kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2017年10月15日

Brexitを59:41で支持した町で、140年以上も存在してきた町のシンボルが消えるとき(プールの製陶・タイル産業)

イングランドの南西部、コーンウォール半島が突き出ていく根元の部分に位置するドーセット州に、プール (Poole) という町がある。海に面した港湾都市で、歴史は古く、16世紀には米大陸の植民地との交易で栄え、産業革命期には人口が増大したが、ここの港は水深が浅く、船舶の大型化にともなって港湾都市としての役割は縮小、代わって近隣のリゾート都市ボーンマスで消費される物資の生産拠点として繁栄した。第2次世界大戦時には、ノルマンディー上陸作戦で3番目に大きな連合軍の出発地点となり、作戦後は欧州大陸にいる連合軍のための物資供給拠点となった。このためドイツ軍の空襲は頻繁で、戦後はしばらく荒廃した時期が続いた。1950年代から60年代の再開発で荒廃した地域の古い建物は取り壊され、現在ではあまり古い町の面影をとどめてはいないようだ。1960年代には製造業が栄えたが、80年代から90年代にかけてサービス産業の拠点が多く移転してきたため製造業の重要性は相対的に薄れた。とはいえ、ヨットメーカーなどの大きな製造拠点が置かれていて、地域の経済を支えている。東京の地下街に漂う強烈な香りで存在感抜群の化粧品・トイレタリーのLushは本社と工場をこの都市に置いている。プール出身の著名人としては小説家のジョン・ル・カレ、映画『ホット・ファズ』などのエドガー・ライト、エマレクのグレッグ・レイクといった人々がいる。現在の人口は15万人ほど(2016年半ば、推計)。東京でいうと中央区程度だ(中央区は昼間の人口は多いが、住民として登録している人は少ない)。
https://en.wikipedia.org/wiki/Poole

ざっとそのような都市なのだが、ここにはひとつ、ロンドンととても縁の深いものを生産していた歴史がある。地下鉄駅に使われているタイルだ。

大英帝国が栄えていた19世紀後半の1873年、プールの波止場の地域で "Carter's Industrial Tile Manufactory" というタイル製造業者が事業をスタートさせた(この会社が、後に "Poole Pottery" となる)。ヴィクトリア時代のタイルといえばミントン・タイルが有名だし、英国の製陶業といえばそのミントンも製造拠点を置いていたストーク・オン・トレントが有名だが、南部のプールにも大きなメーカーがあったわけだ。

Swiss Cottage TilesそのPoole Potteryは、20世紀に入ると、欧州のアール・デコや当時の前衛絵画を取り入れた大胆なデザインで有名なトゥルーダ・カーターなどのデザイナーを擁し、また、1930年代に建設されたロンドン地下鉄駅で使われているタイルの多くを製造した。そのひとつが、今もベスナル・グリーン駅、スイス・コテージ駅などで見られる、ロンドン各地のシンボルを刻んだレリーフのタイル(右写真 via R~P~M's flickr. デザイナーはピカディリー・ラインのマナーハウス駅などにはまってるかっこいい換気口カバーをデザインしたハロルド・ステーブラー)。これらのタイルの中にはヴィクトリア&アルバート博物館に入っているものもある(V&Aでは製造業者名を "Carter & Co." と記載している)。

第二次大戦後はそういった実用的な産業製品というより家庭内で使う装飾的な色の濃い陶器(花瓶、飾り皿など)で有名なようだ。創業以来の波止場地区の工場は1999年に街中に移ったが、その工場は2006年に閉鎖され、Poole Potteryの生産拠点はプールの町を離れてスタフォードシャーに置かれるようになり、創業の地はPoole Quay Studioという観光施設となり、同社製品の博物館となっているほか、製陶体験講座の開設や、同社製品の販売が行われていた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Poole_Pottery

(と、さらっと書いているが、21世紀に入ってからの同社はなかなか大変な経緯をたどっている。ウィキペディアでだいたいのことはわかる。現在は実用的テーブルウエアの製造で有名なデンビーなどとともに、Hilcoの傘下にある。)

そのPoole Quay Studioが、今日10月15日に閉鎖されることになっていて、BBCにその閉鎖がプールの街にどういう影響を与えるかということについての記事が出ている。



The loss of a Dorset pottery manufacturer in Poole will "kill the town", a campaign group has claimed.

