先のお話の附則になりますが、
「貰う」ということの意味が、“自分が出した汚いモノが相手に弾かれ、それをヒーラー自身が受け戻しているだけ"であるとしても、
それは、レイキや気功のように、手をかざすなどして、単にクライアントにエネルギーを流すタイプの技法を前提とした場合のお話です。
実は、その技法が、ワンドを使ってクライアントのエーテル体を切り裂いてエネルギーを流し入れるタイプのものになると、事態は、ヒーラー自身が“受け戻しているだけ”では済まされず、大変なことになるのです。
例えば、エーテリックヒーリングや、DNAアクティベーションや、AKアクティベーションや、エーテル体手術などといった、クライアントのエーテル体を切り裂くタイプの技法の場合、
切られた箇所からヒーラーなりの汚いエネルギーのほとんどが弾かれることなくクライアントのエーテル体内に入り込み、
クライアントのエーテル体内に溜まり、塊になるのです。
それは、あたかもクライアントのエーテル体内に怨霊が棲みつき、クライアントと一体化したかのようなものであり…、
いずれは重大な支障が生じるのです。
まぁ、この辺りのお話は、以前さんざんしてきましたから、これ以上の言及はいたしません。
ところで、ヒーラーなりによっては、
「貰う」という表現ではなく、「エネルギーを吸われる」とか、「奪われる」とかいう表現をされる方々もいらっしゃるようです。
「エネルギーバンパイアに吸われる」とか、
「イニシエートに流れるエネルギーは半端じゃなく、沢山奪われる。」とか、
話されているのを聞いたことがある方々もいらっしゃるかもしれませんね。
このお話についても、先のテーゼを思い出せば、その答えは明らかだろうと思います。
結論からお伝えしてしまえば、
当該ヒーラーなりが、キチンとエネルギーの道管になれているのであれば、
流しているのは自分のエネルギーではないため、
少なくとも「吸われる」とか、「奪われる」とかいう感覚にはならないのです。
つまり、「吸われる」とか、「奪われる」とかいう感覚になる時点で、そのヒーラーなりは、エネルギーの道管になれてはおらず、
自分の汚いエネルギーを周りに放流して、それを受け戻しているに過ぎないのです。
そういう意味では、「エネルギーバンパイアがどうの」とかいうお話は、自分が出した汚いエネルギーを弾き返す相手を勝手にバンパイアだと看做しているだけという、とても失礼なお話なのかもしれませんね。
なお、後にお伝えいたしますが、
仮に「吸われる」という表現が、漂う“念波・想念”に当てられることを指して用いられているのであれば、これとは全く違うお話になります。
いずれにせよ、そもそも「イニシエートに流れるエネルギーは半端じゃなく、沢山吸われる。」などと言う方々は、“自分たちは、そこにいるだけで周りにエネルギーを与えられるくらい、波動が高く、特別な存在である”という、選民意識が根底にあるのです。
しかし、その意識が根底にある限り、決してエネルギーの道管にはなれないのです。
これは、ちょうど「霊などが視える自分は特別な存在だ」と思っている巷の自称霊能者なり、狗神使いなり、霊能風水師なりが、
実際には、“野狐なりに憑かれ、見させられている”に過ぎず、
決して霊などが正しく視えているわけではないということと同じです。
何にしても、「エネルギーを吸われる」というような表現を取られる方々の特徴は、
自分を庇う仲間や、自分が属するスクールなどから外れ、ひとたび一般社会生活の中にあれば、
「自分は誰より繊細で気を使って、他人にしてあげている。自分はしてあげてばかりいる良い人過ぎる人間だ。」などと自分勝手な妄想をしているだけで、
周りの方々から見れば、実際には、“場の雰囲気も読めず、自分が他人からどれだけしていただいているかも解らず、また周りにしていただいたことに感謝もできない幼稚な方々”だったりしますから、
よくよく自戒されて下さいね。