コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

23写真がなぜ、コンテンポラリーアートの前線に躍り出ているのか?

2017年のアートワールドで、最も重要な展覧会をあげろといわれれば、僕はためらうことなくロンドンのTate Modernと、アートバーゼルに合わせてファウンデーション・バイエラーで相次いで開催された、ヴォルフガング・ティルマンスの2つの写真展をあげるだろう。

Tate Modernにおける大規模な展示は「Wolfgang Tillmans 2017」と題されていることからもわかるように、これはティルマンスの2017年、つまり「今」を強く打ち出すものであり、それから間をおかず開催されたバイエラーでの大規模展示の方は、これはズバリ大文字の「WOLFGANG TILLMANS」であり、駆けつけてみて、あまりの完成度の高い回顧展に陶然としてしまった。

tateでは彼のプロジェクトであるBetween Bridge(ティルマンスがキュレーションを行なっている)や「トゥルースタディセンター」に力点が置かれていたせいもあり、tateの展示の方が良かったという人もいたが、僕はバイエラーにも確信というか、決意を感じた。

 

その2つを観る体験は、ある意味で対照的であり、いい意味で随分考えさせられ、実に刺激的だった。

その2つの同時性がティルマンスという「運動体」なのだ。

 

ファウンデーション・バイエラーは、ピカソやモネ、ロスコなどを扱っていた大画商エルンスト・バイエラーがレンゾ・ピアノに設計を依頼してつくったコンテンポラリーアートの「奥の院」であり、ここで個展が行われることは、現代美術の「マスター入り」「殿堂入り」を意味すると言ってよい。この数年、アートバーゼルに合わせてぶつけてくるラインナップは物凄く(2010年のバイエラー亡き後のディレクターはサミュエル・ケラーである)、バイエラーで観たジェフ・クーンツも、ゲルハルト・リヒターも、死せるバイエラーの魂をうけつぐような、選りによった「名品」ばかりであった。

2015年にグローバルコマーシャルギャラリーであるツヴェルナーの扱いとなり、資本主義のど真ん中に突っ込んで行ったティルマンスが、バイエラーでどのような展示をするか、それは実にスリリングな出来事といわずして、何と言おうか。

 

「世界」と向き合いリアリティを掴もうとするストレートフォト、インスタレーションの展開、現実の「果て」としてのアブストラクトフォトその美学的世界、そして「トゥルースタディセンター」と呼ばれる現実への回帰、、、。

世界、コンテンポラリーアート、リアルとアブストラクトなど、ティルマンスのアートの有機的な全体性を俯瞰すると、いかに「写真」がコンテンポラリーアートの最前線に、躍り出ているのか。重要な存在になったかがよくわかるだろう。

 

1968年生まれのティルマンスは、90年代に活動を開始し(1990年にイギリスへ移住)『i-d』マガジンなどでのファッションフォトやポートレイトで知られるようになるが、その一方で1993年にはケルンのギャラリー・ブッフフォルツと、ロンドンのモーリン・パーレイがディレクターを務めているInteriumで初個展を行いファインアートの分野でも注目を浴びるようになる。

偶然にも僕はこのInteriumでの初個展を見ている。もちろんティルマンスが何者であり、その後どのような展開をするかなんて、当時は全く知るよしもない。僕はロンドンに住んでいる友人のところに遊びに行き、ガーデンを見てまわっている時に、モーリン・パーレイのギャラリーは面白いよというので行ったのだ。

それから20年以上の時が経った。その間に、ロンドン(tateやサーペンタイン)、ニューヨーク(PS1やツヴェルナー)、ベルリン(ブッフフォルツ)、チューリヒ(クンストハレ)、バーゼル(アートバーゼルのunlimited)ベニス(ベニスビエンナーレ)日本(ワコー、金沢21世紀、国立国際美)などで彼の展覧会を見続けることになってしまった。

ある意味で自分が生きている世界の変転を、ティルマンスというフィルターで見ることになってしまった。そう思うと、奇妙な宿命すら感じてしまう(もっとティルマンスについてだけ書きたいところだが、そうすると一冊の本になってしまう。それは、またの機会に)。

