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ゆとり男とミニマリストの融合ブログ

ゆとり世代のミニマリスト。ミニマリストネタを基本につぶやく雑記ブログです。

学校に行けない事なんて気にしなくていい。自分軸を持っていれば人生なんとでもなる

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どうもたんたん(@tantan4423)です。

ブログ友達のえす君がこういった記事を書いていました。

www.shibainu-sakura.com

 

こちらの記事ではなかなか学校に行けていないえす君が思いを書き殴っています。

ぜひ読んでいただきたいです。凄く考えさせられる部分もあります。

 

あぁだこうだと言っているが、

1番の問題は欠席したという事実をしっかりと受け止めていない自分にある。

 

何やかんやで事を重大に捉えていない。

いやそもそも欠席がそんなに重大なことだと思っていない。

てか実際に世間一般的に見ても欠席?だからどうした程度の問題な気もする。

 

この部分「まさにそう」と僕は思いました。

 

たかが学校の数年間を行っていないだけでそんな大したことはないと思っているし、若いものはみんな学校に行かなくちゃいけないって一括りにして考えるのも何か違うと思う。 

 

僕自身はえす君とは対照的で毎日学校に行くのが楽しみで早起きしていた感じの人間でした。

 

なかなか気持ちを共有することが出来ないかもしれないですけど、別に学校という事に囚われて生きていく必要はないと思ってはいます。

 

学校だって合う合わないある

「小学校の廃墟小学校の廃墟」のフリー写真素材を拡大

 

そんなみんな同じ場所に行ってみんな画稿生活を楽しむなんて無理ですよ。

 

人はそれぞれ違う生物みたいなもんで、学校が楽しいと思う人もいれば、そうではない人もいる。

 

そういう違いというものを無視して、みんな同じ空間に入れて仲良くしろという事自体無理がある。

 

学校が苦手な理由や好きな理由も人それぞれだし、人間関係だって生理的に受け付けないみたいなことはある。

 

ここで問題なのは今いる場所が合わない時に逃げ込める場所が少ないということと、転職みたいに学校を簡単に変えることが出来ないと言うことがある。

 

学校も会社と同じように自分に合う場所を転々として落ち着かせるみたいなやり方ができれば学校という場所を今以上に楽しめるのではないかと思う。

 

まぁそれはなかなか現実的ではないとは思うけど、嫌な場所に卒業まで居続けることや、学校に行かない人はダメみたいな風潮はそろそろなくなってもいいと思う。

 

ただたまたま学校という場所やそこにいる人間と合わなかったというだけであり、その人がダメとかそんなこと無い。

 

ただ単に運が悪かったと思う。

 

だからこそ、学校を休むという行為は社会的に適合していないと片付けるのではなくて、自分なりに一番いい場所を探そうとしていることなのではないかと思う。

 

えす君も書いているけど、学校を休んだごときで自責の念を抱いたって意味ないし、自分のことを嫌いになってしまう。

 

それぐらいだったら「クソ学校だから来る価値ないわ」とか「まぁこれはしょうがないことだ。運が悪かった」と思ってしまったほうがいいような気がする。

 

自分の軸を持っている人間は徐々に生きるのが楽になる

「奥歯までしっかり歯ブラシ女子奥歯までしっかり歯ブラシ女子」[モデル:河村友歌]のフリー写真素材を拡大

 

学校って完全に集団として動いているので自分という人間を犠牲にして、組織に貢献する一種の社畜魂というモノを身に着ける場所でもある。

 

子供時代での人格は結構大人になっても持ち越す部分がある。

 

自己犠牲の美みたいなのって身についてしまうと、死ぬまで搾取され続ける傾向があるので歳を重ねるほど生きるのが辛くなってしまう。

 

しかし、自分の軸をしっかり持っている人間は学校にいる時は辛いのだけど歳を重ねて自由度が増していくのに連れて、どんどん生きやすくなる傾向がある。

 

えす君は後者の人間だと思っていて学校を休むことに自責をしないという部分がそう感じられた。

 

