こんにちは、こんばんは。35歳ナカヤママリコです。
先日ブログ仲間と箱根に行ってきました。
何もかも最高に楽しい旅だったので、また別の記事に書きたいと思うのですが、私は帰り道の会話(結婚について)で、自分が思い出したことがいろいろありまして、今日はその話を書こうと思います。
もう「結婚」なんてワードが会話に上がらない。
そう、最近は「結婚」に関して人と話すことがあまり無かったんですよね。なんでか?
35過ぎた人にちょっと聞けない!!(笑)
ということだと思います。たぶん。
今バイトをしている会社は、バイト期間(今年4月~)を含めると、11月でちょうど6年間いるのだけれど、会社の人(仲はとても良いです。)と自分との会話で「結婚」というワードが登場することはめっっっっきり減りました、というかほぼゼロ。
たぶん、「悪くて聞けない・言えない」と思われているんだと思います。
会社以外で会う人も、だいたいそうだと思います。
結婚観は「こども」についての考え方で全然変わる
当たり前のことですが、
こどもが、欲しいのか/欲しくないのか
何歳までに欲しいのか
ということを考えたときに、おのずと、何歳までに結婚したい(あるいは結婚しなくてもいいや)という気持ちが出てくると思います。
私は、昔から、たぶん24歳くらいまで
「結婚はしたいけどこどもは欲しくない」
と言い続けていたと思います。
これ、同級生にはずっと「信じられない!」「おかしい!」って言われていたんですよね。
高校の修学旅行で同じ部屋だった同級生に、「結婚してもこどもは欲しくない」と言ったら「最悪な考え方!」と言われたことをよく覚えています。
その時は、腹が立つというよりは、なんでみんなこどもなのに自分のこどもができたらという想像ができるのかが不思議で仕方なくて、自分は人として何かが欠落しているんだろうなあと思いました。
私は下にきょうだいがいなかった(兄が1人います)のと、親戚の中でも私が一番歳下だったので、自分より下のこどもと接する機会が殆ど無かったんですよね。
こどもが苦手だったし、どう接していいかよく分からなかったんですよね。
・・・ああ、でもこれはたぶんあまり関係ない気がしてきました。
10代の時に”将来こどもが欲しい”と全く思えなかった自分は、10代の頃は覚えている限り、同じ考えの人には一切出会えなかったし、それは、自分の周囲に小さなこどもがいなかったからということも一因でなくはないけど、そもそも、他の人が当たり前に持っている感情を持っていないんだなあということはよく思っていました。
「自分みたいな人間がこどもを育てるなんて、とても考えられない!犯罪者にしてしまうかもしれない。」
・・・たった今思い出したのですが、こういうことをよく言っていました!
自分にものすごく自信が無かったんですよね。
よく言われた言葉
そんな私が中学生・高校生の時に、同級生からも大人からも言われた言葉は
大人になったら変わるよ
でした。
20代になって友達にどんどん、こどもが生まれるようになって、会いに行くようになって、こどもかわいい!!と思うようになりました。
プレゼントを選ぶのも楽しいし、一緒にどこかに出かけたりするのも楽しいし、毎年どんどん成長していく様子が分かる年賀状がとても楽しみになりました。
でも、自分がこどもが欲しいということとは全然別の感情なんですよね、それは。
なので、10代の時言われていた「大人になったら変わるよ」というのは、この時はまだそうでもなかったなあと思っていました。
20代になってからよく言われた言葉は
好きな人のこどもだったら欲しいって思うよ!
・・・これはもうたぶん1000回くらい言われた!
20代後半くらいの時に、結婚したいなあと思う人がいたのですが、その時思ったのは、「この人と家族になってこどもがいたら楽しい・・・かも・・・かも。。。」というような気持ちだったと思います。(そしてそれは叶わなかったのですけれど。)
でもやっぱり、私が今まで接してきた女性の多くが持っていたような”純粋にこどもが欲しい”という気持ちとは全然違うものだなあと思いました。
この頃を思い返すと、10代の頃持っていた「こども欲しくない」という気持ちはだいぶトゲトゲしていたものでした。
でも、それがいろんな経験を経て、少しずつ角がとれていっていたような気がします。
私が「欠落している」と思っていたものは、後天的に芽生える要素はあったんだなあと思いました。
山梨に帰ってきた年、28歳の時には、普通に結婚して、こどもがいたら、それも楽しそうだなあと思うようになっていました。
東京から山梨に帰る直前、仲良かったバンドに、「30歳で結婚して33歳でこどもを生む!」と宣言して山梨に帰りました。(今でもネタにされます。)
だいぶ大きな感情の変化だと思いますが、何か大きなきっかけがあったわけではなく、自然とすこーーーしずつ、自分にこどもがいるというような想像もできるようになっていました。うまく説明はできないのですけれど。
山梨に帰ってきて
最初の2年弱くらい、その目標はあまり達成できなさそうな人と一緒にいて、お別れしたあとは、結構合コンに行きました!
