【号泣】神風特攻隊が書いた家族への手紙に胸がえぐられる

 

相花信夫 少尉
戦死 昭和20歳5月4日  18歳
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母上様御元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の母にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母
俺は幸福であった

ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと

 

 

 

大石清伍長
戦死日不明
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静(せい)ちやん お便りありがたう。何べんも何べんも読みました。お送りしたお金、こんなに喜んでもらへるとは思ひませんでした。神だな(棚)などに供へなくてもよいから、必要なものは何でも買つて、つかつて下さい。兄ちやんの給料はうんとありますし、隊にゐるとお金を使ふこともありませんから、これからも静ちやんのサイフが空つぽにならない様、毎月送ります。では元気で、をぢさん、をばさんによろしく。
兄ちやんより

 

なつかしい静ちやん!
おわかれの時がきました。
兄ちやんはいよいよ出げきします。

この手紙がとどくころは、沖なは(縄)の海に散っています。
思いがけない父母の死で、幼ない静(しぃ)ちやんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。

兄ちやんのかたみとして、静ちやんの名で預けていた郵便通帳とハンコ、これは静ちやんが女学校に上るときにつかって下さい。
時計と軍刀も送ります。
これも木下のおじさんたのんで、売つてお金にかえなさい。

兄ちやんのかたみなどより、これからの静ちやんの人生のはうが大じなのです。
もうプロペラがまわっています。
さあ、出げきです。
では兄ちやんは征きます。

泣くなよ静ちやん。
がんばれ!

 

 

 

穴沢利夫少尉  享年23歳
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二人で力を合わせて努めて来たが終に実を結ばずに終わった。

希望も持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”ということが実現して了ったのである。

今は徒に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。

問題は今後にあるのだから。

常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。

然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。

「あなたの幸を希う以外に何物もない。

「徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない。

「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。

 あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。

 穴沢は現実の世界にはもう存在しない。

智恵子。会いたい、話したい、無性に。

今後は明るく朗らかに。

自分も負けずに朗らかに笑って往く。

 

 

 

植村眞久 海軍大尉
享年25才

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素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、住代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。私の写真帳も、お前の為に家に残してあります。

 素子といふ名前は私がつけたのです。素直な心のやさしい、思ひやりの深い人になるやうにと思ってお父様が考へたのです。 私はお前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、仕合せになったのをみとどけたいのですが、若しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまっても決して悲しんではなりません。

お前が大きくなって、父に会いたい時は九段へいらっしゃい。そして心に深く念ずれぱ、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。父はお前は幸福ものと思ひます。生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちゃんを見ると眞久さんに会っている様な気がするとよく申されていた。

 

またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても親なし児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護って居ります。

優しくて人に可愛がられる人になって下さい。お前が大きくなって私の事を考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい。

昭和十九年○月吉日父 植村素子ヘ

追伸、

素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。

だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教へて上げます。

 

 

 

小川清 海軍中尉
死没 1945年5月11日(満22歳没)

おがわさん

お父さんお母さん。清も立派な特別攻撃隊員として出撃する事になりました。

思えば二十有余年の間、父母のお手の中に育った事を考えると、感謝の念で一杯です。全く自分程幸福な生活をすごした者は他に無いと信じ、この御恩を君と父に返す覚悟です。

あの悠々たる白雲の間を超えて、坦々たる気持ちで私は出撃して征きます。生と死と何れの考えも浮かびません。人は一度は死するもの、悠久の大儀に生きる光栄の日は今を残してありません。父母様もこの私の為に喜んで下さい。

殊に母上様には御健康に注意なされお暮し下さる様、なお又、皆々様の御繁栄を祈ります。清は靖国神社に居ると共に、何時も何時も父母上様の周囲で幸福を祈りつつ暮らしております。

清は微笑んで征きます。出撃の日も、そして永遠に。

 

 

 

富澤幸光

お父上様、お母上様、益々御達者でお暮しのことと存じます。幸光は闘魂いよゝ元気旺盛でまた出撃します。お正月も来ました。幸光は靖国で二十四歳を迎へる事にしました。靖国神社の餅は大きいですからね。同封の写真は○○で猛訓練時、下中尉に写して戴いたのです。幸光を見て下さい。この拳を見て下さい。

 父様、母様は日本一の父様母様であることを信じます。お正月になったら軍服の前に沢山御馳走をあげて下さい。雑煮餅が一番好きです。ストーブを囲んで幸光の想ひ出話をするのも間近でせう。靖国神社ではまた甲板士官でもして大いに張切る心算です。母上様、幸光の戦死の報を知っても決して泣いてはなりません。靖国で待つてゐます。きつと来て下さるでせうね。本日恩賜のお酒を戴き感激の極みです。敵がすぐ前に来ました。私がやらなければ父様母様が死んでしまふ。否日本国が大変な事になる。幸光は誰にも負けずきつとやります。

 

 

