まだイケる。

まだイケるからまぁ安心しろって

自己紹介がてらNaonosukeの半生を書いておくよ。

どうも、Naonosukeです。

今回は私の自己紹介代わりに自分の半生を書いていこうと思う。
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※猛烈な自分語りと長文に注意です。

 

プロフィールの必要性

 

ブログの記事、特に思考系の記事を書く上で書く人間がどんな生き方をしてきたかで記事の見え方が変わるのでは?と私は考えたので半生を書いてみる事にしました。

 

あと興味を持ったブログってとりあえずどんな人が書いているんだろう?と思って著者のプロフィールを読みに行くと思うし、そのプロフィールでもっと私とこのブログに興味を持ってもらえたら嬉しいなと思う。

 

Naonosukeの軌跡

 

幼稚園児時代

 

1994年4月26日滋賀県南部で産まれる。A型の男の子だよ。

両親からよく「お前は大して才能が無いから出しゃばらなくて良いんだよ」という言葉を頂いて幼稚園児の頃までに負け犬根性を身に着ける。

 

この頃からかけっことかスポーツしても何してもダメな人間になっていた。

もちろん、「どうせ自分はダメだから」という言葉を盾に何もチャレンジしてこなかった自分に大きな責任はあるけど、普段掛けられる言葉ってその人の人生を左右するだけの力があると思う。

 

小学生時代

 

「お前はダメ人間だ」と言われ続けて、素直に「はい、何もかも諦めます」と言えたら良かったんだろうけど、逆に何かで認められたいと強く思う承認欲求マンになっていた。

でも、負けるのは嫌だからチャレンジはしない。矛盾の塊だね。

 

そんな小学2年生の頃、両親が離婚する。

母親は常習的に私にネグレクト、いわゆる育児放棄をする人間で、家に帰ったらプレイステーションかPCをじっと眺める廃人と化していた。

 

私は食べるものも無いので冷凍庫に入っている冷凍からあげを凍ったままかじって生き延びていた記憶がある。

 

父親は短気な人間で何かあれば怒鳴り込むような人間でよく母親を殴り倒しているのを見かけた。

ちなみに離婚の頃までに私は「母親はクズだ、あんな奴について行ってはいけない」という言葉に完全に洗脳されていた。

 

離婚の結果、私は父親に弟は母親に引き取られていった。

この時から現在まで15年以上の時間が経つが、母親と弟が何をしているのか、そもそも生きているのかも私は知らない。

2人に恨みは無いので幸せに生きていたら良いと思う。

 

第二の小学生時代

 

転校するまでの半年間くらい学校でイジメられてたので、転校できてラッキーとか思ってたけど、本当の地獄はここからだった。

 

父親は母親の事を激ディスりして私が父親に付いていくように印象操作する事に成功していた。

しかし、いざ付いて行ってみると「いや俺育てらんねーし」と言い、私の一切の世話を愛人に託した。

 

ちなみにその愛人は夫と子供も2人居て、4人で同居している普通の家庭だ。

ある日、自分の家に他所の男が連れてきた子供が住み込むってどんな気分なんだろうか?

 

愛人の夫は何も思わなかったのだろうか?(ちなみに私は父親と愛人がニャンニャンしている所を聞いた事があるので間違いなく不純な関係だったと思う)

 

私の奇妙な生活が始まったと同時に虐待生活も始まった。

毎日「お前は無能だし、なにやっても上手くいかないクズなんだよ!」「お前生きてる価値無いからね、父親からもウザがられてるよ」などと言葉の暴力を浴びられた。

小学生って純粋なもので、悲しいけどその言葉を信じて更に負け犬根性が根深くなっていった。

 

ちなみに父親からも「子供なんか作らなきゃ良かった」とか「お前の顔は母親に似ていてイラつく」とよく言われたものです。

もっとまともな女と子作りしといたらこんな目には合わんかったんやで(白目)

 

言葉の暴力なんてのはまだまだ序の口で、物理的な暴力も毎日受けていた。

泣き声がうるさいときは喉を蹴られて声が出ないようにされたし、人間って鼻血を出すと次から出やすくなるみたいでどこ殴られても鼻血を出すようになった。

 

