先日都内の一般道を運転中、車線変更しようとしたときに、後ろの車の陰から突如現れたバイクが、猛スピードで横をすり抜けて行った。
バイクの姿を認め、車線変更は中断したので、事故になることはもちろん、危ない状況でもなかったが、バイクの運転手は危険に感じたのだろうか。突然スピードを緩め、蛇行運転をしたかと思うと、あろうことか私の車の真ん前で停止した。
このままでは事故になると思ったのと、こんな運転をする輩だから、まともな人間ではないと思い、車線変更して振り切ろうとすると、今度はスピードを上げて追いかけてきた。
そして、私の車を追い抜いたかと思うと、またもや速度を落として私の車の前で停車した。交通量の多い日中だったので、それ以上の車線変更もできず、私は無理やりに停車されられた。
バイクの男は、初老と言っていいほどの年恰好であったが、バイクから降りて、私の車に近づき、何やらわめきながら窓をノックした。
私はとっさにドアロックを確かめ、携帯を取り出した。そして、少しだけ窓を開け、努めて冷静に「何か言い分があるようですから、警察を呼びます。ドライブレコーダーもあります(これは咄嗟の嘘だったが)」と言うと、捨て台詞を残して離れて行った。私の車の後ろは、当然大渋滞になっていた。
私の場合は、一般道であったこと、元々渋滞気味でノロノロ運転であったことなどから、大事には至らずに済んだが、不快な気持ちは一日中消えなかった。
その数日後である。日本中を怒りの渦に巻き込んだ事件が報道された。事件自体が起きたのは6月だったが、被害者家族の証言や警察の捜査の進展から、この時期の報道となったのであろう。
事件は、東名高速の下り車線、パーキングエリアの出口付近を塞ぐようにして停車していた車に対し、被害者がすれ違いざま注意をしたことが発端となる。
逆ギレしたその車に執拗に追い回された挙句、進路妨害をされ、追い越し車線で目の前に停車されたため、車を停めざるを得なくなった。そして、胸ぐらをつかまれるなど暴行された挙句、後続車にはれられて、子ども2人の目の前で夫婦が亡くなったという最悪の結末に至った。
何とも言えぬ怒りがわき起こり、理不尽な気持ちがぬぐえない事件である。また、目の前で両親を亡くし、残された子どもたちのことを思うと、暗澹たる気持ちになる。さらに、事件の態様から、危険運転致罪には問いづらく、過失運転致死罪で逮捕されたというから、なおさら理不尽な気持ちがぬぐえない。
危険運転致罪は、1年以上20年以下の懲役であるのに対し、過失運転致死罪は、7年以下の懲役または禁錮もしくは100万円以下の罰金であり、事件の大きさに比べて、あまりにも軽い。
これほどの危険な行為をして、その挙句2人もの命が奪われたのだから、未必の故意による殺人ではないかという意見すらある。
夜の高速道路で、しかも追い越し車線で通行の妨害をして、無理に停車させるという行為は言うに及ばず、車外に引きずり出そうとして暴力を振るうという行為は、明確な殺意はなくても、「事故を招いてもよい、そしてその結果死に至るようなことがあっても知ったことではない」という気持ちは認められるのではないだろうか。
実際に被害者は死に至っているのだから、それほど危険な行為であることは、疑いようがない。
人々がこの事件に大きな怒りをおぼえるのは、このような事件の悲惨さ、被疑者の身勝手さ、予想される量刑の軽さのほかにも、この事件の「日常性」ゆえであろう。
冒頭で、私自身の経験を述べたが、1つ間違えばだれにも起こりうる事件であり、被害者の無念さにたやすく共感できる事件だからだ。遠い中東の自爆テロ事件も悲惨であることは間違いないが、なかなか自分の身に照らして実感することは難しい。