・オセアニアは日本である
小説の中に表されている「オセアニア」という国は、基本的にはスターリンのソ連をイメージしたものであるとされています。実際、計画経済に対する偽りの報告や、事実をイデオロギーで捻じ曲げるという傾向は、まさにソ連そのものです。ゴールドスタインという人物も、レフ・トロツキーがモデルになっているようです。
また、日本では北朝鮮の体制になぞらえる声もあるようです。確かに実権があるんだかないんだか分からない、なかなかその姿を見せない金正日の様子は“ビッグ・ブラザー”によく似ています。「偉大なる同志」と「ビッグ・ブラザー」という呼称も。
その一方、日本に近い描写もまた存在するようにも感じられます。
「歴史や記録の改竄」。戦前に「南北朝時代」が「吉野朝時代」とされていたことはよく知られています。足利尊氏は逆臣でした。また、徳川家康が源氏を名乗ったり、織田信長が平氏を名乗ったりしたのもそれに近いものがあります。土侍兼百姓の小倅だった秀吉だけは、さすがに名家の末裔を名乗ることはできませんでしたが。
「紀元は二千六百年」なんて、支配層はまったく信じていなかったでしょうが、それが通用してしまう時代もあったのです。
「言葉の呼び替え」。「敗戦」が「終戦」、「大量解雇」が「リストラ」、「姥捨山制度」が「後期高齢者制度」とされている現実があります。
「略称の多用」。「生協」「厚労省」「革マル派」「チョベリバ」など、枚挙に暇がありません。
(なぜ真面目な文章にもギャグを挟もうとするかなぁ…)
「憎悪週間」。左翼側は米帝や資本家、自民党政権などに対して、右翼側は中国や朝日新聞、日教組などに対して、それぞれ憎悪を煽っています。
全ての悪を特定の存在に押し付けてしまえば思考は単純化されますが、それらが崩壊しても全ての不都合が解決するわけではありません。
「プロレ」という被支配階級の存在。多くは語りませんが「B層」という言葉に象徴されます。
イースタシアの思想「死の崇拝」「個の滅却」。明らかにカミカゼのことです。イギリス人のオーウェルにとって、日本は交戦国の一つでした。
ちなみに、これが書かれた当時、中国共産党はまだ全土を支配していませんでした。中華人民共和国が成立していたら、イースタシアは存在しなかったに違いありません。「勤勉」という評価も日本っぽいですね。
で、これをもって「日本はスターリン・ソ連と同列の全体主義国家」と言いたいわけではありません。
それは結局「どこの国でも同じような事はあるもんだ」ということでしかありません。
ハヤカワ文庫版の解説にはこうあります
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『一九八四年』は折りからの冷戦ムードに乗って爆発的な売れ行きをみせ、数少い理解と多くの誤解とにさらされる。アイザック・ドイッチャーによれば、ニューヨークの新聞売り子に『一九八四年』をすすめられ、「この本を読めば、なぜわれわれがボルシェヴィキの頭上に原爆を落とさなければならないのかわかる」といわれたという。「それはオーウェルが死ぬ数週間前のことだった。気の毒なオーウェルよ、君は自分の本が“憎悪週間”のこれほどみごとな主題のひとつになると想像できたであろうか」(ドイッチャー『一九八四年-残酷な神秘主義の産物』一九五五年)。
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この新聞売り子は、自分が“党に支配されているプロレ”と同列の存在であるとは気づかないわけです。
ナチスドイツでユダヤ人に対して、ユダヤ人コミュニティでナチに対して、パレスチナでイスラエルに対して、アメリカでイスラム勢力に対して抱いているのと同じ感情であり、どんな国の誰であっても陥りやすい罠が小説内で描かれているというわけです。
『一九八四年』は、年代や国を越えて一般化でき、また書かれて60年以上経った今でもなお説得力を増しているかのように思える作品です。
・プロレスファンは「ダブルシンク」(二重思考)を無意識にマスターしている
「ダブルシンク」とは、「矛盾する二つの考えを矛盾がないかのように理解する能力」という表現がなされています。矛盾が生じてもそれを無意識のうちに受け入れることができなければなりません。
これをプロレスに当てはめると
ロープに振られると必ずリバウンドで帰って来る
足を当てるだけだけどものすごい威力のある十六文キック
メタボだけどスタミナのお化けの三沢さん
アンダーテイカーは何度死んでも生き返る
インリン・オブ・ジョイトイとインリン様は別人
ビンセント・ケネディ・マクマホンは偉大な経営者であり、ミスター・マクマホンはアスホール
いやはや、すごいですね。現在の世の中で、これほどダブルシンクが要求されるエンターテインメントがほかにあるでしょうか。
私はそんなプロレスが大好きです。
偉ぶっている連中に言わせると「プロレスなんぞ、プロレフィードの最たるもの」ということになるのでしょうが。
・実際のところ、無理やろ
舞台となった「オセアニア」も、何らかの影響で崩壊するのは必然のように思えます。
これを読む前に『ユートピア』も読んだのですが、ユートピアのモデルであるところのギリシアのポリス群も結局は崩壊しましたし。
ただ、内部のみの崩壊は、ソ連や北朝鮮、大清帝国を見る限りなさそうに思えます。
小説の主人公はプロレ階級に希望を抱いていましたが、私は「3つの超大国に属さない交戦地帯」にこそ希望があると感じました。
具体的にはこれの黄色いエリアです。
画像:1984_fictious_world_map.png
(インドから追い出されている英国哀れ)
もしこんな世界が実現していたら、その体制の崩壊はインドやイスラム圏が鍵を握ることになりそうです。
・ドラえもん映画「のび太の宇宙小戦争」って…
ギルモア将軍の肖像が町を監視しているシーンは、まさに『一九八四年』の描写をモチーフにしたものでしょう。
そして、驚くべきことに
「のび太の宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)」の原作が連載されたのは1984年
なのです。
絶対意識していたはず。だから藤子・F・不二雄はあなどれない。