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2017年10月12日07:00
戦術パズルにだって原理原則はあるはず!
最近、サッカー戦術というものが脚光を浴びています。サッカー日本代表のハリルホジッチ監督がその辺を強調するようなこともあって、ポゼッションだのカウンターだのと戦術会話が飛び交う機会も生まれました。
僕は、戦術論…それを「戦術パズル」と呼んでいるのですが、それについてあまり詳しくありません。ただ、ザックリと理解しようとは思っていますし、その点においては、やはり原理原則というものがあり、突き詰めれば当たり前のことだけが残ると感じています。
今日は世の中にたくさんいるだろう、戦術パズル苦手勢が少しでも苦手感を払拭できればと思いつつ、原理原則をあたっていきたいと思います。ルービックキューブにだって6面揃える前に、1枚を狙った位置に移動させる基本があるはず。そこを考えるキッカケになればと思ってのご紹介です。
まず、戦術とは何か。それは自分たちを優位にするための手練手管です。では優位とは何か。そりゃいろいろあるのでしょうが、大きなところでは4種類かなと思っています。
「機会」「位置」「人数」「質」です。
機会はおもにルールで与えられるもの、「サーブ権」のようなものが該当します。一方的に攻めたりできることでの優位です。バスケットやサッカーでは、反則に対するペナルティとして、FKやフリースローが与えられます。これも「機会」のひとつでしょう。
位置は文字通り位置取りです。これは一般論で言って「目的地のそば」でしょう。サッカーならゴール前の俗に言うバイタルエリア、バスケならゴール下、ここを制圧すれば勝ちやすいという場所です。「裏を取る」なども広い意味で、位置の優位を獲得する行為と言えるでしょう。
人数もその通り頭数のことです。1万人対1人なら絶対有利ですよね。サッカーなどでは数的優位という言葉を好んで使いますし、ホッケーのパワープレーという用語、あるいはアメフトのストロングサイドという用語、これらはすべて人数的な優位を示すものです。
そして質。これは個人個人のクオリティです。背が高いとか足が速いとか、ボール扱いが上手いとか、ひっくるめての「個」です。
この4種類でどのように相手を上回っていくか、それが戦術の出発点です。
基本的に相手と差がつくのは「質」です。そりゃそうです。機会に差があったら不平等ですので、サーブ権だって必ず同数で交代制でしょう。位置取りは多少あるかもしれませんが、同じフィールド・同じコートで戦う以上、一方が明確に有利になるわけがない。そして人数だってそうです。同じ人数でやるのが当たり前ですよね。競技とはそもそも「質」を競うものなのです。
個人競技ではもちろんそうですし、団体競技でも原則はそうだったのです。そのことは守備戦術の発展などから感じられます。原始的な守備戦術は「マンツーマン」です。同じ人数同士で、1対1でそれぞれが潰し合う。根本はここにあります。
しかし、マンツーマンには極めて大きな問題点があります。動き回られるとついていけないということもそうですが、究極まで突き詰めると「質で上回っているほうが必勝である」という点です。1対1で潰し合うなかでどこかに穴があるならば、そこだけを突いていけば必ず勝てる。「質」の競い合いにおいては優れた仕組みですが、劣勢を引っくり返すのは困難な仕組みでもあります。
そこで、団体競技においてよからぬことを考える知恵者が出てきました。それが「ゾーン」です。ゾーンという言葉には「エリアを受け持つ」というイメージがあり、そのせいで誤解を招きやすいのですが、コレはマンツーマンと対極を成す概念ととらえるべきでしょう。具体的には「ある局面で数的優位を作り出す(と同時にある局面での数的不利を許容する)」という概念として。
本来は、等しい条件で「質」を比べていたものを、ゾーンという概念の登場によって、質の差を「人数」でひっくり返せるようにした。これは戦術論における大発明であろうと思います。以降、いかに数的優位を作り、いかに数的不利を凌ぐかということの研究が進んでいき、それが複雑高度な戦術パズルとなったのであろう…そのように僕は思っています。
数的優位とはどのように作るのでしょうか。これは両チームが同じ人数である以上、原則としては生じないのです。そこを無理やり生じさせるために「ある局面に人が集まっていく」という動きが発生します。サッカーで言うサポートの動きと言ってもいいですし、バスケで言うダブルチームでもいいです。とにかく「どこかに人が寄って行く」ことでしか数的優位は生まれません。