他にも頭に醤油浴びさせられたり、真冬寝るときに布団与えられなかったりしたけど、一番辛かったのはトイレ禁じられた事かな。

トイレ使ったら使ったで顔殴られるし、我慢出来かかったら出来なかったで息が出来なくなるまで腹を蹴られる。 

でも生理現象だからいずれトイレ行きたくなるしで、八方塞がりだった。

 

父親は全部知ってるにも関わらず、愛人との仲の方が大切だったようで、見て見ぬふり。殴られて顔に跡ができても先生含め誰も気にしないし、幼いながら助けなんて無いと悟った。

 

そんな私ですが、ユーモアはある人間だったのでクラスではそこそこ人気者でした。

特に時事ネタが好きなでよく北○鮮の金○日総書記をネタにしていた記憶があるよ。

 

あんなオッサンでなんで笑いが取れてたんや・・・

 

勉強も当時にしてはよくできる方だったので将来の夢は弁護士と書いた。

それ今の私の前でも同じ事言えんの?

 

中学生時代

 

「私を愛人の家に預ける契約」の期限は小学校卒業までだったようで私は父親に引き取られた。

 

父親は仕事の都合上、夜家を空ける人間で私は夜に家に帰ってくる。

そして家にはパソコンがある。

 

これが意味することは・・・

ネットの海にどっぷりと浸かった。

 

ネトゲとかやりまくった。

「トリックスター」とか知ってる?久々に公式サイト開いたらサービス終了してて、なんとも言えない気持ちになったよ。  

 

愛人の家と父親の家は距離にして30kmくらい離れていたので、違う地域の中学校に通う事になって新しい環境では友人もなかなかできなかった。それでもネットの世界で友人が出来たのでさほど気にならなかったよ。

 

リアルの世界よりネット世界で活動する時間の方が長くなっていた。

廃人のいっちょ上がり★

 

中学2年生になると、友人が出来てお互いネットに詳しかったので意気投合した。

PSPの改造とかやりまくった。当時は改造できる自分SUGEEEEEスーパーハカーじゃん俺!!とか思ってた。どうかそっとしてあげてほしい。

 

中学生3年生になったらイジメられた。

小学生の頃は面白いキャラとしてクラスでもそこそこの地位を得ていたが、中学校では面白いというだけでは通用しなかった。

何よりエロゲの主人公を意識したような長すぎる前髪がキモくて周りからしたら「なんか出しゃばってる陰キャ」に見えた事間違いなしである。これもそっとしておいてあげて。

 

高校生時代

 

気付けばイケてるグループに入る事が出来ていて、高校デビューに成功した。

今思えば何で仲良くなれたんだろう?と思う。でもかけがえの無い良い友人たちだったよ。

そして当時6人居たメンバーのうち、1人は今でも親友です。

 

ただこの頃の私は凄いネガティブで情緒不安定なめんどくさい奴だった。

ほんと、当時付き合ってた友人に誤りたいし、付き合ってくれてありがとうと言いたい。

 

特に周りは彼女が出来て、自分だけ彼女が出来ないという状態になっていたのでより一層コンプレックスが増していった。

かといって、ファッションこうしたら?というアドバイスには「いや、俺がやってもキモいだけだし・・・」でも彼女欲しい。

いや、無理でしょ。

どんなアドバイスも跳ね除ける鉄壁のクズだったよ。

 

ちなみに生涯初の労働はパン屋さんでアルバイトした事。

みんなに言うと基本的に「え?」と言われる。そんなに似合わないの・・・!?

 

ターニングポイントと高校中退

 

人より何か優れてみたいという承認欲求はこの年になってもあったし、むしろ大きくなっていってた。

 

そこで私は不良と言うものに憧れる。

「今俺は街のヤバい奴とつるんでる・・・!!俺ヤバい!!」とか思ってた。

この件もどうかそっとしてあげて。

 

でも根はチキンだし、そもそも生きる世界が少し合わないのでどうにも長く付き合う事が出来なかった。

 

定番のタバコ吸ったり、バイク乗ったり(チキンなのでちゃんと免許取って)していた。

でも後々これが学校にバレて退学になった。

 

まぁ本来ならバカでしかないけど、今思うと大きな転機だったと思う。初めて道を踏み外した瞬間である。

 

通信制の高校に通う。

バイクで通学しても、タバコ吸っても何も言われないし、子供抱いて卒業証書受け取るギャルママ62歳のおじいちゃんが生徒会長だったりとなかなかカオスな世界だった。

 

