議員でありながら覚せい剤で有罪となった私の言葉など不愉快に思う方もいるでしょうし、犯罪者が犯罪者を擁護するような内容に嫌悪するかもしれませんが、これは、私が逮捕、拘留、裁判等の稀な経験による出来事から最も危機感を抱いた事実。社会で広く認知されずに日陰で息を潜め隠れるように存在している問題の提起に必要を感じて綴ったものです。


裁判で有罪が確定し半年あまりが経過した現在、私には大きな自責の念を抱く事柄がある。それは、罪を犯したことにより無知で世間知らずであったことを思い知らされ、社会の上辺しか知らなかった自分が、社会を論じ政治活動をしてきたという過去についてです。


元衆議院議員で服役を経験した山本譲司氏も自らの著書で「国会で論じてきた福祉政策は実に皮相だと痛感し、国会で見えなかったものが刑務所の中で見えた」と語っており、現実としてこの社会に存在しているものの、目の当たりにした衝撃は直視した人間にしか分からない感情と問題意識を生むのでしょう。


私が出会った賽銭泥棒(容疑)の20代の青年は、目を丸くして「え?議員って大学に行かないでなれるんスカ?」と、笑ってしまうような社会常識すら身に付けていませんでしたが、幾度、思い返しても、その青年が特別な悪人や稀な人間には思えず、(神仏への奉納金を盗むなんて罰当たりですが・・・)「色々と教えてあげたいなぁ」と、今でも心残りに感じます。私はそんな様子から、大半の犯罪者はきっと問題なく更生も社会復帰も出来るのだろうと思っていました。


留置施設、いわゆる「ブタ箱」で出会った犯罪者たちは、厳密には容疑者ですがその多くが罪を認めており、私に「真面目にやり直したい」と語る姿は普通の人達に見えました。しかし、犯罪を繰り返す者の中には「真面目に更生するなんて無理なのだ」と語り、犯罪者の社会復帰が如何に困難であるかを悟ったかのように「社会を変えてくれよ」と居直ったり、懇願する者も少なくありませんでした。確かに犯罪者の再犯率は高く社会的にも問題視されており、その統計上の数値も社会復帰の難しさを裏付けています。


では、犯罪者の社会復帰を困難なものにしている原因は一体何なのでしょうか。

ひとつは「貧困」です。そして、もうひとつは「大切なもの」が欠如していることです。


一般刑法犯の8割の犯罪は窃盗なのですが、事件報道には窃盗に関する割合が非常に少ないことにお気付きでしょうか。その理由は多くが軽微な窃盗であるからで、この事実も貧困が原因であることを物語っています。(お金持ちは小額の盗みをしないでしょう・・・)当然、貧しいからといって皆が犯罪者になる訳ではなく、決して貧困を理由に犯罪を肯定することは出来ませんが、これは社会の片隅にある事実なのです。


しかし、多くの人が「働いて金を稼げ」と問題視すらせず、憐れみの感情などを抱く人は少数でしょう。そうなのです。現在の日本社会とはそういうものなのです。

例えば、多くの日本人はホームレスを見て「怠け者」と迷いなく言い放ちます。しかし、ホームレスは間違いなく生活が困難な「貧困」状態であり、何の事情も背景も知らずに「怠け者」呼ばわりする人が社会で多数を占めている、他人を思いやれない殺伐とした社会が日本なのです。


このような社会で犯罪者となったものが、容易く定職に就けるのでしょうか。

「昨日、刑務所を出所しました」という者を、容易に雇用する企業があるのでしょうか。

「努力が足りない」と考える人も大勢いるでしょうが、この社会には正しい「努力の仕方」が分からない、身に付けるべき知識や常識を学ぶ機会を逸してしまった人が確実に存在しています。


同じ檻の中で過ごすことになった、携帯電話の搾取・詐欺の容疑で再度の逮捕・留置されていた青年は、精神的な要因によるものか頭部に部分的なハゲを幾つもつくり、処方薬の副作用で夜中に突然ひとりで喋り始めたり、立ち上がったりし、翌日には全く覚えていない状態で(慣れるまでは怖かった・・・)、懸命に明るく振舞う様子が時折痛々しくも、実に親切で心根の優しい人物でした。そんな彼との会話は檻の中でのストレスを和らげてくれましたが、やはり「何かが欠けている」と感じさせました。(それでも、私は今でも彼に感謝しています)


犯罪者の多くから感じとれるのは、学業ではなく学習機会の欠如であり、生きる過程において人間関係の中で学び育まれるべき能力の「学習機会」が人よりも少ない、または喪失しており社会生活に必要な知識や能力を身に付けないことで貧困に陥り、犯罪に至ってしまう。また、これが改善しなければ更生や社会復帰を望み出所しても、日陰で息を潜めるような貧困生活を受け入れるか、耐えられずに再度犯罪に手を染めるかという不憫な選択を迫られてしまうのです。