その行為は、基本的には「2対1」から始まるでしょう。どこかの局面に2人が集まり、相手の1人を打ち砕く。もちろん3人・4人と集まったほうが、その局面ではより優位かもしれませんが、究極においては3人・4人という局面は捨ててもいいでしょう。1人に対して明確な優位を築くには2人で十分なのですから。いかに「2対1」を作り、いかに「1対2」を凌ぐか。
その手法は3対3の状況に簡略化して考えるとわかりやすいでしょう。一方がボールを持っているときに、そのボールホルダーに対して2人が詰めていった。すると、あまった攻撃側2人を守備側1人がケアすることになる。この状況が連鎖的に広がっていくことでフィールド全体が描かれていく。
<こんなことをアチコチでたくさんやっている>
と、考えたときに自分と相手、自分と味方の状況を認識することは欠かせないわけです。先ほどの図で青の右端にいる丸は、本来なら赤の右端の丸と対峙していたはずです。しかし、赤の左端を潰すために青が2つ集まった。すると、右端の青は真ん中の赤も含めてケアするために動く必要があります。
具体的にはふたつの赤の中間。近いほうにボールが渡ったときに当たりに行くことができて、遠いほうにボールが飛んだときに走って寄せられる位置。赤の2選手と目的地(ゴール)を結んだ三角形の重心あたりになるでしょう。もちろん、その位置はそれぞれの質(どれぐらい足が速いか、ボールさばきが上手いか)で微調整されますし、万が一2対1の左端で負けることも考えれば少しずつ後ろに下がって備える必要もあるわけですが。とにかく、「1対2」の第一波を遅らせ、凌ぎ、数的不利が解消されるのを待つのです。
自分は今、誰と、何対何なのか。それを意識し、常に把握しておくことが、「2対1」「1対2」を制するためには欠かせません。攻撃のときも守備のときもそうです。味方がどこかに数的優位を作れば、必ずどこかに数的不利が発生する。攻撃に人数をかければ、守備が手薄になる。逆に、守備をサボるデメリットというのは、攻撃時にあまるメリットとも言える。その状況が逐一把握できていれば、基本的に大外しというのはないはずなのです。人数は一緒なのですから。
<守備で戻ってこなくて数的不利を招いた(=攻撃時にはあまっている)のに、攻撃に切り変わっても攻めないことにお怒りのご様子>
瞬間的な「2対1」と「1対2」を繰り返し、数的不利側の「スライド」「サポート」(移動して不利解消)、「マークの受け渡し」(状況をリセットして不利解消)、「リトリート」(不利が解消されるまで時間を稼ぐ)といった対応が習熟していくなかで、2対1での優位を十分に活かしきれなくなっていきます。もともと同じ人数なのですから、どこかで寄せても、また同じ状況に戻るのが必然なのですが、練度が増したところ「活かす前に戻る」ようになっていた。
そこで次なる段階として「1対0」という形での数的優位を求めるようになります。要するに「相手がいないところなら絶対有利」ということです。古典的には「フリー」という概念で語られたものですが、そんなに自由にさせてもらえるわけもなく、別の形でのフリーを見つけ出すことになります。
そのときセットで見出されるだろう場所が「元来は危険性が低いと思われていた場所」と「人と人の間」です。サッカーではいつの頃からサイドが攻撃の起点になり、SBやCBに高いパス能力や視野の広さを求められるようになり、あまつさえGKにまでそれを求め始めましたが、それはそうした守備的な選手の位置こそが元来は危険性が低いと思われていた場所であり、より危険な場所を優先するために「守備側が数的不利を許容」していた場所であり、すなわち攻撃側が「1対0」を作れる場所だからです。
人数が同じである以上、どこかに人が寄れば、必ずどこかが空きます。数的優位と数的不利とはセットの概念であり、メリットとデメリットは表裏一体のものです。危険な地域をケアするために人数を集めれば、必ずどこかが手薄になる。その手薄になった場所を使うことは理にかなった発想なのです。
そして、もうひとつ見出されるだろう「1対0」の場所が人と人の間です。これはさまざまな積み重ねの末に、「1対0」の場所として使えるようになったと言えるかもしれません。本来は、「間」は使わせてはいけない場所です。挟んでいるのですから、ギュッと詰まって挟めば「2対1」で有利なのです。だから、なるべく間隔を詰めてギュッと「コンパクト」にしておけば埋まってしまう場所です。
