚かなる存在であることが立証されたのであった。

「まとめ役」になることで有能ぶりたい人々

 生き様が『まとめサイト』みたいな輩がごろごろと存在する。

 プロブロガーを叩く人VSプロブロガーを叩く人を叩く人

 こうした討論の場に無断で踏み込んできて、許可も取らずに、「このわたしが、オーガナイザーです。お見知りおきを」とでも言いたげに、誰も頼んでいないのに『まとめ役』を果たそうとする。

本件は~、叩く人を叩くという構造となっており~、天につばする行為で~、ブーメラン乙~、云々

『皮肉を利かせたまとめ』というやり口で、自分が思いついた叩きのコメントを、あたかも「事実だけを述べました」という顔をして、お披露目する有様。

 ちょっと待てよ、なんでおまえだけ泥沼の試合から、一抜けしようとしているんだ?

 卑怯なんだよ。小賢しいんだよ。
 人様の争いに燃料しか投下してないのに、正義の大人ぶった態度を良くとれるものだな。

 まずはお前が口を慎め。そして慎みを伝染させてみろよ。拡大しない徳なんてのは虚空と大差ない。安っぽい綺麗事に浸るなよ。光まがいのものをこぼすな。半端な正義は害でしかない。点滅する蛍光灯に同じだ。

 人様のバトルに口を挟んで承認を稼いでいる暇があれば、自分の人生で戦えよ。

 他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ。

人間は叩かれる痛みを知っても、優しくなれないのかもしれない

 おまえらは、「叩く人を叩く人」という僕を見て、道徳的にか感情的にかは分からないが、引っ掛かったんだろ?
 引っ掛かりの痛みを知っているはずなのに、どうしておまえも「叩く人を叩く人を叩く人」に成り下がってしまったの?

 遠い昔、『釣られた魚は漁師にならない』という、アンチテーゼの生まれ変わり説を、田舎のばあちゃんに説かれたことがあるのだが、魚類と違って人類は、痛みを知っても他人に優しくなれないということか?

 よく考えれば、痛みを知って学べる知力があれば、人は争わないはずだ。
 おまえらは、繰り返す歴史の中で、歴史が繰り返すことを証明してしまっている。

「叩く人を叩く人を叩く人」に堕ちて、どうするんだよ

 論理×論理×論理=殴り合い

 色とりどりの論理があることに耐えられなくなった人間は、論より衝動で生きるようになり、果ては戦争が起承転結する。

 論理の上には論理しかなくて、ムカデ式に論理が直結して、論じるまでもないことを論ずる僕みたいな馬鹿げた相手に、異論を唱える者どもばかりいて……

 そして、地球は今日も回っている。

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