シリコンバレー創薬騒動(第33回)

ドットコムバブルからの学び

(2017.10.13 08:00)
赤間勉=元Anacor Pharmaceuticals社, Research Leader

 90年代後半のアメリカでのドットコムバブルと2000年以降のバブル崩壊を、シリコンバレーというまさに現場で経験した人たちは、VC投資がいつでも得られるものではないことや、IPOがいつでもできるわけではないという、言ってみれば当たり前のことを、身に染みて学びました。従って、それ以降に生まれたベンチャーでは基本的にお金の無駄遣いをしないように気をつける傾向にあったと思います。

 ところが東海岸のビッグファーマのような組織にいた人たちにとってのバブル崩壊は、自社の株価がちょっと下がった程度で、会社がつぶれたりしたわけではありませんから、シリコンバレーの人々ほどの実感をともなっていなかったと思われます。しかしその後、多くのビッグファーマがいっせいに大規模なダウンサイジングを始めましたので、大量に人材が放出されました。その中の一部は、西海岸のスタートアップにポジションを求めて移ってきました。

 私が2003年に転職活動をしていた時、面接でお邪魔した会社のひとつはできて間もないスタートアップでしたが、ラボのセットアップを東海岸のとあるビッグファーマから移ってきたディレクターが取り仕切っていました。そこは会社としてそれなりの資金調達はしていましたが、私の眼には、その貴重なお金を湯水のように使い、すべて新品で最新の設備を導入し、まばゆいばかりのラボを構築しているように見えて、いくら何でもちょっとやり過ぎなのではと感じました。しかしそのディレクターは、自分が以前いたビッグファーマにも引けを取らないラボができたと誇らしげでした。

 その会社からはオファーをもらわなかったので、私が心配する問題ではなくなったのですが、気がつくとその会社は数年後には姿を消していました。本当の理由はわかりませんが、上記のような無駄使いも原因のひとつになったのではないかと思っています。

 その後私が加わったスタートアップでは、アーリーステージにしては潤沢と言えるほどの資金があったにも関わらず、これでもかというほど出費に慎重でした。ラボもオフィスも最小限にも満たないと言いたくなる程度の機器や備品を極力中古品でそろえ、私自身も前の会社から、細々としたものをまとめたパッケージをただ同然の値段でゆずってもらってきたりしました。

 そんなやり方でしたから最初のうちはいろいろと不便でしたが、それも成功のための必要条件のひとつだったのだと、今では思います。研究が進展するとともに、あれやこれが必要だという現場の主張もだんだん認めてもらえるようになりましたが、それでも業界のスタンダードから見れば、最後までかなり質素な設備でやり通したなあと思います。

赤間勉(あかま つとむ)
元 Anacor Pharmaceuticals, Research Leader
赤間勉 1964年生まれ。89年協和発酵工業(当時)入社。主に新規抗癌剤の合成研究を行う。2001年米Geron Corporation社(カリフォルニア州メロンパーク)入社。テロメラーゼ関連医薬の合成研究。03年米Anacor Pharmaceuticals社(カリフォルニア州パロアルト)入社。抗炎症薬および感染症治療薬の合成研究に関わる。この間、年を追うごとに趣味の料理に割く時間が増え、将来は飲食店の開業を目指している。ブログもやっているので、そちらも併せてご覧いただきたい。
 このコラムは、米バイオテク企業にスタートアップから参加し、大手製薬企業に買収されるまで同社で研究者として過ごした赤間勉氏による手記です。赤間氏は、協和発酵工業、Geron Corporation社を経て、2003年6月にバイオテク企業の米Anacor Pharmaceuticals社に入社し、2016年6月の米Pfizer社による買収を経て、2016年12月まで研究者として勤務しました。シリコンバレーに拠点を持つバイオテク企業の内側から見た実像を伝えていただきます。

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