ところが、ギュッと詰まった場所で「2対1」をやるよりも、誰もいないところで「1対0」をやればいいじゃんと攻撃側が遠くへ遠くへとポイントをズラしていったとき、その対応のために「コンパクト」ではいられなくなるのです。遠くであっても自由にやらせたら危険である、だから少し広がる。少し広がったことによって、少し間が空く。そこを高い技術で「1対0」の場所として使う選手が出てきた。
<なので、SBとCBの間は構造的な狙い目となる>
守備側はなるべくギュッとなりたい。ギュッとなればそれだけ隙間がなくなり、壁のように固くなる。攻撃側はなるべく隙間を広げたい。そのためにはより遠い位置で脅威を与える必要がある。放置しておけない駒であればあるほど、守備側はギュッとしていられなくなる。
バレーのブロックシステムもちょうどこういった構造になっています。一番怖い攻撃は「中央からのクイック」です。だからブロックはそこに集まっていたい。しかし、中央に集まっているなら、攻撃側がサイドからズドンと撃てばいい。そうなると守備側はある程度サイドも意識しないといけなくなる。そのとき、ブロックの間にバックアタックなどの攻撃を入れてやれば、ブロックは対応に窮する。
大事なのは「一番怖い場所にいる」こと、そして「広げる」こと、最後に「間」を突くことです。なので、真ん中だけ攻めつづけたり、外一辺倒だったりというのは、基本的には効果が薄くなるのでしょう。一辺倒ならそこに人が集まるだけ。集まったら、どこかが必ず空く。そこを突いていかないと意味がないのです。その意味では究極的にはボールを持っている側が有利なのだろうと思います。ボールを持っている側だけが、相手を動かすことができますし、ボールを持っている側だけがどこを突くかを決められるのですから。「絶対に取られないマン」「絶対にパスミスしないマン」がいる世界ならば、の話ですが。
いかに数的優位を作るか、それが戦術パズルの大命題です。サッカー戦術の解説も、基本的にはその話です。オリジナルの位置で、誰が浮いているのかを探す(1対0、2対1になりやすい場所を探す)。少し動くことで数的優位になる方法を探す。解き方にはいろいろあるでしょうが、考えていることは大体ソレです。
しかし、パズルはお互い勉強すればできること。ひとつの解法には、それを妨げる別の解法がある。将棋にも無敵の戦法がないように、無敵の戦術なんてものはなく、行きつく先は互角の膠着状態です。
そのときにモノを言うのは、違いを生み出す選手、膠着を打破する選手、一周まわって「質」なのです。人数によって瞬間的な数的優位をどれだけ築いたとしても、相手がそれにすぐさま対応するまでにパズルが熟達したなら、最後は「1対1に勝つ」ほう、「質」が高いほうがやっぱり勝つのです。
苦労して苦労して数的優位を築いても、ドリブルでひとり抜かれたら連鎖的にぶち壊しですし、どこかでそういう選手がいるチームはやっぱり強い。戦術は魔法ではなく、パズルを知らない相手をやり込める方法に過ぎません。無知でいたら勝てない大事なことではあるけれど、本質ではない。
「質」を高め、かつ「パズル」を学ぶために有効な手法は、徹底的に「マンツーマン」をやることだろうと僕は思っています。マンツーマンで抜く、止める、そういった個の「質」を疎かにしてはてっぺんは高くなりません。そして、戦術というものの意味、ありがたみを体感するにはマンツーマンという原始を通過する必要があると僕は思います。可能ならより人数を少なくして、「3×3(3人制)」などの単純化されたモデルで学んでいくと、理解も速やかでしょう。何故「ゾーン」が生まれたか、何のためのゾーンなのか、原点がわかれば、より正しいゾーンというものも見えてくるように思うのです。
ちなみに、戦術が高度に発展し、ゾーンディフェンスを100年前から意識的にやっているバスケットボールでは、国際バスケットボール連盟を含めた世界の広い地域で、若年代でのゾーンディフェンスを禁止しているのだとか。日本でも2016年度から15歳以下のゾーンディフェンスを禁止とし、1対1の強さを求めているそうです。これで結果が出るかどうかはわかりませんが、大きな方向性としてはアリなのではないか、僕はそのように思っています。物事には順番があり、その順番を守るという意味で、これは「順番どおり」の措置ですので。
<ゾーン禁止の通達をサッカー畑の川淵氏が発するというのも興味深い>
戦いは「1対1」に始まって「1対1」に終わる!1対1があってパズルがある!
