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障害者だからといって甘えない。
むしろ障害があるからこそ、魂を鍛えて凛々しく障害をまっとうする。
そういう勁(つよ)さを持つことを、障害者であれ健常者であれ、ともに大切にしてきたのが日本人だったのです。
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10月26日(木)18:30
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第20回 百人一首塾 *****
昭和12(1937)年にヘレン・ケラーが来日しました。57歳のときです。
このとき日比谷公会堂で、ヘレン・ケラーに大きな日本人形が渡されました。
渡したのは中村久子さんという、当時41歳の女性です。
上はそのときの写真です。
大きくて美しい日本人形が写っています。
みるからに、しっかりとした作りです。
一緒に写っているのが中村久子さんです。
写真を見て、なにか気付きませんか?
この中村久子さんは、実は、両手両足がありません。
一緒に写っている人形は、彼女が、クチを使って、器用に縫った人形です。
中村久子さんは、明治30(1897)年に、岐阜県北部の高山で生まれました。
「飛騨の高山」として有名なところです。
冬は、深い雪に埋もれます。
その寒さのために、彼女は2歳のときに、凍傷に罹ってしまうのです。
最初は、左足の甲だけだったそうです。
けれど凍傷は、次第に左手、右手、右足へと広がり、脱疽(だっそ)をひき起こします。
脱疽というのは、体の組織が壊死(えし)していくことです。
そして壊死した部位は、こんどは腐敗菌に感染します。
すると人の体は、肌色ではなくて、まるで墨を塗ったみたいな真っ黒になります。
本当に墨のように真っ黒になります。脱疽です。
そうなっていく過程で激痛を伴ないます。
真っ黒になったところは、すでに組織が死んでいますから、その部位は切り取らなければなりません。
つまり手足を斬り落します。
そうしなければ、感染部位が体全体に広がり、命が失われるからです。
切れば、命は保たれます。けれど両手両足がなくなります。
切らなければ、死にます。
ご家族は、親戚まで集まって、たいへんに悩まれたそうです。
そして幾度となく親族会議が行われ、決断がでないうちに、左手が手首からポロリと崩れて落ちてしまったのだそうです。
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