そこで何とか卒業して高卒の資格を得る。ニアリーイコール中卒って言わないで(白目)

 

社会人時代

 

残業たくさんした奴が偉いんやで。

 

 

・・・そう思っていた時期が私にもありました。

通信制高校には求人が来なかったのでハロワに行ってハロワの人に紹介してもらった工場に勤める。

 

最初こそ残業とかバリバリしていたんだけど、ある日なんか満たされない事に気付く。

 

趣味で仲間と車とか弄ってたけど、何か満たされない。

あと、なんかバイクとか2台目の車とかなんか持ってる乗り物が増えていった。あと借金も。

 

気が付いたら、借金返す為に長時間働いてる自分が居て俺の人生って何だよ。とある日突然思った。

 

そしてある日「ファイト・クラブ」という映画に出逢う。

 

「お前はモノに縛られてる」

映画「ファイト・クラブ」より

 

何でもないセリフなんだけど、当時の私の心にすげー刺さった言葉で、持ってる乗り物全部売ろうと思った。

 

私車が好きだったわけじゃなくて、仲間と何かするのが好きだったのと、車ネタで武勇伝作ってすごいと言われるのが好きなだけだった。

やはりここでも承認欲求くんの登場でした。

 

最愛の人との出逢い

 

ある日友人とクラブに行った時ナンパするぞ!という流れになった。

友人2人は高校時代もモテモテ色男だったのだが、私はさっきも書いたようにモテない男だった。

 

ちなみにこの方々は彼女居る上でのナンパです。お前らは何を言っているんだ?状態の私。

 

でも玉砕してでもナンパしないと帰れなさそうだったし、そもそもナンパくらいでしか出逢いを掴めない社会人だったので意を決して目の前に居たタイプの子に話しかけた。

 

結果的には上手く行った。今までモテないと思ってたけど、こんな私でもやっていいんだ。と気付いた瞬間です。

 

でも上手く行き過ぎて美人局とか怖いから財布はホテルの冷蔵庫の奥に隠しておいたよ。

 

それから付き合う事になりました。

嬉し過ぎて、立ってらんなくなって生まれたての子鹿みたいになった記憶があるよ。

 

そして彼女はとても素敵な人で私の良いところをめちゃめちゃ挙げてくれる。

それはもう止めなきゃ一晩中言い続けそうな勢いで。

 

私は思った。あれ?俺って案外ダメな人間じゃないんじゃね?って。気付くのに21年掛かった。長すぎぃ!

 

そこから色々チャレンジするようになって、やっていく過程で「やってみたら何でもそこそこ楽しめるじゃん」と気付く。

クッソ苦手だったスポーツもやってみたら意外に楽しめるし、俺は字なんて読めないと思ってたけど、読書にもハマった。

 

あとはその過程でブログにもチャレンジしてみたんだけど、読書感想文の原稿用紙1枚も書けなかった自分が、ほぼ毎日原稿用紙4枚分くらいの文字を書いている。

 

そして何やっても続かないと思ってた自分だけど、ブログを4ヶ月も続ける事が出来た。

(3ヶ月ブログ続けたら少数派らしい)

 

あぁ、私ってやらなかっただけでやってみたら案外できるじゃん。と気付いた。

 

そして今、人生をフルに楽しんでやろうと毎日明るくポジティブに生きる自分がこうして記事を書いています。

あれから精神的に不安定になる事もなくなったし、毎日楽しくやっているよ。

 

私の人生に登場して救ってくれた彼女を最大限にリスペクトしています。

彼女に対してはいつまでも誠実で正直に居続けたいなと思った。

 

あとは都会への憧れと彼女と同棲したいという気持ちが大きくなって23歳でしがのド田舎から京都にやってきた。

 

うん、歩いて買い物行けるって最高やん!

車で15分掛けて買い物行ってた日々はなんやったんや。

 

幼少期とか基本的に打ち明けるとすっげーヘビーでカオスだね。と言われます。

確かにすげー人生送ったとは思うけど、それはそれで今の自分の土台になったから良いんじゃないかな?と思う。喉元過ぎればなんとやらです。

 

あと今が幸せすぎて過去を気にしている暇がない。

 

1つアドバイスするなら、自分の人生は自分でしか良くする事は出来ないよ。って言っておきます。

 

すっげー長くなったけど、ここまで読んでくれてありがとう。

今回はこの辺で失礼します。