カズオ・イシグロって日本人?

カズオ・イシグロって日本人?
ノーベル文学賞に選ばれたカズオ・イシグロさん。日系イギリス人のイシグロさんですが「芸術的アプローチは日本的なもの」と語るなど、その作品は日本の文化にも影響を受けています。

こうした中、ネット上では「日本人と言っていいの?」とか「ほぼイギリス人だから騒ぐのはおかしい」などと、さまざまな投稿が飛び交っています。中には「これで村上春樹さんの受賞が遠のくのかな」なんていう書き込みも。

果たして、カズオ・イシグロさんは“どの国の人”だと考えたらよいのでしょうか。
(ネットワーク報道部記者 高橋大地)
「日本生まれの受賞、大変誇らしい」
「日本人かと思ったら?イギリス人だった!」
「日本人扱いするのはおかしい、あくまで日系人」

カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞に選ばれた発表の直後から、イシグロさんを「日本人」に含めて考えるかどうか、「なに人と表記するのが正しいのか」といった投稿がネット上にあふれかえりました。

カズオ・イシグロって日本人なの?

「日本生まれの受賞、大変誇らしい」
「日本人かと思ったら?イギリス人だった!」
「日本人扱いするのはおかしい、あくまで日系人」

カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞に選ばれた発表の直後から、イシグロさんを「日本人」に含めて考えるかどうか、「なに人と表記するのが正しいのか」といった投稿がネット上にあふれかえりました。

生い立ち・経歴は

カズオ・イシグロさんは、現在62歳。イギリスのロンドンで暮らしています。
1954年、長崎県で、日本人の両親のもとに生まれました。海洋学者だった父親の仕事の関係で5歳のときに家族でイギリスに移住。現地の学校や大学に通い、成人したあとにイギリス国籍を取得しました。

幼いころには両親とは日本語で会話していたということですが、現在は日本語での会話はあまりできないと言うことです。作品も英語で執筆しています。
つまり「生まれは日本、国籍はイギリスの、日系イギリス人」です。

「日本人受賞者」なのか

それでも、カズオ・イシグロさんは「日本人受賞者」になるのか。

取りまとめをしている文部科学省と文化庁に聞いてみると、「日本人の受賞者には含まれない」という答え。

「一義的には国籍で判断し、主たる実績をあげた場所がどこかが基準になる」ということでした。

実は、この基準にしたがって、受賞時に日本国籍でなくても、「日本人受賞者」にカウントされている人がいます。
南部陽一郎さん    中村修二さん
2008年に物理学賞を受賞した南部陽一郎さんと2014年に物理学賞を受賞した中村修二さんです。いずれもアメリカ国籍でしたが、実績などを考慮したということです。

文部科学省は、こうした基準に基づいて、過去の日本人受賞者はアメリカ国籍のある人を含めて、合わせて25人としています。

文部科学省などでは「これまでの基準から考えると、カズオ・イシグロさんは、日本人受賞者とはカウントしません。ただ、今回のケースを踏まえて今後、さらに細かく基準を検討していく必要はあると考えています」と話しています。

ノーベル財団は出生地別のリストを掲載

ところが、賞を選んでいるノーベル財団は、ちょっと違うようです。

ホームページでは、イシグロさんは「日本」の項目で紹介されているのです。

1968年の川端康成さん。そして1994年の大江健三郎さんの次に記載されています。
実は、ノーベル財団は、アルフレッド・ノーベルの遺志として「ノーベル賞の授与にあたって候補者の国籍は考慮しない、最もふさわしい人が賞を受ける」としています。そのうえで「国籍に関する情報を決めるのは難しいことがしばしばある」として、国籍ではなく、出生地に基づいて受賞者のリストを掲載しているのです。
根岸英一さん
例えば、2010年に化学賞を受賞した根岸英一さんは、かつての満州生まれ。文部科学省は、さきほどの基準から、「日本人受賞者」としていますが、ノーベル財団の記載では、中国の項目で紹介されています。

村上春樹さんが、とれなくなる?

実は、こうしたノーベル財団の考え方などが、村上春樹さんの受賞に影響を与えるのではないかという心配の声が、一部の文学ファンの間から上がっています。
村上さんは、イギリスのブックメーカーの予想では、毎年のように有力候補として上げられていて、「ハルキスト」と呼ばれる熱狂的なファンは受賞を心待ちにしています。

ノーベル文学賞の選考にも詳しい文芸評論家の川村湊さんは、著作の「村上春樹はノーベル賞をとれるのか?」(光文社新書)の中で、これまでの受賞者をつぶさに見ていくと、「ノーベル文学賞が、各言語、各国(地域)の“持ち回り”で決められていることはほぼ確実」だと述べています。

