「過剰サービス」でオブラートに包むのはそろそろやめるべき
都会のコンビニと田舎のコンビニ
外国人ばかりの都会のコンビニ
東京駅周辺のオフィス街のコンビニでは、大部分の店員が外国人である。
日本語が通じるかも怪しいものの、レジ打ちなどの作業は早く、非常に効率的に客をさばいている。
個人経営の多い田舎のコンビニ
都心から少し離れると、3大チェーン以外のコンビニが散見される。
3大チェーン以外のコンビニでは、地元のおばあさんが息子と一緒に運営しているようなところが多い。
このようなコンビニでは、昔ながらの八百屋のような「世間話」や「笑顔で声かけ」が行われがちである。
コンビニの付加価値
コンビニの付加価値は、その名の通り便利さである。
便利さの定義は難しいが、大まかには「入店から退店までの時間が短くて済むこと」だと思われる。*1
少なくとも、安さや高品質を求めてコンビニを訪れる人は稀なのではないだろうか。
「過剰サービス」という魔法な言葉
日本人は日本の産業を「過剰サービス」と呼ぶことが多いが、個人的にはそう思えない場面のほうが多い。
田舎のコンビニにおける「過少サービス」
たとえば、冒頭の「笑顔で声かけするコンビニ」が当てはまる。
レジで客が待っているにも関わらず、時間をかけて商品棚を整理しながら「お待たせしてごめんなさいねぇ」などと言っている店員は、コンビニの価値を大きく毀損している。
「笑顔で声かけ」をするよりは、無言でも素早くレジを打ったほうがいい。
客の待ち時間を最短化できていない状態で何か別のことをするのは、「過剰サービス」どころか「過少サービス」である。*2
その他の産業
耐久消費財などでもそうだ。
日本企業は、無意味に高機能化させた製品を「過剰性能」などと自逆風に自慢しながら売る傾向がある。
しかし、実際には使い勝手がよくなかったりして、本来求められている性能を満たしていないことが多いように思う。
最低限度の機能をしっかりと満たした製品を安価に提供する企業があれば、すぐさま競争に負けてしまう。
私自身も、最近は日本メーカーの製品よりも中国・台湾メーカーの製品をよく買っているように思える。
何を提供すべきか考える
安易に「過剰」という前に、自分たちが提供すべき価値を考えるべきである。
それができる人は、案外多くないように思う。