2017-10-14
■あなたが嫌われているからといって、好きなことをやっている人がみんな嫌われるという結論を出すのは誤りだ
彼は悩む。
なぜ、何故オレは嫌われるんだ?何も悪いことはしていない、迷惑はかけていないはずだ……
それ故、彼らは「ダークサイド」を抱え込む。そして、成功すればするほど、彼らはヘイトを打ち込まれ、ますます自己の殻を強固にする。
成功した起業家たちがひとクセもふたクセもあるのは、そのためだ。
彼らが周りから嫌われる理由は単純だ。
現代社会で最も羨望の的になるのが「好きなことをやっている」ことだからだ。
さらに、成功でもしようものなら、羨望では済まない。間違いなく嫉妬による憎悪を集めることになる。
実は彼らは「迷惑をかけている」のだ。
彼らの存在は、まわりの人間に「好きなことをやっている人がいる」というプレッシャーを与え、「自分は無力だ」と認識させる。
まわりの人間は往々にして、「アイツは嫌なやつだ」と漏らすことが多いが、それは的外れではない。
「好きなことをやってると、嫌われる」
これは、紛れもない事実だ。
これを書いた人がどのくらい羨望の的なのかどうかは知らないが、「好きなことをやっていると嫌われる」というのはどう考えてもデマである。たぶんあなたが嫌われているのには他に理由があるはずだ。
第一に、成功者に対して嫉妬する人ばかりではない。嫉妬という感情は、だいたいにおいて「おれとあいつはさほど変わらないはずなのになぜあいつだけが」という思い込みから生まれる。簡単にいえば、嫉妬されるというのは、舐められているのだ。結果が歴然としているにも関わらず、「おれとあいつはさほど変わらないはず」と思われている時点で舐められているのである。
なぜ舐められるかと言えば、要は仮になにかで成功した(ように見えた)としても、それが全くの幸運から生まれているように見えるからだ。人は実力がなくても宝くじに当たることが往往にしてある。人生は不公平なもので、趣味の釣りをしていたら下手くそな爺さんがいてあれこれ教えているうちに仲良くなったら自分の会社の社長だったとか、タクシーの運転手をしていたら、お客さんに気に入られて、その人が社長をやっている会社で幹部になるとか、事実は小説よりも奇なり、ということが往往にしてある。
こういうシンデレラストーリーは、確かに羨望と嫉妬を集めるだろう。「なんであいつだけが・・・」と嫉妬されるのは、能力に大差がないと思われてるからだ。
ところが実力で相手を圧倒するとき、嫉妬する人間というのはどんどん消えて行く。
たとえば将棋の羽生名人だとか、イチローだとかに嫉妬する人はいないだろう。
僕の感覚で言えば、中田英寿は同世代だが、彼の年棒が4億円で、移籍金が33億円とか聞いた時には、「どういうことなんだ。すげえな」と思うしかなかった。
サッカーで食って行くということがどれほどストイックで大変かというのは想像するしかないけれども、僕もサッカー部だったから、サッカーがどういうスポーツなのかはわかる。
そのとき中田英寿に対して嫉妬のような感情は全く生まれない。「すげえ!」と思うだけである。むしろヒーローである。実際、中田英寿は僕らの世代のヒーローだった。
明らかに中田英寿は好きでサッカーをやってる。もっと前の世代のヒーローでいえば、やはりカズだ。三浦知良だ。カズは死ぬほどサッカーが好きである。そんなカズに嫉妬する人間がどこにいるだろうか。むしろ僕らサッカー少年は、カズがどれほどサッカーというスポーツを愛しているか知れば知るほど、カズを好きになって行くのである。
好きなことを追求した成功者が、仮に嫉妬されることがあるのだとすればそれは自分の「好きなこと」に対する愛情を忘れ、成功を収めたという事実に胡坐をかき、俗にいう「チョーシに乗ってる」ときだけだろう。
実際のところ、人はバカが好きである。