そのうえで、カズオ・イシグロさんについて「端正な英語でありながら、日本的な繊細な美意識が作品にそなわっている(中略)彼を『日本人』と意識する西欧人が多いのでは」としていて、イシグロさんが受賞すれば、「次の『日本人受賞者』が生まれるのは、そこからまたかなり先になる」と言うのです。

イシグロさんが選考委員の中で、「どの国の人」だと位置づけられるかや、そもそも本当に持ち回りの周期があるかははっきりしませんが、ハルキストにとってみれば気になる話と言えそうです。

イシグロさん本人の思いは

この件に関連して、カズオ・イシグロさんは、受賞決定後の会見で、気になる発言をしています。

「川端康成さんや大江健三郎さんに続く作家になれることを喜ばしく思います。ノーベル賞といえば村上春樹さんの名前が浮かび、申し訳ない気持ちになります」

一方で、みずからのアイデンティティーに関しては、次のようにも語っています。

「自分をイギリスの作家や日本の作家と意識したことはありません。作家は一人孤独に作品に向き合うものだからです。もちろん私は日本からもイギリスからも影響を受けてきましたから、自分自身を国際的な作家と考えたいです」

また、日本へのメッセージとして、「日本の読者の皆さん、とりわけ日本の社会にはありがとうと伝えたいです。私がどのように書いて世界をどう見るかは、日本の文化の影響を受けていると思うからです。日本と日本人に非常に感謝しています」と語っています。

文学とは普遍的な力

今回のケースに限らず、日本では「日本人であるかどうか」が話題に、時には問題になることが、しばしばあります。父親と母親の国籍が違う人の子どもの問題。二重国籍の問題しかりです。

しかし、国籍の決め方については、生まれた場所を重視したり、場所に関係なく父親や母親から受け継いだ血縁関係を重視したりと、それぞれの国の制度や文化によって異なります。

そして、文学作品は、その「国籍」そのものよりも、生まれた場所や育った環境、そして両親や祖先から受け継いだ遺伝子も含めたその人のルーツや歴史のようなものが色こく反映されます。そうして生み出された作品は、人種や民族、言語や文化の違いも超えて普遍的な力を持ち得ます。

今回取材をする中で、「日本との関係にこだわりすぎ」などの書き込みを多く目にし、報道として伝える側にいる私たちも「日本人で何人目の受賞者」であるなど、安易に「日本人である」という基準でニュースの軽重を決めてしまう傾向があることにも気づかされました。

日本との関わりを知ることで、受賞者の人柄に関心を持ったり、実際に作品を手に取ったりするきっかけになるのはよいことですが、国や言語を超えた文学の普遍的な魅力を知ることが大切だと、改めて感じました。
カズオ・イシグロって日本人?

News Up カズオ・イシグロって日本人?

ノーベル文学賞に選ばれたカズオ・イシグロさん。日系イギリス人のイシグロさんですが「芸術的アプローチは日本的なもの」と語るなど、その作品は日本の文化にも影響を受けています。

こうした中、ネット上では「日本人と言っていいの?」とか「ほぼイギリス人だから騒ぐのはおかしい」などと、さまざまな投稿が飛び交っています。中には「これで村上春樹さんの受賞が遠のくのかな」なんていう書き込みも。

果たして、カズオ・イシグロさんは“どの国の人”だと考えたらよいのでしょうか。
(ネットワーク報道部記者 高橋大地)

カズオ・イシグロって日本人なの?

「日本生まれの受賞、大変誇らしい」
「日本人かと思ったら?イギリス人だった!」
「日本人扱いするのはおかしい、あくまで日系人」

カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞に選ばれた発表の直後から、イシグロさんを「日本人」に含めて考えるかどうか、「なに人と表記するのが正しいのか」といった投稿がネット上にあふれかえりました。

生い立ち・経歴は

カズオ・イシグロさんは、現在62歳。イギリスのロンドンで暮らしています。
生い立ち・経歴は
1954年、長崎県で、日本人の両親のもとに生まれました。海洋学者だった父親の仕事の関係で5歳のときに家族でイギリスに移住。現地の学校や大学に通い、成人したあとにイギリス国籍を取得しました。

幼いころには両親とは日本語で会話していたということですが、現在は日本語での会話はあまりできないと言うことです。作品も英語で執筆しています。
つまり「生まれは日本、国籍はイギリスの、日系イギリス人」です。

「日本人受賞者」なのか

それでも、カズオ・イシグロさんは「日本人受賞者」になるのか。

取りまとめをしている文部科学省と文化庁に聞いてみると、「日本人の受賞者には含まれない」という答え。

「一義的には国籍で判断し、主たる実績をあげた場所がどこかが基準になる」ということでした。

実は、この基準にしたがって、受賞時に日本国籍でなくても、「日本人受賞者」にカウントされている人がいます。
南部陽一郎さん    中村修二さん
2008年に物理学賞を受賞した南部陽一郎さんと2014年に物理学賞を受賞した中村修二さんです。いずれもアメリカ国籍でしたが、実績などを考慮したということです。