最近、サッカー戦術というものが脚光を浴びています。サッカー日本代表のハリルホジッチ監督がその辺を強調するようなこともあって、ポゼッションだのカウンターだのと戦術会話が飛び交う機会も生まれました。
僕は、戦術論…それを「戦術パズル」と呼んでいるのですが、それについてあまり詳しくありません。ただ、ザックリと理解しようとは思っていますし、その点においては、やはり原理原則というものがあり、突き詰めれば当たり前のことだけが残ると感じています。
今日は世の中にたくさんいるだろう、戦術パズル苦手勢が少しでも苦手感を払拭できればと思いつつ、原理原則をあたっていきたいと思います。ルービックキューブにだって6面揃える前に、1枚を狙った位置に移動させる基本があるはず。そこを考えるキッカケになればと思ってのご紹介です。
戦術とは自分を優位に導く手練手管。では「優位」とは?
まず、戦術とは何か。それは自分たちを優位にするための手練手管です。では優位とは何か。そりゃいろいろあるのでしょうが、大きなところでは4種類かなと思っています。
「機会」「位置」「人数」「質」です。
機会はおもにルールで与えられるもの、「サーブ権」のようなものが該当します。一方的に攻めたりできることでの優位です。バスケットやサッカーでは、反則に対するペナルティとして、FKやフリースローが与えられます。これも「機会」のひとつでしょう。
位置は文字通り位置取りです。これは一般論で言って「目的地のそば」でしょう。サッカーならゴール前の俗に言うバイタルエリア、バスケならゴール下、ここを制圧すれば勝ちやすいという場所です。「裏を取る」なども広い意味で、位置の優位を獲得する行為と言えるでしょう。
人数もその通り頭数のことです。1万人対1人なら絶対有利ですよね。サッカーなどでは数的優位という言葉を好んで使いますし、ホッケーのパワープレーという用語、あるいはアメフトのストロングサイドという用語、これらはすべて人数的な優位を示すものです。
そして質。これは個人個人のクオリティです。背が高いとか足が速いとか、ボール扱いが上手いとか、ひっくるめての「個」です。
この4種類でどのように相手を上回っていくか、それが戦術の出発点です。
基本的に競うべきは「質」、しかし今は「人数」で勝負する
基本的に相手と差がつくのは「質」です。そりゃそうです。機会に差があったら不平等ですので、サーブ権だって必ず同数で交代制でしょう。位置取りは多少あるかもしれませんが、同じフィールド・同じコートで戦う以上、一方が明確に有利になるわけがない。そして人数だってそうです。同じ人数でやるのが当たり前ですよね。競技とはそもそも「質」を競うものなのです。
個人競技ではもちろんそうですし、団体競技でも原則はそうだったのです。そのことは守備戦術の発展などから感じられます。原始的な守備戦術は「マンツーマン」です。同じ人数同士で、1対1でそれぞれが潰し合う。根本はここにあります。
しかし、マンツーマンには極めて大きな問題点があります。動き回られるとついていけないということもそうですが、究極まで突き詰めると「質で上回っているほうが必勝である」という点です。1対1で潰し合うなかでどこかに穴があるならば、そこだけを突いていけば必ず勝てる。「質」の競い合いにおいては優れた仕組みですが、劣勢を引っくり返すのは困難な仕組みでもあります。
そこで、団体競技においてよからぬことを考える知恵者が出てきました。それが「ゾーン」です。ゾーンという言葉には「エリアを受け持つ」というイメージがあり、そのせいで誤解を招きやすいのですが、コレはマンツーマンと対極を成す概念ととらえるべきでしょう。具体的には「ある局面で数的優位を作り出す(と同時にある局面での数的不利を許容する)」という概念として。
本来は、等しい条件で「質」を比べていたものを、ゾーンという概念の登場によって、質の差を「人数」でひっくり返せるようにした。これは戦術論における大発明であろうと思います。以降、いかに数的優位を作り、いかに数的不利を凌ぐかということの研究が進んでいき、それが複雑高度な戦術パズルとなったのであろう…そのように僕は思っています。
数的優位を考えるとまず「2対1」を思いつく
数的優位とはどのように作るのでしょうか。これは両チームが同じ人数である以上、原則としては生じないのです。そこを無理やり生じさせるために「ある局面に人が集まっていく」という動きが発生します。サッカーで言うサポートの動きと言ってもいいですし、バスケで言うダブルチームでもいいです。とにかく「どこかに人が寄って行く」ことでしか数的優位は生まれません。