 

回天特攻隊員

お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。胸は日本晴れ。本当ですよお母さん。少しも怖くない。しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。

それは、今日私が戦死した通知が届く。お父さんは男だからわかっていただけると思います。が、お母さん。お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのでありませんか。

弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。

お母さん。こんなことを考えてみましたら、私も人の子。やはり寂しい。しかしお母さん。考えて見てください。今日私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか。

戦争はこの日本本土まで迫って、この世の中で一番好だった母さんが死なれるから私が行くのですよ。 母さん。今日私が特攻隊で行かなければ、年をとられたお父さんまで、銃をとるようになりますよ。

だからね。お母さん。今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。
でもやっぱりだめだろうな。お母さんは優しい人だったから。お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。私が一番怖いのは、母さんの涙です

 

 

 

海野馬一 陸軍少佐
昭和22年4月3日没 享年49歳
海野さん

愛児へ
児等よ嘆ずること勿れ。父の死は決して汝等を不幸にはしない。
汝等は父の死によって何でもよいから一つの教訓を得よ。
他の人の得ることの出来ぬ教訓を得よ。そして立派な人間となれ。

汝等よ。汝等の母は日本一の母なることを汝等に告げる自身あり。
母の言をよく守れ。母の言は即ち父の言だ。
和幸君瑞子様誠子様仲よくよき母の許にてよく勉強して立派な人となれ。
人間は何も高位高官の人となる義務はない。国家のため人にためになる人になるのが人間の義務だ。

和幸君よ父は汝に将来如何なる職業に進めと云ふ権能はない。
又汝の性格も判らぬから申さぬ。然し弱きを助けるのが男だ。
父は軍隊生活中この気概を持してやって来た。(中略)
「弱きを助ける人となれ」これが父の言葉だ。汝未だ五才と雖も父の言を忘るる勿れ。
瑞子様はお姉さまだから父の心がよく判るであらふ。
和幸や誠子が成長するに従ひ父の心を傳へて下さい。

 

 

 

林市造 
昭和20年4月12日没 享年23歳
林さん

お母さん、とうとう悲しい便りをださねばならないときがきました。

親思う心にまさる親心
今日のおとずれ何ときくらむ

この歌がしみじみと思われます。
ほんとに私は幸福だったのです。
我ままばかりとおしましたね。
けれどもあれも私の甘え心だと思って許して下さいね。

晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。
母チャンが私をたのみと必死でそだててくれたことを思うと、何も喜ばせることが出来ずに、安心させることもできず死んでゆくのがつらいのです。
私は至らぬものですが、私を母チャンに諦めてくれ、ということは、立派に死んだと喜んで下さいということはとてもできません。けど余りこんなことは云いますまい。
母チャンは私の気持をよくしって居られるのですから。

婚約その他の話、二回目にお手紙いただいたときはもうわかって居たのですがどうしてもことわることができませんでした。
又私もまだ母チャンに甘えたかったのです。
この頃の手紙ほどうれしかったものはなかったです。一度会ってしみじみと話したかったのですが。

この手紙は出撃を明後日にひかえてかいています。
ひょっとすると博多の上をとおるかもしれないのでたのしみにしています。かげながらお別れしようと思って。

千代子姉さんにもお会い出来ず、お礼いいたかったのですが残念です。
私が高校をうけるときの私の家のものの気づかいが宮崎町の家と共に思い出されて来ます。
母チャン、母チャンが私にこうせよと云われた事に反対して、とうとうここまで来てしまいました。
私として希望どおりで嬉しいと思いたいのですが、母ちゃんのいわれる様にした方がよかったかなあとも思います。

でも私は技量抜群として選ばれるのですからよろこんで下さい。
私達ぐらいの飛行時間で第一線に出るなんてほんとは出来ないのです。
選ばれた者の中でも特に同じ学生を一人ひっぱってゆくようにされて光栄なのです。
私が死んでも満喜雄さんが居ますしお母さんにとっては私の方が大事かも知れませんが一般的に見たら満喜雄さんも事をなし得る点に於い絶対にひけをとらない人です。

千代子姉さん博子姉さんもおられます。
たのもしい孫も居るではありませんか。
私もいつも傍に居ますから、楽しく送って下さい。
お母さんが楽しまれることは私がたのしむことです。
お母さんが悲しまれると私も悲しくなります。
みんなと一緒にたのしくくらして下さい。

お母さん、私は男です。
日本に生まれて男はみんな国を負うて死んでゆく男です。
有難いことに、お母さん、お母さんは私を立派な男に生んで育てて下さいました。
情熱を人一倍にさずけて下さいました。
お母さんのつくって下さいました私は、この秋には敵の中に飛びこんでゆくより外に手をしらないのです。
立派に敵の空母をしずめてみせます。
人に威張って下さい。