Poole Pottery will close its doors for the final time at the quay later after owner Denby said it failed to reach an agreement with the landlord.

A petition by Poole Pottery Collectors Club to keep the shop open gathered more than 4,000 signatures.

Denby said it was continuing to try to find alternative premises for the 144-year-old business.

The closure of the shop, which also includes a studio and kiln, means 33 jobs will be cut.

Sue Smith, of Poole Pottery Collectors Club, said: "The loss of Poole Pottery is going to kill the town, totally.

"One million people a year go through that shop."

http://www.bbc.com/news/uk-england-dorset-41589752


記事には、社名が "Carter & Co." だった時代のものを含め、プールの町で見られるPoole Pottery社のタイルの写真が何点か紹介されている。手描きで美しい柄が描かれたタイルが、パブの入り口や海岸の標識にはまっている。

そのひとつにThe Swan Innというパブがある。いかにもアールヌーヴォーの時代という雰囲気の緑色のタイル張りの外壁で、入り口上部を白鳥が描かれたタイルが飾っている。しかし、パブとして営業している雰囲気ではない。建物だけ残っているのだろう。

英国では、一般の人が自分の町の歴史を書きとめておくとか、何らかのテーマに沿って体系的な「○○史」の研究を行うといった、いわゆる「アマチュアリズム」の伝統にのっとった活動が盛んだ。「盛んだ」というより、普通だ。インターネット前は機関紙やニューズレターが発行されていたのだが、インターネットが普及したころには、英国ではそういったアマチュアの「○○史」の個人サイトやグループのサイトがたくさん作られていて、私も日本から「ディレクトリ型検索エンジン」経由でそういったサイトにアクセスしては眺めていた。鉄道の駅、車両やパスの型など交通系のあれこれや郵便切手が、そういった個人の研究とその成果のシェア(「写真の見せ合いっこ」ともいう)が最も充実する分野だが、町にたくさんある(あった)パブ(の建物)についての情報もネット上では充実しており、そういうサイトではそのパブの建物が建てられた年代や現在のオーナーなどを調べることができたし、閉店したパブのことも確認できた。

……ということを唐突に書いているのは、「プールのザ・スワン・イン」についてちょっと調べてみようとGoogleに投げて返ってきたのが、そういうサイトだったからだ。





検索画面にはさらに、2006年7月のボーンマス・エコーの記事も出ていた。この建物は、集合住宅を建てる再開発計画のため、いったんは取り壊されそうになっていたのだ。

Opposition grows over plan for pub demolition
http://www.bournemouthecho.co.uk/news/851346.Opposition_grows_over_plan_for_pub_demolition/

BITTER opposition is growing to the proposed demolition of one of the few decorative tiled pubs left in Poole.

Demolition of the Edwardian green-tiled former Swan Inn in Old Orchard is part of development plans by the Skelton Group to build 96 apartments and seven commercial units.

The faade, which has lettering advertising Marston's Poole Ales, and Poole Pottery tiles including a swan panel, is considered to be of national importance by the Tiles and Architectural Ceramics Society.

The Victorian Society is strongly opposed to the destruction of the locally listed building, rebuilt by Bournemouth architect CT Miles in 1906 on a site thought to have been an alehouse since 1789.

"The Swan Inn adds valuable historic colour and character to Poole," said Dr Kathryn Ferry, the society's Southern and Welsh architectural adviser. ...


ほっといたら取り壊されていた建物は、現在もそこに建っている。かつては港湾で働く人やここに降り立った人が喉を潤す場所として賑わったことだろう。今は何として使われているのか、ネットでは調べきることができない。

プールでは、上述した戦後の再開発において、ずいぶん多くの古い建物が取り壊された。この「スワン・イン」の建物はその再開発の大波を生き残ってきた数少ない建物のひとつで、BBCの記事にもう1枚ある「タイル張りの建物」もそうだ。Poole Armsというこちらの建物は、今も現役のレストランとして営業中。海辺の町だけに、シーフードがメインのお店だ。
https://www.poolearms.co.uk/

