僕は疑い深い人間だ。漠然とだが、科学で証明されないものは信じていないのだと思う。不勉強なのは承知の上だが、宗教も天地創造説やら、現世とか来世とか聞いた時点で理解を超えていてとても信じる気にならない。催眠術は未体験だが、疑ってみている。一度体験したいものの一つだ。以前知り合いに紹介されて行った気功もダメだった。そもそも信じる気持ちがゼロなので、何も起こらなかった。信じるどころか、自分の背中の辺りで気功師のおじいさんが「う〜」とか「あ〜」とか「はっ!」とか聞いた時点でもう吹き出していた。精神的に弱っている時に新興宗教的なものにハマる人がいるようだが、現実逃避したいという意味では理解出来るが、根本的に何かが解決するとは到底思えない。僕はそんな人間だが、誰かが何かを信じることで気持ちが楽になる、救われた気分になるのであれば、それはそれで構わないと思う。どうぞ、好きにして下さい、という感じだ。
さて、再び腰痛の話題。
そんな非科学的なものは一切信じないと言っておきながら、病院通いを止め、薬を止めて、整体に通っている。1分も立っていられない状態だったにも関わらず、薬を止め、ブロック注射を避け、手術を避けて、選んだのが整体だ。これは全く矛盾していると自分でも思う。整体なんかで椎間板ヘルニアが治るなら、医者はいらない。
僕の場合、痛み止めの薬を強くするたびに痛みが悪化し、副作用に悩まされた。全くいいことがなかった。そんな時に友人から声を掛けられたのが或る施術のこと。それを普通に整体と呼ぶのかどうか未だに分からないが、はっきりしているのは医者ではないし、通っているところも病院ではない。整体と説明するのが一番合っているのだと思う。
友人からその施術を紹介された時も心の底では疑っていた。僕はその手のものは基本信じないのだ。そんなもので良くなるはずがない。が、薬で嫌な思いがあったこともあったので、科学的に証明されている筈のない施術でも何でも試して見ようと思っていたのだ。
9月頭から5回ほど通った。回を追うごとに自分でもびっくりするくらい良くなってきている。
現在の状況(椎間板ヘルニア)になった原因を根本から治すということ。そしても僕の場合は交通事故に遭った時の頚椎症がその原因でらしい。そして、受けている施術と言えば、いろんなところをグイと強く、相当強く押されているのが大半だ。また、肝臓を冷せ、毎日40分歩け、と言われたので従っている。肝臓は薬や老廃物を分解するところだ。僕は体内に残っている薬を分解せねばならぬ。肝臓が機能すれば熱を帯びる、だから冷やせとのことだ。歩くことは体を正常な状態にすることらしい。歩くことで人間の体が持つ本来の機能が正常になるという。
過去の経験から疑いを持ったら決して何も起こらないと思っているので、ここは我慢して兎に角信じる努力をした。何を言われても、どんな説明を受けても、たとえ疑問を持ってもそこは飲み込んだ。そして言われるがままに4週間が過ぎ、体調は格段に良くなっている。完全に痛みが取れた訳ではないが、比較にならないほど、良い。日常の生活がごく普通に送れる。これは助かる。本当に助かっている。
この整体的な施術と肝臓などを冷やしたり歩いたりというものを調べてみると構造医学という言葉にぶち当たった。構造医学をググってみると吉田何某という人の「構造医学 自然治癒のカギは重力にある!」という著書が見つかる。読んでみると僕が通っている施術師の話のネタはここからきていることがわかった。
鮭が重力に逆らって遡上後産卵したら絶命し、重力のまま流されていく様子を見て、流れに抵抗してる不断の動き(遡上)が「生」(鮭にとっては確かにそれは「生」だ。しかし川に戻る前に海にいる時も「生」ではあるが)、逆に流れに抵抗できない姿が「死」(産卵後絶命すれば流れには逆らえないのは当たり前)。植物も種子から芽を出し、反重力方向に成長する。これも「生」であるとしている。次の文章が興味深いのでそのまま抜き出してみる。
「われわれの人生においても、そこにはやはり水流と同じような、色々な流れに向かって進んでいく状態が生きていることなのであり、この活動を断つことが、いわゆる死を意味する。中略。生命の活動は流れに抵抗して行われるのであり、この活動は当然、エネルギーの消費を伴うことになるのである。抵抗するということは、むしろ流れに「応じて」いるのであって、これが自然の生の概念のように思えてならない」
揚げ足を取る訳ではないが、それまで生物として捉えてきたものがいきなり「人生」になると意味合いが少し変わるような気がした。生物としては分からないが、確かに「人生」としてはある種、流れに向かっていくことは時として必要なことだ。ここは頷けるところだ。が、それも束の間、その活動が絶たれると、死を意味する。死は極端だとしても、「老」ということかもしれない。「老」が死への流れだとすると「死」と言い切ってしまっても人生論的には良いかもしれない。もう一つ、理解が難しいところが、流れに抵抗することが流れに応じているいるというところ。これも言葉の印象かもしれないが、鮭の件で、抵抗する=生きる、抵抗しない=死という図式の後に、「流れに応じている」というのがどうしても、抵抗とは反対の方向のように思えるのだ。
鮭も植物も反重力的な方向(流れに逆らう)が「生」の方向であり、どちらも生物であることから同じ生物である人間にも当てはまるという演繹的推論をすると、反重力的なものこそが「生」であり生理的であるらしい。流れ=重力に逆らうことが人間にとっても「生」であるが、その流れ=重力に”応じる”ことも「生」なのだ。
そこから二足歩行の話となり、顎関節の話に移り、局部冷却やら、生理歩行の話になるのだが、頭の悪い僕には到底理解の出来ない難解な内容なのだ。最早その理由は分からないが、冷やすのが良いらしい、歩くことが良いらしいという僕が通っている施述師の言葉だけが残っている。
また吉田何某をググると本に書いてある肩書きの「医学博士」「理学博士」であることははっきりせず、どうやら柔道整復師らしい。医師免許はなさそうだ。また、構造医学を検索結果からみると整骨院、整体などとの相性が良いようで、一般の医者とな紐づかない。
さて、吉田何某が書いている構造医学なるものを比較的そのまま施術の理屈として展開している僕の通っている施術師のことを疑っているわけではない。確かに自分の通常の理解とは違うところもある。従って全てを盲目的に信じている訳ではない。それでも僕の体調が良くなっていることは事実だ。少し歩いてはうずくまり、山手線一駅が立っていられずに脂汗を掻きながら座り込んだりしていた日々に比べれば、今は毎日40分以上歩けるようになっている。しかも、それほどの痛みなしで歩ける。体が痛くて睡眠すら取れなかった日々が嘘のようだ。
僕は疑い深い人間だ。
今の施術を受ける際に施術師から9ヶ月で痛みは完全に取ると言われた。そして次の1ヶ月、つまり2ヶ月経てば走れるようになるだろうと言ってくれた。今度は10月頭に行くことなっている。10月いっぱいまではここに通うことにしている。最初から決めたことだ。
当初は、それで効果がなければ、他の何かを当たろうと思っていた。が、今のところ、効果はある。それはそれで良かったと思う。これを誰かに勧めるだろうか?分からない。ただ、僕は試してみて良かったと、僕はしみじみ思うのだ。