 

さて、ティルマンスが大きくコンテンポラリーアートワールドで評価されるようになったのは、2000年のターナープライズを受賞したことである。この時の審査員にはtateの館長のニコラス・セロータやサーペンタインのキュレーターであるジュリア-ペイトン・ジョーンズらであり、写真が現代美術の登竜門を獲ったのも始めてならば、従来はイギリス人だけが対象であったターナー賞がドイツ生まれのティルマンスに与えられたことも、極めて「オープン」な姿勢を見せる出来事であった。

 

ティルマンスが写真の世界、いやアートワールドにおける写真という存在を変えたと言ってもよいが、今振り返って考えるならば、時代の変化の必然として2000年のターナープライズはあったということだ。

なぜならば、写真が明確にコンテンポラリーアートの重要な分野となったのは、2000年を超えてからである。

ベッヒャー夫妻が主導してきたデュッセルドルフのクンストアカデミー出身のトマス・ルフやアンドレアス・グルスキー、トマス・シュトルートらが、グッゲンハイム・ソーホー(今はない)でアメリカ上陸をとげ写真の「価値」を絵画と拮抗するものに転換させた。

 

ベッヒャー夫妻の「写真がコンテンポラリーアートにシフトするための教え」は、2点ある。

1つは、写真の意味が変質するまでサイズを巨大化させること。

2つ目は「タイポロジー」。類型を同じ撮影法により蒐集、比較し歴史や社会にインヴィジブルに内在しているものを、見える化すること。ベッヒャーはナチス時代の工場の建築様式を、ルフはポートレイトを、シュトルートは街路やファミリーフォトなどの類型を作品化した。

 

記録の写真ではなく、アートフォトへのシフト。

写真を真実のアリバイとするのではなく、写真そのものを批評の産物と考えるカナダのジェフ・ウォールや、パフォーマンスの記録写真と考えられていた写真を、そのものが作品たりうると転換させたシンディー・シャーマン。頭脳の中のヴィジョンの思考実験として写真をとらえる杉本博司らの、アートワールドにおける台頭と、ティルマンスターナープライズ受賞が、シンクロした事件であることが重要なのだ。

 

写真が生まれて180年ぐらいだが、その「記録」「真実」をめぐって成長した「写真の第1ステージ」から「第2ステージ」へのシフトを見事に整理したのは、イギリスの元V&Aキュレーターで批評家のシャーロット・コットンの功績と言えるだろう。世界各国で翻訳された彼女の主著『Photography as Contemporaly Art(現代写真論)』は、1970年代以前の写真史をバッサリ切り落とし、マルセル・デュシャンに始まるコンセプチュアルアートと現代写真を接続させたことは実に的確な判断だった。

 

以前にも書いたが、絵画に代表されるヴィジュアルアートは、マルセル・デュシャンによって網膜的な限界を指摘されながらも延命し続けてきた。しかし、それが決定的な隘路にたどり着いたのは、アブストラクト・ペインティングをへたミニマリズムと、コンセプチュアルアートの台頭であった。すでにグリンバーグによっても予見的に指摘されていたように、キャンバスの上にペインタリーな手法で、さまざまな「イリュージョン」の意匠を繰り出していた絵画が停止する。

 

ヴィジュアルが失効したかに見えた時、それまでは絵画に追随していた写真が前面に押し出されたことは、ラディカルなシフトではあるが、ある意味で「第二芸術」とすら見なされていた写真が前線化するとは、皮肉である。

ここから、絵画と写真は明確に分岐する。

 

ここで言うラディカルなシフトは、延命としてのフォトリアリズムへの活用ではない。

ここでスリリングな事態として注目すべきは、アブストラクトいや、コンセプチュアルアートによってさまざまな形で提起された「インヴィジブル」なアートの領域。それに対して写真が有効であるとされたことだ。

 

