うさるの厨二病な読書日記

生涯中二の着ぐるみが、本や漫画、ドラマなどについて好きも嫌いも全力で語ります。【ネタバレ前提です。注意してください】

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【ザ・ノンフィクション】「人殺しの息子と呼ばれ 24歳青年の地獄の人生」感想

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2017年10月15日(日)に放映された「ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれ 24歳青年の地獄の人生」を見た感想です。

見ていてとてもキツい内容で、正直記事を書こうか悩みました。

ただご本人が、今回取材を受けたのは、ネットで様々なことを書かれることに非常に苦しみを感じていて自分自身で自らのことを話したいと思ったからだ、と言っているのを聞いて、本人の言葉が伝わるささやかな助けになればと思い書くことにしました。

 

自分も見始めて知ったのですが、日本三大凶悪事件に数えられている北九州監禁殺人事件の犯人二人の息子さんです。

 

北九州監禁殺人事件

余りに残酷で異常な事件で当時報道規制がされていましたが、本が何冊も出ているので知っている方も多いと思います。

「家族を支配下において殺し合いをさせる」

というのは一見、荒唐無稽な信じがたいことです。この事件への意見として「なぜ大人が何人もいて、たった一人に支配されたのか」というものもよく聞きます。

その点に関しては主犯である松永の人間というものを知り尽くした巧妙な手口、事件の経緯を知れば知るほど、自分や周りの人が巻き込まれたとき果たして同じ末路を辿らなかっただろうか、と思います。

この事件については自分も思うところが非常に多いのですが、今回は事件そのものについてはこの辺りにしたいと思います。

 

息子も虐待されていた

一審では死刑判決が出た緒方純子ですが、無期懲役で刑が確定しました。

特に法律には精通していない人間ですが、緒方純子が事件前に何度か松永の下から逃げようとしていたこと、自らも虐待を受けていたことなどを考え合わせると妥当な量刑だと思います。

この事件は松永は命令を下して、親族がお互いに虐待や暴力を行っていたので「生き残れば加害者、死ねば被害者」というものだったと思います。

 

今回の取材で明らかになったのは、息子も松永から「食事の制限」「風呂に頭を沈められる」「通電」などの虐待を受けていたことです。息子が二人いるのですが、命令してお互いに通電を行わせるなど、手口は緒方の親族にやっていたのとまったく一緒です。

幼い息子を二人だけでアパートの一室に住まわせ、監視カメラで見張っていたそうです。

「監視カメラを範囲外にいてはならない」「パン一枚で一日を過ごせ」などルールで相手を縛り、支配するやり方も一緒です。そして松永の機嫌を損ねたり、ルールを破ったりすれば通電が行われる。

「あの時はそれが当たり前だと思っていたけれど、今思えば人間と思われていなかった。動物のしつけと一緒だ」という言葉にどうしようもない気持ちになります。

 

俺がやったわけじゃない

両親が事件で逮捕され、施設に預けられた息子は、小学校に通い始めます。

彼は「楽しい」「好き」という感情がわからないと言います。そんなに強い言葉ではなく淡々と話しているので「そういう人もいるのか」程度で流してしまいがちですが、ずっとそのインタビューを聞いていると、彼がどれほど自分が本来あるものを不当に奪われて、そのことに気づく手立てさえ与えられなかったのかということに思い至って寒々とした気持ちになります。

 

彼の生い立ちはそれとなく噂で広まり、同級生の中には「お前の親は人殺しだ」という人間も出てきたそうです。

その時に彼は「俺がやったわけじゃない」と言い返しました。

 

自分も彼が言ったことが絶対的に正しいと思います。

親の罪や所業は子供には関係ない。心の底からそう思います。

ましてや彼は「加害者の子ども」であるかもしれませんが、一方で「被害者の親族」でもあります。

本来ならば二重の意味で保護され、ケアされなければならないと思います。

 

でも自分が彼の知り合いで「北九州監禁殺人事件の犯人の息子である」と知って、なおも普通の付き合いができるか、本当に正直なことを言ってしまうと難しいと思います。

自分がこの事件で学んだことは「この世に縁というものほど怖いものはない」ということです。縁というものは一度つながってしまうと、非常に強引な力で断ち切らないと一方的に切るのが難しい。人は人の中で生きているので、本来は相手を気遣い、色々なことをなあなあにしてしまいがちです。

この事件の詳細を知れば知るほど、自分と自分の家族を守るためには、どこかで強引に手足を引きちぎるように親族の縁を完全に断ち、遠くに逃げるしかなかったと思います。当たり前ですが、自分の子どもや兄弟、親の縁はそんなに容易く見捨てられるものではありません。何とかしよう、何とかなるだろうと思ううちに、その渦の中に巻き込まれてのっぴきならないところまで連れていかれてしまう。

松永というのは人間の常識が通じない災厄と考えるしかない男で、縁がつながったとたん、自分も家族も全て災厄に取り込まれてしまう。なまじ対処しよう、飲み込まれた相手を救おうなどと考えず、とにかく全力で縁を引きちぎって逃げるしかないのではないか。

世の中には、そういう人の手には負えない怪物のような存在がいるのだと、この事件を知れば知るほど思います。

 

そう考えてしまうと、いくら理性で「親の罪は子供には関係ない」「むしろ彼だって、松永の被害者なんだ」と思っていても、そこに縁ができること自体に本能的な恐怖を覚えてしまいます。

そういう自分に対する情けなさも、「北九州殺人事件の犯人の息子」という存在ではなく、本人の言葉を聞いてみたいと思った理由のひとつです。

 

 多くの人に、まずは聞いて欲しい。

番組は見ていて、非常に気が重くなるものでした。

事件について文字で読むのももちろん辛いですが、実際にそれを目撃したり味わったことがある人が肉声で話す衝撃はまったく違います。

息子は事件のことについて話すときも、それほど感情を高ぶらせたりはしません。

事件当時について覚えていることも、その後の学校生活についてもまったく同じ口調で語ります。彼にとってはどちらも、同じように人生の一部なのだ、そう思いました。

そして逆に、そのことが聞いているほうは背筋が凍りつくほど怖いです。

 

息子の言葉を聞いていると「なぜ、被害者たちは虐待に抵抗せずに殺されたのか」ということが分かるような気がします。

 

非常に重い内容ですが、見てよかったと思いました。

彼が実際に自分の言葉で話し、その姿を見て、その内容ではなくその所作のひとつひとつで事件のことや犯人のこと、残虐な事件の犯人の息子として生まれてくるということ、そして彼自身のことが伝わってきたからです。

それは、事件の内容を記した文章では伝えられないことではないかなと思っています。

 

彼の両親が起こし、彼の親族が犠牲となった事件、そしてその事件と嫌でも関わりを持ってしまった彼、そういうものと縁を持つことが恐ろしいと感じてしまう自分ですが、彼が伝えたいと思ったことに少しでも耳を傾けたいと思います。

これを見て思うことは人それぞれだと思いますが、まずは彼本人の話を聞いて欲しいと思いました。

 

次週は彼が社会人になってからの出来事が語られます。

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