「全国にはまだ“障害者の利用はお断りする”という陸上競技場があるのが現状なんです」ーーパラリンピアンの訴えに、思い当たることがあった。
平日の昼下がり、記者(朽木)が代休を取ってトレーニングのために訪れていた都内の陸上競技場に、練習に励む車いす陸上競技の選手がいた。

写真はパラ陸上の車いす短距離界の第一人者である永尾嘉章氏。
人影の少ないスタジアムに響く、「シャーッ」という軽快な車輪の音。それを好ましく思うとともに、あることに気づいた。記者は車いす競技者を初めて間近で見かけたのだ。
上京して社会人になり、トレーニングを再開したのはつい最近のこと。大学卒業まで10年以上、陸上競技をしてきた。はっきり数えたことはないが、陸上競技場を使った練習は、500回は下らないだろう。
しかし、障害者スポーツの陸上選手と練習したことは、一度もなかった。振り返ってみれば、出身も大学も、ずっと地方だった。
「全国的に見ると、障害者スポーツは、まだ基盤ができていない」そう話すのは、ロンドンパラリンピックの義足部門の入賞者である春田純選手だ。

ロンドンパラリンピックでの春田選手の力走。自己ベスト記録は100mで11秒95。
地方における障害者スポーツの現状は、どうなっているのか。春田選手は記者の取材に、ロンドンパラリンピック前のあるエピソードを紹介してくれた。
「僕は静岡の清水出身なのですが、ロンドン(パラリンピック)の少し前に、地元の陸上の大会に出場しようとしたんです。そうしたら“障害者の方は無理です”と言われてしまって」
「理由を聞くと“何かあったら困る”と言われたのですが、陸上競技はそもそも、健常者でも転倒や接触によるケガのリスクのあるスポーツ。腑に落ちず、何がダメなのか聞いたのですが、“危ないから”の一点張りでした」
大会に出場できなければ、事実上、競技ができないことになる。春田氏も「これでは障害者はスポーツができないと言われたようなもの」と疑問を感じた。
「差別だとは言いませんが、地方にはこのような“縛り”がある。ロンドン以降は、このような縛りをなくすため、積極的に一般の大会に出場するようにしています」
実際に走りを見ると「みなさん“意外と普通に走れるんだな”と感じるようです」と春田氏。現在も東京パラリンピックに向けて競技を続けるかたわら、積極的に講演活動にも取り組んでいる。
「もちろん、障害にもいろいろあるのですが、“障害者はダメ”とひとくくりにされてしまうと、できることもできなくなってしまう。未だに、障害者イコール厄介、扱いにくいもの、というイメージがあると思います」
「障害者スポーツの基盤」とは、例えば春田氏自身の競技である義足部門について言えば、場所と設備、そして人と人の交流だ。
これらが乏しい地方では、競技を続けることがそもそも困難だ。少しでも環境の良い東京に通ったり、移住する競技者もいるという。
「だから、ここはすごくいいんです。義足がある。義足の選手でも自由に使えるトラックがある。メカニックもいる。そして、義足の選手が集まってくる。健常者と障害者が共存している、本当にいいプロジェクトなんです」
春田氏のいう“ここ”とは、10月15日にオープンセレモニーがおこなわれた『義足の図書館』だ。
1本数十万円という値段なのに、試し履きもできない競技用義足。足を失っても「走る楽しみ」を奪われないためのプロジェクトとは。
『義足の図書館』は競技用義足の普及を目的に発足した、クラウドファンディング(CF)(*)のプロジェクト。
*インターネットを通じて不特定多数から資金を集める仕組み。

このプロジェクトは1500万円の目標に対して、600人超の支援者から、約1750万円を集めた。
全国に6万人いるという下肢切断者のうち、競技用義足により「走る」ことを取り戻した人は数えるほど少ない。
その理由のひとつが、競技用義足、通称「板バネ」が高価であることだ。1本あたり20〜60万円で、気軽に購入できる値段ではない。

写真中央のL字型の義足が「板バネ」。左右は通常の形の義足。
また、このような理由で競技者も少なく、これまで需要も小さかったため、国内では試し履きすら満足にできない状況があった。
一般の人がイメージするであろう、人の脚の形を模した棒状の義足では、実は十分に走ることができない。
リオパラリンピック日本代表で、今回のプロジェクトの発起人の一人でもある佐藤圭太選手は、その感覚を「ずっと脚の下の方をギブスで固められているようなもの」と表現する。

佐藤選手の力走。写真はロンドンパラリンピック時のもの。
対して、板バネはバネの力を使い、走るという行為に特化した義足だ。佐藤選手も「初めて履いたときは、その走りやすさに驚いた」という。
佐藤選手の自己ベストは100mで11秒82。前出の春田選手も11秒台であり、これらの記録は義足であっても「トップアスリートは健常者と同様のスピードが出せる」ことを示している。
そのため、『義足の図書館』には、CFで集まった1750万円の資金を使い、24本の板バネやその周辺器具を取りそろえた。これらは1回500円で自由に、何本でも試し履きができる。
『義足の図書館』が設置されているのは、元オリンピック日本代表選手の為末大氏が館長を務める『新豊洲Brilliaランニングスタジアム』。ここでは、義足のランナーでも、健常者のランナーでも、一緒に練習をすることが可能だ。
これはまさに、前出の春田選手の言う「障害者スポーツの基盤」が整った状態ともいえる。
このランニングスタジアムには、もともと『Xiborg』という国内の義足メーカーのラボが併設されている。代表を務めるエンジニアの遠藤謙氏は、今回のプロジェクトのもう一人の発起人だ。

