現在、全国公開中。映画『ドリーム』
私が全幅の信頼を置き、安心しきって自分の歯をゆだねていた歯科衛生士さんが近く退職することを知りました。もうクリ―ニングや検診を腕のいい衛生士から受けられないのが残念なのはいうまでもありませんが、次に聞いた彼女の言葉に私の心は沈んでいます。
「もうよそでは歯科衛生士として働けないと思います。私は40歳を過ぎているので」
なんでも35歳を過ぎた女性は、歯科衛生士として採用されにくいのだとか。女性を採用するか否かを年齢で決定する風習は、日本ではどの業界でもおなじみです。
このテのことを書くと、以下のような反応が必ず返ってきます。「知り合いの女性は50代で正社員として就職した」「うちの職場に最近40代女性が入ってきた」ーー主に男性からです。
探せばいくらでも例外はあるでしょう。ただ、35歳を過ぎて100社以上から不採用になった経験を持つ私は“35歳の壁”を身をもって経験しました。ハローワークの職員や企業の採用担当者から35歳オーバーの女性は経験・資格に関わらず書類で落とされると直接聞いてもいます。
年齢を理由に不採用になった女性は、恥じて口を閉ざします(ハレンチにもその体験を公表するのは変わり者の私くらいでしょう)。この国の現状を、男性は単に知らないだけなのではないかな、という気がします。
逆は可能でも、お金持ちが貧乏人の生活を想像するのは不可能だといいます。それと同じく就労において優遇されている側は、差別されている側の現状にみずから気づくことは決してないのです。
前人未到の宇宙と、男女平等
現在公開中の映画『ドリーム』は、優位に立つ側が決して見ようとしない人種差別や性差別の実態に対して声を上げつづけ、国を変えた女性たちの物語です。
この映画は1961年のアメリカ・バージニア州、NASA研究所が舞台です。しかしそれらはあくまでもプロップ(小道具)と私は考えます。作品のテーマのひとつに人種差別はもちろんあります。けれど主人公女性3人がアフリカン・アメリカンであることは、「女性蔑視」という、現代では見えにくくなってしまった差別を可視化する効果的な視覚的手法としての機能が大きいと感じました。この映画は米国・日本問わず現代社会にいまだ根深く残る、就労における女性差別について描かれた映画だと私は思います。
キャサリン(タラジ・P・ヘンソン)はNASAでコンピュータ(計算係)として働いています。電子コンピュータ登場前の時代、「コンピュータ」とは計算だけをする生きた人間のことを指しました。NASAで数学を駆使して働くなんてすごいことですが、これは上の指示に従った計算作業だけに特化した職務であり、NASA内では見下されています。それゆえ「コンピュータ」は全員女性です。その下流のコンピュータ部署でもさらに底辺の存在が、アフリカン・アメリカンであるキャサリンたちがいる「Colored Computer(有色計算係)」部署です。キャサリンたちは、ヨーロッパ系アメリカ人のコンピュータ女性がいる部屋とは離れた地下室で働いています。
当時のNASAは有人宇宙飛行でソ連に先を越され赤っ恥をかいたところです。一刻も早く「男性を宇宙空間に飛ばすこと」それが至上命題でした。そんななかキャサリンは宇宙特別研究本部の上司であるハリソン(ケビン・コスナー)に問われます。
「我々には数字を超えたところにある景色が見えてなきゃいけない。私はすでに宇宙に到達している。君はどうだ?」
このときキャサリンが思い描いた「宇宙」、それはどんな場所でしょうか。
キャサリンに見えていた「宇宙」とは個人のエゴを超え、就労における男女同権が実現した社会ではないでしょうか。映画『ドリームは』男女同権そして人種平等という、前人未到という点ではまるで宇宙のような地に降りたとうと努力する女性たちの物語だと思うのです。