……とここまで読んできて、ふと気になった。プールでは2016年のEUレファレンダムではどういう結果が出ていたのだろう。イングランドの海岸は、ブライトンなどいくつかの例外を除いて全部「離脱(Leave)」だったと記憶しているが、具体的に確認してみよう。BBCの投票結果のページで簡単に確認できるので。
http://www.bbc.com/news/politics/eu_referendum/results

このページでFind local resultsのところにPooleと入れると、次のような結果が表示される。
Poole
Leave: 58.2%, 49,707 VOTES
Remain: 41.8%, 35,741 VOTES
Turnout: 75.3%

投票率はイングランド全体の73.0%より高い。つまり関心が相対的に高かったということだ。イングランド全体では、Leaveが53.4%、Remainが46.6%だったが、プールの「離脱」と「残留」の差はこれよりも大きかった。

この町の人たちは、英国がEUを離脱すれば何がどうなるというヴィジョンを抱いて投票に臨んだのだろう。あるいは英国がEUを離脱しなければ何がどうなるというヴィジョンがあったのだろう。

現在この町は、第二次大戦後の製造業中心の都市という特色を失い、第三次産業や観光業に経済の多くを依存するようになっているという。2000年代に入ってから、かつての基幹産業(のひとつ)で街にとってシンボリックな存在(日本でいうと「今治市の今治タオル」のようなもの)である製陶業の経営破綻と生産拠点の移動ということが起き、今また、この町に残されたそのシンボルの名残(博物館と直販売り場)も消えようとしている。理由は「家賃が払えないから」だ。



BBC記事で使われているThe Swan Innの写真は、Geograph.org.ukにアップされているCC BY-SAの写真。撮影者はJulian Osleyさん。ここにもアップしておく。
http://www.geograph.org.uk/photo/5243958

geograph-5243958-by-Julian-Osley.jpg

この元パブについて調べたときに、画像検索も見てみたのだが、BBCが使っているのがGeograph.org.ukのCC写真であることはその検索結果でわかった。
https://www.google.co.jp/search?tbm=isch&q=poole&as_epq=the+swan+inn

もう1件のPoole Armsのほうは、やはり画像検索すると有料のストックフォト(例えばこれ)が何点も見つかるのだが(プールの海岸地区で最古のパブだそうだ。町のランドマークなんだね)、BBCが使っているのは、やはり費用がかからないgeograph.org.ukのCC BY-SAの写真。
http://www.geograph.org.uk/photo/1161321

BBCのような大手報道機関くらい、CC BY-SAの写真を使うなどという個人ブログのようなことをせず、対価を出してストックフォトを使ってもらいたいと思うのだが……じゃないと回っていかない。そもそも "Sharing is caring" というのは、「お金を払う余裕がない個人の趣味で運営されているサイトやブログでも自由に使えるように画像などを提供する(し、自分も使わせてもらう)」という行為が前提の標語なのだし。



ちなみにPoole PotteryことCarter and Coについてはオンライン・ミュージアムのようなすばらしいサイトがあり(アンティークやヴィンテージを買う人が参照できるようなサイト)、全英各地で用いられているCarter and Coのタイルは下記ページにたくさん紹介されている。
http://www.pooleimages.co.uk/Pages/CartersTiles.aspx

Pinterestとかが出てきて、ネットの検索結果が「私が集めたステキ画像」みたいなのでいわば「汚染」される前は、画像検索するとこういうガチ系のサイトがすぐに見つかったものだが、今はなかなか難しい。「私が眺めていたいステキなタイルの写真」のほうがよほど多くヒットする。そしてそういうウェブページには、製造業者や製造年など必要な情報は何も書かれてない。単に画像さえあればよいのだから仕方がない。自分も高校生くらいのときは写真切り抜いてスクラップブックに貼ったりしてたので、Pinterest的な気持ちは良く分かるし、否定はしない。しかし、検索結果がそんなものばかりで埋まるのは困るのだ。最近のウェブは、「ステキ画像」に荒らされている分野は、地元の区立図書館にあるのが高校生が集めた「私が好きな写真や言葉のスクラップブック」ばかりなので、まともな調べものをするには手間隙をかけて国会図書館に行かなければならない、というに等しい状態になってる。

※この記事は

2017年10月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