結局社会に出た時に、周りに合わせることに精一杯な人間はどこかで自滅してしまう。

 

しかし自分なりの基準を持っている人は引き際も上手いので、致命傷にならない事も多い。

 

ちなみに僕自身も、いろんな本を読んだり多くの考えに触れることによって自分なりの軸を持って生きていけている自負はある。

 

昔はもう少し周りとの強調を大事にしていたし、他人の為に自分のことを我慢していたこともあった。

 

だけど今では自分の中ですることとしないことの線引きをして自分にできることやしたいこと以外はすっぱり切るようになった。

 

こういう生き方をして感じたのは凄く楽だということだ。

 

会社とかに入ると他人に合わせまくって生きていたら使い倒されてしまって心身が疲労して人生が楽しくなくなってしまう。

 

そういう風に考えるとえす君の未来は非常に明るいようなきがする。

 

何より素晴らしいのはこの歳からブログをして多くの考えに触れてしかも自分で発信している点だ。

 

この自己発信によって自分と気が合う仲間を集めて新しい居場所を作ることができる。

 

学校だけがすべてではない。

 

多くの人が学校に行くことにとらわれてしまってその目的である幸せの人生と言うものが見えていないだけである。

 

学校はあくまで手段だ。

 

学校のシステムの問題はあるけど、自分の頭で考えて行動するのも大事

「今にも崩れそうな土倉鉱山跡今にも崩れそうな土倉鉱山跡」のフリー写真素材を拡大

 

そもそも12年間学校に行くという行為自体がコストパフォーマンスが悪いようなきがする。

 

勉強をするなら12年あれば相当なことが学べると思うけどなかなかそうではないし、イジメや体罰みたいな人権問題への対処も悪いし、個別に対応しづらい。

 

働き手の労働環境的な問題もあって、徐々に離職する人も増えるだろう。

 

そういった中で高い質の学びがあるかも疑問だし、人権問題に巻き込まれて再起不能に陥ってしまっては単なる時間の無駄だ。

 

そういう学校に行くことにとらわれていても意味ないようなきがする。もういっその事勉学は塾、部活はクラブに委託したほうがいいと思う。

 

学校にいると好きなことを伸ばすことも難しいし、人が多い以上、その人にあった教育がしずらい現実はある。

 

と言っても僕自身は学校の勉強は意味がないとは思っていない人で、学んだことを活かせるか活かせないかはその人次第でもある。

 

www.tantandaisuki.com

 

何度も書くけど学校という場所は合う合わないみたいのも存在するから学校に行けない人を批判するのは良くない。

 

まぁ学校に行かないことによって不幸になってしまうのならしっかり学校に行って多くのことを学ぶべきだとは思う。

 

しかしそれ以上に自分軸を持って生きていくことのほうが重要で自分の頭で考えて学校に行かない選択をするのは大歓迎だと思う。

 

さいごに・・・

 

だんだん何が書きたいか分からなくなってきましたが、俺ならえす君の従兄弟みたいに社会不適合者と言ったやつが居たらぶっ飛ばしたいと言う事です。

 

自分の価値なんか他人が決めるものでなくて自分で決めるものです。

 

他人からの悪評なんて気にせずに自分で自分を評価し続ける人生のほうがめっちゃ楽しいし、邪魔するやつはみんな蹴散らしてしまえばいいです。

 

学校という目の先のことに囚われすぎてその先の幸せを見失っていては話になりません。学校は単なる手段であって、目的ではありません。会社だってそうです。

 

別に数年という期間休んでいたって人生に対した影響なんだから人生の夏休みと思って思い切り休んでみたら新しい何かを切り開くことができるんじゃないでしょうか??

 

学校に行かないと言ってもネガティブなことじゃなくてプラスに捉えれば、すぐに繋がりを作れるし腐ることだって無いと思います。

 

あくまで戦略的撤退として、勝つための撤退だという事をアタマに入れていれば楽しい未来が待っていると思っています。

 

えす君、まとまりのない言及記事すいません。

これにて終わります。閲覧ありがとうございました。

 

 

おしり