(これ、箱根の帰りに話した時は「意外ー!!!」って言われましたが、自分でもそう思います。)
あと、親や周囲からはお見合いの話もたくさん来ました。(お見合いは結局一度もしませんでしたが。)
いろんな人に会って心から思ったのは、やっぱり自分が自分の意思で出かけた場所で出会って好きになった人と結婚したいし、それができないならずっと一人でいいやということでした。
10代・20代・30代の中で変わったことと変わらないこと
最近までずっと一貫して自分にあったのは「自信がない」という気持ちで、パートナー=自信の無い自分をカバーしてもらえる人=自分のステイタス・・・みたいに思っていたんですよね。
でも32~33歳くらいの時に、好きなことをして生きていきたい!会社をやめたい!と思ったときから、やっと自分の人生の「道」が見えたと思ったんですよね。
この時に、孔子先生の『論語』を解説している本を読んでいて出会った故事成語があります。
朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
(あしたにみちをきかば、ゆうべにしすともかなり)
その日の朝に人がどう生きるべきかを悟ることができれば、その日の夕方に死んでも構わない、という意味です。
私がずっと知りたかったのは、自分が生きている意味だったんだなあと思いました。そしてそれは、一般的によしとされる社会的地位を得るということではなくて、ただ自分が好きだと思うものに人生をかけたいと思うことだったんだなあと思いました。
やりたいことがある今、やりたいことがあるというだけで、自分に自信が持てるのだと思うようになりました。全然うまくいかなそうでも、です。
この言葉に出会った日から、自分の人生を端的に言い表せる言葉として、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」は常に心の中にありました。
そう思った33歳で改めて「結婚」ということを考えました。
28歳の手前くらいまで思っていたのは
①「自分が好きな人とずっと一緒にいられる幸せなこと」
28歳から32歳くらいまで思っていたのは
②「↑そんなこと言ってる場合じゃないよ!!人として生きるために必要なことだよ」
ということでしたが、
33歳の当時は、結婚ってやっぱり①に近いことだし、今(33歳当時)の自分には叶いそうもないけど、それもよし!と思うようになりました。
けど、ここに「こどもが欲しい」が加わると複雑です。
私は10代の頃の思いとは変わって、結婚して子供がいる幸せも、なんとなく思い描けるようになっていました。
やりたいことのリミットは自分で決められますが、女性として、こどもを生むリミットはほぼ決まっていると言っていいでしょう。
それでも、結婚は①の「自分が好きな人とずっと一緒にいられる幸せなこと」であり、そう思える人と出会えなければ結婚できなくてもいい、こう、言い切れるのでしょうか。
さらに、ほんとうに一生ひとりということを理解しているのでしょうか。
よく言われた言葉は
30代の今はそんなこと言ってられるけど、50代・60代以上になったとき寂しいよ!!
これはもう5,000回くらい言われた!(ちょっと盛ってるけど。笑)
この2年間は、結婚がほんとうにほんとうにどっちでもいいのかということは、たまに考えていました。(ずっと悩んでいるわけでもなかったけど。)
そして最近、自分なりの答えをみつけました。
自分の生き方の結果と思えば、もたらされたものに納得できる
以前、敬愛する佐々木典士さんのブログを読んでいて響いた言葉がありまして、(ちょっと該当記事は探しきれないのですが)
自分が結婚が向いているかどうかを考えることは、自分がピン芸人に向いているのかコンビに向いているのか考えること・・・みたいなことを仰っていたんですよね。(うろ覚えですが。)
これを読んだときに、そう考えたら、自分は絶対コンビのほうがいいんだよなって思いました。
一人でも生きていけるけれど、すごく気の合う人と二人でいたら、お互い一人では出せないパワーが出せるんだろうなという気がします。たぶん、今出会っていない人だったとしても。
そして、自分はイベントをやりたい、多くの人と関わりたいと思っているので、そういう自分がやっていることに魅力があれば、自然と気が合う人に出会えるはずだし、出会えなければ自分がやっていることがだめなんだろうなと思います。
人との出会いも、結婚も、その先にあるかもしれない(可能性はだいぶ低いけど)出産も、自分がやりたいと思うことを真剣にやっていれば、そういう自分に必要とあればもたらされるものなんだと思います。
だから私が今すべきことは、やりたいこと(イベント)をやるために、真剣に生きることで、そうやって生きていって、結果誰かがいてくれても、いなくても、それが自分だなあと思えばいいんだと分かりました。
結婚をするためには?とか、この人の心をつなぎ止めておくためには?とか、この人に振り向いてもらえるためには?とか、そういう考え方の方向は全部逆!!
ただ目の前のことをやる。やりたいことだけど辛くなるときもあるけどやる、そうやって生きていたら、それに付随して何かがついてくるんだろうと思います。(良いことかもしれないしそうでないかもしれない。)
というのが、35歳の私が「結婚はどっちでもいいや」と思うようになった理由でした。
どっちでもいいや。それが、受け入れて歩いていくべき自分という人間そのものだからと、今は思っています。
箱根 ガラスの森美術館