大分気を張ってかきましたが、私がうけた学問も私が正しい時にかく感ずるのだと教えています。
ともすればずるい考えに、お母さんの傍にかえりたいという考えにさそわれるのですけど、これはいけない事なのです。
洗礼をうけた時、私は「死ね」といわれましたね。
アメリカの弾にあたって死ぬより前に汝を救うものの御手によりて殺すのだといわれましたが、これを私は思い出して居ります。
すべてが神様の御手にあるのです。
神様の下にある私達には、この世の生死は問題になりませんね。

イエス様もみこころのままになしたまえとお祈りになったのですね。
私はこの頃毎日聖書をよんでいます。
よんでいると、お母さんの近くに居る気持がするからです。
私は聖書と賛美歌と飛行機につんでつっこみます。
それから校長先生からいただいたミッションの徽章と、お母さんからいただいたお守りです。

結婚の話、なんだかあんな人々をからかったみたいですがこんな事情ですからよろしくお断りして下さい。
意思もあったのですから。
ほんとに時間があったら結婚してお母さんを喜ばしてあげようと思ったです。
許して下さいと、これはお母さんにもいわねばなりませんが、お母さんはなんでも私のしたことはゆるして下さいますから安心です。

お母さんは偉い人ですね。
私はいつもどうしてもお母さんに及ばないのを感じていました。
お母さんは苦しいことも身にひきうけてなされます。
私のとてもまねのできない所です。
お母さんの欠点は子供をあまりかわいがりすぎられる所ですが、これはいけないと云うのは無理ですね。
私はこれがすきなのですから。
お母さんだけは、又私の兄弟達はそして友達は私を知ってくれるので私は安心して征けます。
私はお母さんに祈ってつっこみます。
お母さんの祈りはいつも神様はみそなわして下さいますから。

この手紙、梅野にことづけて渡してもらうのですが、絶対に他人にみせないで下さいね。
やっぱり恥ですからね。
もうすぐ死ぬということが何だか人ごとの様に感じられます。
いつでも又お母さんにあえる気がします。
あえないなんて考えるとほんとに悲しいですから。

私のもちもの、日記類なんか、ほんとに汚いものですからやきすてて下さい。お願いします。
お母さんがみられてもいやですね。お母さんだけなら仕方がないですが、こればかりは他人には絶対にみせないで下さい。
私の浅ぱくさがばれるのですから。やはり見栄坊の私は人にあらをみせるのがいやなのです。
必ずやきすてて人にみせないで下さい。
その他の本とか何とかお母さんの気のままに処分して下さい。

私は軍隊に入って変に自信をもちました。
私達は少くとも綺麗な心をもつように育てられたということです。
心の点では、たいがいのものにまけないという自信です。
私の周囲がよかったのですね。
家、そして友達、高校の友達なんかことに有難いです。

出撃が明朝に極りあわただしくなり落着かないのですが、せめて最後の言葉を甘えたいと思って居ます。
家のこと思い出すと有難くて涙が出るばかりですからもうこのことについてはかきますまい。
私がその中に居たことが嬉しいのです。
千代子姉さんは光兄さんのこと御心配でしょうが、大丈夫ですよ。
私は妙な確信をもって居ます。
潤子チャン陽子チャン達が私にかわってお母さんを喜ばしてくれることをお願いします。

今桜がさかりですね。校庭にもつくしが生えていましょう。
春休みがなつかしいですね。
萩尾先生や校長先生や妹尾先生立石の小母さん、松田、井口の小母さん達によろしく。
汽車の中は人が一杯でうごきもきれずたのしかったですね。

結婚の話、みんなでみて品定してその結論をさしあげたのですがあれも私の最後をかざる思い出です。

梅野にきてもらってチャートにコースを入れて居ます。
博多上空をとおります。
宗像の方もとおりますから。
桜の西公園を遠目に遥か上空よりお別れをします。

お母さん、でも私の様なものが特攻隊員となれたことを喜んで下さいね。
死んでも立派な戦死だし、キリスト教によれる私達ですからね。
でも、お母さん、やはり悲しいですね。
悲しいときは泣いて下さい。
私もかなしいから一緒に泣きましょう。
そして思う存分ないたら喜びましょう。

私は賛美歌をうたいながら敵艦につっこみます。
まだかきたいこともありますがもうやめましょう。
お母さんは私を何もかにも知って居られるのですから私の気持は、お母さんがお思いになるとおりに考えて居ました。
軍隊という所へ入っても私は絶対にもとの心を失いませんでしたから、甘える心だけは強くなりましたが。
お母さん、くれぐれも身体を丈夫に長生して下さい。お願いします。
千代子姉さん、博子姉さん、満喜雄さんと、潤子チャン陽子チャン宏明チャンの生長をたのしんでらくにくらして下さい。

変な手紙になりましたが書きなおすのもめんどうだからこのまま出します。
お母さん。くれぐれも身体に注意して下さい。お願い致します。

出撃前日

さよなら
市造

母上様 姉上様

 

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