文部科学省は、こうした基準に基づいて、過去の日本人受賞者はアメリカ国籍のある人を含めて、合わせて25人としています。

文部科学省などでは「これまでの基準から考えると、カズオ・イシグロさんは、日本人受賞者とはカウントしません。ただ、今回のケースを踏まえて今後、さらに細かく基準を検討していく必要はあると考えています」と話しています。

ノーベル財団は出生地別のリストを掲載

ところが、賞を選んでいるノーベル財団は、ちょっと違うようです。

ホームページでは、イシグロさんは「日本」の項目で紹介されているのです。

1968年の川端康成さん。そして1994年の大江健三郎さんの次に記載されています。
ノーベル財団は出生地別のリストを掲載
実は、ノーベル財団は、アルフレッド・ノーベルの遺志として「ノーベル賞の授与にあたって候補者の国籍は考慮しない、最もふさわしい人が賞を受ける」としています。そのうえで「国籍に関する情報を決めるのは難しいことがしばしばある」として、国籍ではなく、出生地に基づいて受賞者のリストを掲載しているのです。
根岸英一さん
例えば、2010年に化学賞を受賞した根岸英一さんは、かつての満州生まれ。文部科学省は、さきほどの基準から、「日本人受賞者」としていますが、ノーベル財団の記載では、中国の項目で紹介されています。

村上春樹さんが、とれなくなる?

実は、こうしたノーベル財団の考え方などが、村上春樹さんの受賞に影響を与えるのではないかという心配の声が、一部の文学ファンの間から上がっています。
村上春樹さんが、とれなくなる?
村上さんは、イギリスのブックメーカーの予想では、毎年のように有力候補として上げられていて、「ハルキスト」と呼ばれる熱狂的なファンは受賞を心待ちにしています。

ノーベル文学賞の選考にも詳しい文芸評論家の川村湊さんは、著作の「村上春樹はノーベル賞をとれるのか?」(光文社新書)の中で、これまでの受賞者をつぶさに見ていくと、「ノーベル文学賞が、各言語、各国(地域)の“持ち回り”で決められていることはほぼ確実」だと述べています。

そのうえで、カズオ・イシグロさんについて「端正な英語でありながら、日本的な繊細な美意識が作品にそなわっている(中略)彼を『日本人』と意識する西欧人が多いのでは」としていて、イシグロさんが受賞すれば、「次の『日本人受賞者』が生まれるのは、そこからまたかなり先になる」と言うのです。

イシグロさんが選考委員の中で、「どの国の人」だと位置づけられるかや、そもそも本当に持ち回りの周期があるかははっきりしませんが、ハルキストにとってみれば気になる話と言えそうです。

イシグロさん本人の思いは

この件に関連して、カズオ・イシグロさんは、受賞決定後の会見で、気になる発言をしています。

「川端康成さんや大江健三郎さんに続く作家になれることを喜ばしく思います。ノーベル賞といえば村上春樹さんの名前が浮かび、申し訳ない気持ちになります」

一方で、みずからのアイデンティティーに関しては、次のようにも語っています。

「自分をイギリスの作家や日本の作家と意識したことはありません。作家は一人孤独に作品に向き合うものだからです。もちろん私は日本からもイギリスからも影響を受けてきましたから、自分自身を国際的な作家と考えたいです」

また、日本へのメッセージとして、「日本の読者の皆さん、とりわけ日本の社会にはありがとうと伝えたいです。私がどのように書いて世界をどう見るかは、日本の文化の影響を受けていると思うからです。日本と日本人に非常に感謝しています」と語っています。
イシグロさん本人の思いは

文学とは普遍的な力

今回のケースに限らず、日本では「日本人であるかどうか」が話題に、時には問題になることが、しばしばあります。父親と母親の国籍が違う人の子どもの問題。二重国籍の問題しかりです。

しかし、国籍の決め方については、生まれた場所を重視したり、場所に関係なく父親や母親から受け継いだ血縁関係を重視したりと、それぞれの国の制度や文化によって異なります。

そして、文学作品は、その「国籍」そのものよりも、生まれた場所や育った環境、そして両親や祖先から受け継いだ遺伝子も含めたその人のルーツや歴史のようなものが色こく反映されます。そうして生み出された作品は、人種や民族、言語や文化の違いも超えて普遍的な力を持ち得ます。

今回取材をする中で、「日本との関係にこだわりすぎ」などの書き込みを多く目にし、報道として伝える側にいる私たちも「日本人で何人目の受賞者」であるなど、安易に「日本人である」という基準でニュースの軽重を決めてしまう傾向があることにも気づかされました。

日本との関わりを知ることで、受賞者の人柄に関心を持ったり、実際に作品を手に取ったりするきっかけになるのはよいことですが、国や言語を超えた文学の普遍的な魅力を知ることが大切だと、改めて感じました。