ティルマンスを僕が、絵画と写真の交差点として、重視するのは、このシフトのわかりやすい事例だからである(ベクトルはちがうがゲルハルト・リヒターもまたその事例である。象徴的なことに、ファウンデーション・バイエラーでリヒターの大回顧展が行われていた時に、展覧会場から続く地下のフロアにおいて、なぜかティルマンスの巨大なアブストラクトフォトの展示が行われていた)。


絵画と写真との関係。

この相互のシフトにおいて早い段階でそれを指摘した重要な論考があることを忘れてはならない。

 

1977年に、アメリカの芸術理論誌『オクトーバー』の主幹批評家ロザリンド・クラウスが書いた「指標パート2」での指摘である。

クラウスはこう書く。

 

「写真と抽象絵画――これほどかけ離れていると思えるものがあるだろうか。一方はその画像の源を完全に保存しているのに対し、他方は世界とそれがもたらすイメージを遠ざけているからだ。しかしながら今、七〇年代に生み出されている抽象芸術の広い範囲にわたって、写真の諸条件は容赦ない影響力を発揮している。仮に、一九世紀後半と二十世紀初頭の数世代の画家たちが、自らの作品が音楽の状態に達することを自覚的に熱望していたと言えるなら、今日私たちは、徹底的に異なった要請を扱わなければならない。逆説的に聞こえるかもしれないが、抽象にとって、写真がますます重要な操作的モデルとして機能し始めているからである。
そこでは、美術におけるそのような状況の生成、その歴史的プロセスではなく、私たちが今日多種多様な作品において直面する内的構造に注意を向ける。写真が抽象のモデルとなるということは異例の事態であり、私の考えでは、この異例の論理を掌握することこそ重要なのである」

 

「写真がますます重要な操作モデルとなる」とは、いかなる事態だろうか。

 

ここで問題とすべきことは前章とは、全く異なるベクトルである。真逆だ。

コンセプチュアルアートの発展のために、写真の活用が有効であるという発見。たとえは、ジョン・バルデッサリの薫陶をうけたアラン・カプローはハプニングの表現を記録するだけでなく、写真を多用しコンセプトブックの形式を発展させた。

その、逆もある。似て非なるものである。

画家エド・ルシェは1962年に『26のガソリンスタンド』と題したフォトブックシリーズ、連続した小冊子を作り始める。

これはかつてからある写真集ともいえるが、ある意味では本自体が類型をテーマとした、コンセプチュアルな作品ともいえる可能性を提示していたことが、重要だった。

シンディー・シャーマンは典型だが、「写真を使った」コンセプチュアルアートの誕生である。

コットンの本は、写真の第2ステージでどのような両義性の化学反応が起きているかというガイド書なのだ。

必読である。

 

さて、この章ではヴォルフガング・ティルマンスを事例として書いてきたが、2017年においては、コットンが明示した「コンテンポラリーアートとしての写真」は、さらに加速化して、猛烈なスピードで多種多様な表現をうみだしている。その動きを追うようにコットンも『写真は魔術』を発行したり、新しいタイプのフォトキュレーターやクリティックの動きも盛んだ。

動きの中心はグローバルに雑誌『foam』も発行するオランダのアムステルダムのfoam写真美術館、そしてスイスのウィンターツール写真美術館といえるが、その加速を後押ししているのが、2010年ごろからニューヨーク、パリ、アムステルダム、ロンドンなど世界の主要都市で開催されるようになったフォトフェアとアート&フォトブックフェアである。

この背景にも、写真を取り巻くデジタル化(出力機、プロジェクター、インスタグラム、3Dデータなど)による。

これら現代写真については、シャーロット・コットンの『現代写真論』をアップデートした写真論がかかれることが急務であることは、間違いない。

 

変容と拡張。

写真がコンテンポラリーアートの領域は、まだまだ分断されているともいえるが(現代写真のフロントライトで何が起きているのかをカバーできている美術館キュレーターはまだまだ少ない)、「写真」と「絵画」を隔てさせるのではなく、「ピクチャーの未来形」「来るべきピクチャー」はどのようなものか?を問わなくてはならない。

それをしっかりリサーチし、キュレーションし、理論づけしていかねばならない。

 

今写真は、熱い領域だ。