大山倍達が空手バカだというのは、紛れもない彼の魅力なのである。
人が大山倍達に失望することがあるとすれば、それは空手以外のことに現を抜かして空手への愛をないがしろにしたときだ。
男でも女でも、人は一貫したものを好む傾向にある。一貫しているというのは、不変であるということであり、予想できるということでもある。
子供の頃通っていた定食屋が、たまに里帰りしたときにまだ営業しているとホッとする、そういう感覚で人は人を見ている。
質素だった定食屋が今風のファミレスになっていたら悲しいし、なくなっていたらもっと悲しい。できればずっと変わらないでいてほしい。
しかし世は諸行無常であり、変わり続けることでしか生き続けることはできない。だからこそ、その中にあって変わらないというのは非常に大きな魅力を放つのだ。変わらなくいれるのは、どこまで「好き」を貫き通せるかという愛情の深さあってこそだ。
カズもチームを転々とし、中田はとっくにサッカーをやめてしまった。
カズと中田、どっちが魅力的かといえば、個人的には、やはり今でもサッカーの現役にこだわるカズに軍配があがる。
チームが変わっても、変わらずサッカーを愛し続ける現役でい続けるカズ。彼に嫉妬する人間など、今やどこにもいないだろう。
「好きなこと」に全力で打ち込んでいる人に嫉妬する人は、多くの場合勘違いをしている。実力とは絶対的な能力だと思っている。
でも実際には、長期的に見れば実績は愛の深さによってのみ決まる。愛が深いからこそ練習量が上がり、必然的に実力が身につく。愛が深いからこそ何度も挑戦し、その度に乗り越えられるようになって行く。これは一朝一夕にはいかない。仮に嫉妬されることがあるとすれば、そういう姿が見えないままに経済的社会的成功を手にした人間だけだろう。
あなたはボディビルのチャンピオンに嫉妬するだろうか。
ボディビル大会では優勝しても賞金のようなものは一切出ない。単なる自己満足の世界である。
彼らは筋トレが好きで、トレーニングによって自分の肉体がどんどん強くなって行く感覚が好きで、ひたすらそればかりしている。
しかし筋トレが好きでない人にとってはボディビルのチャンピオンになど嫉妬する理由がひとつもない。「大変なことをしてるなあ」とか、強いて言えば「変わった人だなあ」くらいの感想を持つだろう。
経済的成功を伴わない成功者や求道者は誰からも嫉妬されない。なにか仏の救いを求めて修行を繰り返す修験者に誰も嫉妬しないのと同じだ。
ということは、嫉妬されるか(嫌われる)かどうかということと、その人が好きなことをやっているかどうかということには直接の因果関係がない。
成功者が嫌われるのは「好きなことをやっている」からではなく、「チョーシに乗ってる」からである。
カズがチョーシに乗ってサッカー以外のことに手を広げたら、みんなカズが嫌いになるかも知れない。
たとえば柴咲コウが会社を始めるらしいが、あれは正直いかがなものかと思う。どこまで本気なのかわからないけど、女優業の片手間にできるほど会社経営は甘くないぞ、と思ってしまう。チバレイが会社を作った時も同じようにも思ったなあ。
キングコング西野が嫌われがちなのも、結局、チョーシに乗ってるからだろう。芸人として売れてきて、そのネームバリューを武器に絵本をプロデュースして儲ける。ビジネスとしては別にいい。しかしなんだか、彼が絵本が好きなんだという感じがぜんぜんしないのだ。そこらへん、広告業界でいう「コミュニケーション」と「クリエイティブ」に大きく失敗しているという気がする。いや、もしかしたら本当は西野は絵本が好きなのかも知れないけど、なんか絵本が好きというよりも、絵本をネタにして一儲けする自分が好き、みたいに見えてしまうところがどうかと思う。まあどうでもいい話ですけどね。
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