報道陣に『義足の図書館』の説明をする遠藤氏。
この場所を起点に、義足エンジニアや国家資格である義肢装具士の交流が生まれ、競技用義足の発展を促す狙いもある。そのため、館内には『Xiborg』以外のメーカーの義足も、区別なく置かれている。
オープニングセレモニーで、遠藤氏は『義足の図書館』について、「社会が多様性を受容する体現の場になってほしい」とその思いを述べた。
「あなたの隣にいる人は、義足かもしれない」ーーダイバーシティーという言葉の意味を教えてくれる、子どもたちのかけっこ。
陸上競技をしていると、必ずと言っていいほど「ただ走って何が楽しいの?」と質問される。
なぜ走るのか。いざそう聞かれると、なかなか答えにくい。それを考えるヒントになるのが、記者が前出の佐藤選手を取材したときの回答だ。
健常者でも理由を問われてしまう「ただ走ること」は、足を失った状態では、より困難になるだろう。それでも、パラアスリートたちは今もなお、走っている。答えにくさを承知で、同じ質問をさせてもらった。
佐藤選手は意外にも「もともと、僕は走ることがそんなに好きではなかった」そうだ。中学3年生のときに、ユーイング肉腫と呼ばれる小児や若年者の(主に)骨にできるがんを発症。治療のため、右膝下を切断した。
当初は「リハビリのつもりで走っていた」が、「足をなくして、走れなくなって、マイナスになったからこそ、走ることの本来の楽しさを感じられるようになった」という。
「走ることで、日々の自分の成長を実感できます。それが、競技を続けるモチベーションになっています」(佐藤選手)
オープニングセレモニー中、義足の装着と、実際の走りのデモンストレーションには、10歳のハルタくんが参加した。

今回のCFをきっかけに、競技用義足を初めて身につけたというハルタくん。
ハルタくんは先天性脛骨欠損症という病気で、生まれつき脚の主要な骨のひとつがなかったため、2歳のときに右足の膝関節部を切断している。
義肢装具士にサポートされながら、子ども用の競技用義足を装着しているハルタくん。
競技用義足を装着して走る様子。右がハルタくん、中央は大学生の山下千絵選手。
デモンストレーション後、ハルタくんに直接、同じ質問をしてみた。「走るの、大変じゃない? なんで走るの?」と聞き終わらないうちに、ハルタくんは早口で「楽しいから!」と答える。

ハルタくんの義足はキャラクター仕様。
「前の義足だと、50m走とか、クラスでビリだった。でも、今はビリじゃない。どんどん速くなるし、楽しい!」
聞けば、50m走は11秒45だという。10歳の50m走としては、十分に、誰かと競り合えるレベルだ。そんなハルタくんの目標は「パラリンピック!」だという。
質問が終わったとみるや否や、ハルタくんは会場の人だかりの方へ駆け出していった。
「お子さんは自由にしていて構いません。それも私たちの考える多様性です」ーー開会時に遠藤氏からそうアナウンスされたこともあり、会場では子どもたちの「かけっこ」が盛り上がっていたのだ。
記者がほほえましく眺めていると、活発に動き回るある女の子に目が止まった。しばらく気がつかなかったが、両足が義足なのだ。

写真手前の女の子の両足は、よく見ると義足だった。
「あなたの隣にいるのは、義足の人かもしれません」ーー遠藤氏はこうもアナウンスしていた。たしかに、よく観察しなければ、特に気にならなかっただろう。
その女の子、Hさんは8歳。ご両親の説明によれば、ハルタくんと同じ先天性脛骨欠損症が両足にあり、4歳半のときに両足のひざ関節部を切断した。
「見てのとおり、なんでもやりたい子で。みんながやっていることを、やりたくなってしまうのでしょうね」(Hさんのお母さん)
Hさんは「走るのが好き!」だという。「普通の義足でも走れるけど、疲れちゃう。板バネを履くとぴょんぴょん跳ねるから楽しいんだよ!」(Hさん)
走るというのは、人間の基本的な動作のひとつだ。子どもの頃はそれを自然と「楽しい」と感じられるが、次第に意味を感じられなくなってしまうのかもしれない。
しかし、失われてみると、あらためて大事だと気づくもの、ということがわかる。
だとすれば、誰もが等しく走ることを楽しむための基盤というのは、やはり整備されている必要があるだろう。
ここまで、主に先天性の病気により足を失った人たちを紹介したが、突然の交通事故などで、足を失ってしまうことは、誰にでもあり得る。
「ダイバーシティー(多様性)」がトレンドワードだが、そう難しく考えなくても、要は「足のあるなしに関わらず、みんなでかけっこができること」なのではないかーー並んで走る子どもたちを眺めながら、ふと、そう感じた。
『義足の図書館』は今後、全国を旅する「移動図書館」にする構想もあるという。このような取り組みにより、地方における障害者スポーツの現状も、少しずつ変わっていくのかもしれない。
2005年から義足の研究・開発を続ける遠藤氏は、義足のようなテクノロジーは「非常に人間らしい」と表現する。
「失われた体のパーツを作り出そうとする、そして、作り出せるのは、人間くらいでしょう」
「人間は、例えば足を失って、生きてはいけるという状態でも、どう生きたいかを重視し、自己実現を試みます。義足は人の幸福を追求するための、ひとつのツールなのです」
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