ゲーマー日日新聞

ゲームという文化を、レビュー、攻略、考察、オピニオン、産業論、海外記事の翻訳など、複数の視点で考えるブログ。

ゲームにQTEは必要か?不要か?

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QTE、クイックタイムイベント、それはゲーマーの敵である。

FPSと聞いて買ったゲーム。楽しく敵をショットガンで射殺していると、唐突に「△ボタンを押せ!」などとのたまい、モグラたたきを開始する空気の読めなさは、確かに印象深い。

QTEが搭載されるゲームは、十中八九レビューで指摘された上に酷評される。理由は、まず面倒臭いこと、本筋のゲームと全く無関係で質も低いことや、唐突に難易度が跳ね上がることなどが挙げられる。

では、これだけ叩かれてもなおQTEを搭載する作品が絶えないのは何故なのか。QTEが搭載される意図や根拠を、いろいろな作品から探ってみたいと思う。

 

 

『Battlefield 3』

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例えば、『Battlefield 3』には随所にQTEが仕込まれているが、それはちょうどゲームプレイにするほどに主観的な場面でも、ムービーにするほど客観的な場面でもない、絶妙なシーンの「潤滑油」として作られている。

ある場面を紹介すると、プレイヤーが地上で大規模なドンパチを終えた直後、地下に時限爆弾を解除しに行く途中、敵に背後から襲われたため、近接攻撃(QTE)で反撃するシーンがある。

では何故ゲームに「潤滑油」が必要となるのだろうか。

 

まず挙げられるのが、パターン化されたゲームプレイを繰り返すために、徐々に緊張感がなくなって作業化してしまう点を、解決するために導入されたQTEだ。

『BF3』の場合、専らライフルで敵兵を射殺していくゲームプレーが展開されるが、これはゲームとして面白い一方で、慣れるほどに作業化していくし、元々FPSを遊んでる人間なら尚更だ。これでは、「戦場の兵士として戦う」という作品の大前提が殆ど感じない。

そこで、合間合間にQTEを挟むことで、微妙な場面の転換、戦場の偶発性を演出できるのである。

正直、ゲームプレイとしての質は、シューターなら銃でドンパチする方が明らかに高いのだが、一方でインタラクティブメディアとしての側面を重視すると、同じゲームプレイは緊張感を喪失させるのに対し、QTEは機敏な変化を脚本や人物に与え、一層味わい深い経験へと深まるのである。

 

『メタルギアソリッド 4』

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物語の中でもQTEは機能する。

例えば『メタルギアソリッド4』において、最も印象深いシーンを挙げる時、多くの人は最後に「△ボタンを連打するだけの」シーンを挙げるという。

ゲーム的には正直何も面白くはないのだが、実際に遊ぶと、この「連打するだけ」の意味もわかってくる。スネークは瀕死の状態で、あとは這いつくばりながら前に進むしか出来ないのだ。その無力感、絶望感を、「連打しか出来ない」という操作で表現しているのである。

そもそも、『MGS』、特に『MGS4』は、まるでジグソーパズルのように、純粋にゲームを戦略的に楽しんでもらおうという意図は殆ど感じない。あくまで小島監督の「操作できる映像作品」を楽しんで欲しいという意志を感じる。

 

シェンムー

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このように、ゲームや物語に起伏を作るためにQTEは搭載されている。だが残念ながら、両作品共にQTE部分は批判されている。結局のところ、QTEを搭載した意図と狙いが、プレイヤーに伝わらず、そもそもQTEを活かしきれていないのだ。

一方、全面的に肯定された作品がある。一つは『シェンムー』。これは余りに特殊な作品なので難しいのだが、このゲームは何より「リアリティ」を重視しており、本当に横須賀で生活しているような感覚を再現するシミュレーターとして評価されている。

 この作品におけるQTEは、工場でのアルバイトや些細な娯楽の中で、「何気ない日常」という前提で溶け込んでおり、これは先述の『BF3』や『MGS4』とは正反対の場面で活用されている。

 

『HEAVY RAIN』

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最近のゲームなら『HEAVY RAIN』というアドベンチャーゲームが、「QTEの有効活用」として評価された。

本作は殺人事件を扱ったアドベンチャーゲームなのだが、QTEは非力な主人公にとって唯一の武器だ。FPS視点で敵を銃殺することも、二段ジャンプも出来ない彼は、些細なQTEで危機を回避する。

QTEが主人公の無力さを演出すると同時に、小さな場面を生き抜くことで回答に辿り着くリアリティを作り出すことで、QTEならではのゲームプレーを展開している。

 

『Detroit Become Human』

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未発売の作品だが、現状とても期待している(されている)ゲーム。上質なグラフィックの上で、ルート分岐、ゲームオーバー後も継続するストーリーなど、現代のADVのトレンドを詰め込んだ期待作。

当然QTEは搭載されると考えられるが、2018年に搭載されるQTEはどのようなものになるのか期待だ。

 

 

QTEは必要か不要か

結局、QTEもまた料理次第で美味になると私は考えている。

そのためには、まず最低限守っておくべき条件がある。

1つ、ACTやFPSのような複雑な操作を求めるゲームには極力入れない

2つ、本当に重要な演出の時だけ使う

3つ、QTEは簡単でミスからもすぐ復帰できるようにする。「もぐらたたき」を極めたがるプレイヤーはいない

 

こうした条件がある限り、個人的にQTEは気にならない。

昨今では演出重視のゲームが当たり前になり、しかも評価されている。演出重視、ゲームプレー重視、色々なゲームの在り方が現代では認められるようになった。

故に、QTEがこうした演出の一貫として役立つなら、アレルギーのように反応する必要もないと思う。「QTEもあり」という見方は次第に増えるはず。その一方で、とりあえず間を埋めるだけの雑なQTEは排除するべきだろう。