さて、上述した社会復帰を困難にしている原因のもうひとつを「大切なもの」の欠如と表現しましたが、これは分かり辛くも適切だと考え記述しました。人はひとりでは生きて行けないことから本能的に社会を形成しています。その社会で必要とされる知識や能力を学習し身に付けるのに不可欠なのが「人間関係」や「コミュニティ」であり、学校や職場、家族や友人といった存在がとても「大切なもの」であり重要な役割を担います。つまり、貧困や犯罪に至る要因と、更生や社会復帰を困難にする原因は同様であり、彼らの人生には「大切なもの」が欠如しているのです。


実際に私の場合は、拘留中に友人たちが私と家族の身を案じて連絡を取り合い、友人のひとりは身元保証人となり、その友人宅を制限住居とすることで保釈となった私を家族ごと私を迎え入れてくれました。文字数にすると僅かですが、日本中に知れ渡った犯罪者(私)の側に立つのは容易ではありません。私を迎え入れてくれた友人家族には、私と同様に非難の的にされるなど多くのリスクはあれどメリットなど微塵もありません。言うまでもなく、その友人家族は私にとって妻や息子という家族同然の大切な存在であり、この支えがなければ前を向くことが出来なかったでしょう。


それぞれの著書のなかで、堀江貴文氏は「刑務所は矯正施設としては機能していない」と述べており、岡本茂樹氏は「更生とは文字どおり、更に生きる(立ち直る)ことであって、誤りを正す更正ではない」と述べています。この両者の意見からは、現在の刑務所には刑罰しか望めず、更生は社会で前を向いて生きることによって行われるのだと伺い知ることが出来ます。(この両者は対談をされています。)つまり、刑務所で更生して社会に出るのではなく、社会での支えに甘え感謝して更に生き始めることが、岡本茂樹氏が語る「更生」であり、言葉の重みと他者から差し伸べられる手が、如何に重要であるかが今の私には心底分かります。


では、私とは違い家族や友人の支えが存在しない犯罪者に更生や社会復帰は望めないのでしょうか。上述したことからは、現在の殺伐とした日本社会ではとても厳しく「真面目に更生するなんて無理なのだ」との意見が正しい と言わざるを得ません。


日本は暴力犯罪の被害率がとても低く、世界一安全な国ではありますが、一方では人口に占める自殺者の割合がアメリカの2倍以上であり、他殺は1日平均で2人未満であるのに対し、自殺者は(時期により)1日に100人を超えるという事実から、世界的に見ても日本社会で生活を営むことは、とても息苦しく、苦しんでいるのは犯罪者やホームレスばかりではありません。


刑事政策や犯罪学等を専門とする大学教授の浜井幸一氏は「自殺は周囲や社会から追い込まれ、社会的に孤立した結果である。日本は他人からの暴力には安全な国だが、人が安心して幸せに生きれる国であるかはやや疑問かもしれない」と著書で語っています。


私はこうした現実を垣間見た者として、日々の幸せを実感できない息苦しい社会に危機感を抱き、また、この殺伐とした社会を構成する一員として責任を感じます。この問題は社会を構成する私たち一人ひとりが、社会の片隅にある現実を直視して、理解と改善を心掛ければ変えることが出来ます。しかしその前には、この殺伐とした社会の息苦しさをつくり招いているのは、私たち一人ひとりであるという不愉快な事実を受け止めなければならず、それが最も高い壁となるのでしょう。


犯罪者が更生や社会復帰の出来ない、再犯率の高い社会では誰も「得」をしません。刑務所にいる受刑者には1人当たり1ヶ月に20万円以上の税金が使われており、裁判時の国選弁護人の報酬も税金で賄われています。これだけの税金が使われる訳ですから、合理的に考えれば社会復帰させて納税してもらった方が良いに決まっています。こうした観点からも社会復帰を望む者には厳罰ではなく、更生する為の手を差し伸べるべきでしょう。

(厳罰化が進むと刑期が長くなり、より多くの税金が使われますし・・・)


この社会の片隅の現実を知る人たちは、それぞれに憂い改善を訴えていますが、大半の人が下を向いて声を上げられません。また、社会では「犯罪者の為に、なぜ?」という感情的な思いが多数を占めており、その改善の歩みは遅々としています。

どうか、社会の片隅にある、この現実にも光が照らされ他人を思いやれる社会になる為に、この寄稿が僅かでも役立つことを信じ期待したいと思います。


参考

「累犯障害者」 著者:山本譲司

「2円で刑務所、5億で執行猶予」 著者:浜井幸一

「刑務所わず。 」 著者:堀江貴文

「反省させると犯罪者になります」 著者:岡本茂樹