その行為は、基本的には「2対1」から始まるでしょう。どこかの局面に2人が集まり、相手の1人を打ち砕く。もちろん3人・4人と集まったほうが、その局面ではより優位かもしれませんが、究極においては3人・4人という局面は捨ててもいいでしょう。1人に対して明確な優位を築くには2人で十分なのですから。いかに「2対1」を作り、いかに「1対2」を凌ぐか。
その手法は3対3の状況に簡略化して考えるとわかりやすいでしょう。一方がボールを持っているときに、そのボールホルダーに対して2人が詰めていった。すると、あまった攻撃側2人を守備側1人がケアすることになる。この状況が連鎖的に広がっていくことでフィールド全体が描かれていく。
<こんなことをアチコチでたくさんやっている>
と、考えたときに自分と相手、自分と味方の状況を認識することは欠かせないわけです。先ほどの図で青の右端にいる丸は、本来なら赤の右端の丸と対峙していたはずです。しかし、赤の左端を潰すために青が2つ集まった。すると、右端の青は真ん中の赤も含めてケアするために動く必要があります。
具体的にはふたつの赤の中間。近いほうにボールが渡ったときに当たりに行くことができて、遠いほうにボールが飛んだときに走って寄せられる位置。赤の2選手と目的地(ゴール)を結んだ三角形の重心あたりになるでしょう。もちろん、その位置はそれぞれの質(どれぐらい足が速いか、ボールさばきが上手いか)で微調整されますし、万が一2対1の左端で負けることも考えれば少しずつ後ろに下がって備える必要もあるわけですが。とにかく、「1対2」の第一波を遅らせ、凌ぎ、数的不利が解消されるのを待つのです。
自分は今、誰と、何対何なのか。それを意識し、常に把握しておくことが、「2対1」「1対2」を制するためには欠かせません。攻撃のときも守備のときもそうです。味方がどこかに数的優位を作れば、必ずどこかに数的不利が発生する。攻撃に人数をかければ、守備が手薄になる。逆に、守備をサボるデメリットというのは、攻撃時にあまるメリットとも言える。その状況が逐一把握できていれば、基本的に大外しというのはないはずなのです。人数は一緒なのですから。
<守備で戻ってこなくて数的不利を招いた(=攻撃時にはあまっている)のに、攻撃に切り変わっても攻めないことにお怒りのご様子>
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待てよ、「2対1」よりも「1対0」のほうが優位だな
瞬間的な「2対1」と「1対2」を繰り返し、数的不利側の「スライド」「サポート」(移動して不利解消)、「マークの受け渡し」(状況をリセットして不利解消)、「リトリート」(不利が解消されるまで時間を稼ぐ)といった対応が習熟していくなかで、2対1での優位を十分に活かしきれなくなっていきます。もともと同じ人数なのですから、どこかで寄せても、また同じ状況に戻るのが必然なのですが、練度が増したところ「活かす前に戻る」ようになっていた。
そこで次なる段階として「1対0」という形での数的優位を求めるようになります。要するに「相手がいないところなら絶対有利」ということです。古典的には「フリー」という概念で語られたものですが、そんなに自由にさせてもらえるわけもなく、別の形でのフリーを見つけ出すことになります。
そのときセットで見出されるだろう場所が「元来は危険性が低いと思われていた場所」と「人と人の間」です。サッカーではいつの頃からサイドが攻撃の起点になり、SBやCBに高いパス能力や視野の広さを求められるようになり、あまつさえGKにまでそれを求め始めましたが、それはそうした守備的な選手の位置こそが元来は危険性が低いと思われていた場所であり、より危険な場所を優先するために「守備側が数的不利を許容」していた場所であり、すなわち攻撃側が「1対0」を作れる場所だからです。
人数が同じである以上、どこかに人が寄れば、必ずどこかが空きます。数的優位と数的不利とはセットの概念であり、メリットとデメリットは表裏一体のものです。危険な地域をケアするために人数を集めれば、必ずどこかが手薄になる。その手薄になった場所を使うことは理にかなった発想なのです。
そして、もうひとつ見出されるだろう「1対0」の場所が人と人の間です。これはさまざまな積み重ねの末に、「1対0」の場所として使えるようになったと言えるかもしれません。本来は、「間」は使わせてはいけない場所です。挟んでいるのですから、ギュッと詰まって挟めば「2対1」で有利なのです。だから、なるべく間隔を詰めてギュッと「コンパクト」にしておけば埋まってしまう場所です。
