私がノルウェーに滞在している期間は、ちょうどノーベル賞の発表時期と重なっている。
一般にノーベルはスウェーデン人で、ノーベル賞もスウェーデンで発表されているからスェー電の賞と思われているが、実は賞を創設した1901年は、ノルウェーとスウェーデンが連合していた。同じ王を抱く一つの国だったのである。だからノルウェーの賞でもある。実際にノーベル平和賞は、ノルウェーで選ばれるのだが……。
オスロのノーベル記念館。中の見学はしなかったが……売店ではノーベル賞のメダルを売っていた(^o^)。中身はチェコレートのようであるが。。。
ところで帰国後に発表となったのが、ノーベル経済学賞である。シカゴ大学のリチャード・セイラー博士が「行動経済学」で受賞したのだった。
私は、このことに結構興奮している。経済学? と不思議に思うかもしれないが、私の最近の考察テーマにぴったりなのだ。
この「行動経済学」では、人は感情で動くものとしている。伝統的な経済学は、人は合理的で、常に冷静で最適な選択をすると仮定している。しかし、現実には、常に感情に振り回され、判断を間違えることも多々あるという想定なのだ。
このところ私は、人は何によって突き動かされているのか、という点にこだわってきた。文化、政治、経済、人間関係、そして進化まで。。。
一般的な学問では、生命体の選択の条件を「損得」とか「益不益」を想定する。生物進化の自然淘汰説も、どちらが有利に生きられるか、生き残れるか、が進化の原動力だとする。
それは国のレベルから、個人の人間関係まで当てはめる。今どきの政治も、どの政策が得か損か、誰にしたがうのが自分にとって益があるのか。。。で動くとされる。
だが、私は違うのではないか、と思っていた。 損得を超えた行動原理があるように思えるのである。それは……好き嫌いである。好きとか嫌いという感情が損得を越えて歴史を動かしてきたのではないか……。
それで、このところ文明論や脳科学、心理学の本などを読みあさっていたのである。
ちなみに読んだ本でピンと来たのは、「この国の息苦しさの正体~感情支配社会を生き抜く」(和田英樹著 朝日新書)である。
和田氏は、マスコミにも登場することの多い精神科医で、なんと著作が600冊という。基本的にこういう人は苦手だが(~_~;)、サブタイトルに惹かれて読んだのである。感情支配社会。これだよ、これ。
極めて平易に書かれており、最後は医者らしい処方箋もあるが、正直、そこはどうでもよい。
むしろ「現状維持バイアス」とか「自己愛不足」「不安感」「高齢化」「今だけ、カネだけ、自分だけ」といった項目にピンときた。
たとえば、なぜ十分に満足できない生活を送っている人が、そんな社会をつくった体制側を攻撃するのではなく、媚びるように支持するのか。それは「さらに落ちていく不安感」や「自分肯定感の不足」などの劣等感が、今以上に落ちたくないから現状維持を求める心理を生み出すことで現状のままを求めるらしい。
またネトウヨ・レベルの「日本スゴイ」言質もここから来ている。落ちてない、と思いたいのだ。昔からスゴイのだ、と思って自分を慰める。
なんか、今の日本社会をひもとかれたような気がする。
そこに「行動経済学」なんてのが示されたのだから、これだ! と思ったわけ。
つまり人間はよく間違うし、好きだったら損してもかまわないし、意地になって得にもならないのに嫌いなヤツを攻撃する。そこにポリティカルコネクトなんてないのだよ。。。
相田みつを並に「人間だもの」好き嫌いこそが、社会や生物の行動原理なのだ。そう考えると、何もかもが理解できる。
でも……そんな好き嫌いとか不安な感情を理性や知性・知恵で抑えるのが「人間」のはずなんだが。人類が長い年月をかけて築いてきた感情コントロール術をかなぐり捨てる現代社会って、なんだ?
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