ところが、ギュッと詰まった場所で「2対1」をやるよりも、誰もいないところで「1対0」をやればいいじゃんと攻撃側が遠くへ遠くへとポイントをズラしていったとき、その対応のために「コンパクト」ではいられなくなるのです。遠くであっても自由にやらせたら危険である、だから少し広がる。少し広がったことによって、少し間が空く。そこを高い技術で「1対0」の場所として使う選手が出てきた。
<なので、SBとCBの間は構造的な狙い目となる>
守備側はなるべくギュッとなりたい。ギュッとなればそれだけ隙間がなくなり、壁のように固くなる。攻撃側はなるべく隙間を広げたい。そのためにはより遠い位置で脅威を与える必要がある。放置しておけない駒であればあるほど、守備側はギュッとしていられなくなる。
バレーのブロックシステムもちょうどこういった構造になっています。一番怖い攻撃は「中央からのクイック」です。だからブロックはそこに集まっていたい。しかし、中央に集まっているなら、攻撃側がサイドからズドンと撃てばいい。そうなると守備側はある程度サイドも意識しないといけなくなる。そのとき、ブロックの間にバックアタックなどの攻撃を入れてやれば、ブロックは対応に窮する。
大事なのは「一番怖い場所にいる」こと、そして「広げる」こと、最後に「間」を突くことです。なので、真ん中だけ攻めつづけたり、外一辺倒だったりというのは、基本的には効果が薄くなるのでしょう。一辺倒ならそこに人が集まるだけ。集まったら、どこかが必ず空く。そこを突いていかないと意味がないのです。その意味では究極的にはボールを持っている側が有利なのだろうと思います。ボールを持っている側だけが、相手を動かすことができますし、ボールを持っている側だけがどこを突くかを決められるのですから。「絶対に取られないマン」「絶対にパスミスしないマン」がいる世界ならば、の話ですが。
やがて戦いは「1対1」に原点回帰する
いかに数的優位を作るか、それが戦術パズルの大命題です。サッカー戦術の解説も、基本的にはその話です。オリジナルの位置で、誰が浮いているのかを探す(1対0、2対1になりやすい場所を探す)。少し動くことで数的優位になる方法を探す。解き方にはいろいろあるでしょうが、考えていることは大体ソレです。
しかし、パズルはお互い勉強すればできること。ひとつの解法には、それを妨げる別の解法がある。将棋にも無敵の戦法がないように、無敵の戦術なんてものはなく、行きつく先は互角の膠着状態です。
そのときにモノを言うのは、違いを生み出す選手、膠着を打破する選手、一周まわって「質」なのです。人数によって瞬間的な数的優位をどれだけ築いたとしても、相手がそれにすぐさま対応するまでにパズルが熟達したなら、最後は「1対1に勝つ」ほう、「質」が高いほうがやっぱり勝つのです。
苦労して苦労して数的優位を築いても、ドリブルでひとり抜かれたら連鎖的にぶち壊しですし、どこかでそういう選手がいるチームはやっぱり強い。戦術は魔法ではなく、パズルを知らない相手をやり込める方法に過ぎません。無知でいたら勝てない大事なことではあるけれど、本質ではない。
「質」を高め、かつ「パズル」を学ぶために有効な手法は、徹底的に「マンツーマン」をやることだろうと僕は思っています。マンツーマンで抜く、止める、そういった個の「質」を疎かにしてはてっぺんは高くなりません。そして、戦術というものの意味、ありがたみを体感するにはマンツーマンという原始を通過する必要があると僕は思います。可能ならより人数を少なくして、「3×3(3人制)」などの単純化されたモデルで学んでいくと、理解も速やかでしょう。何故「ゾーン」が生まれたか、何のためのゾーンなのか、原点がわかれば、より正しいゾーンというものも見えてくるように思うのです。
ちなみに、戦術が高度に発展し、ゾーンディフェンスを100年前から意識的にやっているバスケットボールでは、国際バスケットボール連盟を含めた世界の広い地域で、若年代でのゾーンディフェンスを禁止しているのだとか。日本でも2016年度から15歳以下のゾーンディフェンスを禁止とし、1対1の強さを求めているそうです。これで結果が出るかどうかはわかりませんが、大きな方向性としてはアリなのではないか、僕はそのように思っています。物事には順番があり、その順番を守るという意味で、これは「順番どおり」の措置ですので。
<ゾーン禁止の通達をサッカー畑の川淵氏が発するというのも興味深い>
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戦いは「1対1」に始まって「1対1」に終わる!1対1があってパズルがある!
フィールドが広いので
マンツーマンは消耗が激しい
(鬼ごっごは広いほど鬼が不利)
クラブ、代表ともにスケジュール的に無理
育成目的で狭いピッチのゾーン禁止なら賛成